勝兵塾第21回月例会が2月21日(木)アパグループ東京本社6階会議室にて開催されました。
アパグループ代表、元谷外志雄塾長による挨拶では、「安倍政権が誕生して、景気が良くなるのではという期待から、世の中全体が明るくなった。アパの頂上戦略として、5年間で東京都心に50ホテル、30マンションを新築するという大目標を掲げて3年近くが経ったが、安倍政権の2%のインフレターゲット政策により、いち早く土地と株の価格が上がり、土地がなかなか買えなくなった。そこで、最近は投資目線を上げて、入札ではこれまで考えられない価格で札を入れている。」と、安倍ノミクスの不動産価格への影響について触れられた後、「周囲を取り巻く環境を見れば、北朝鮮はアメリカまで届く弾道ミサイルと、それに搭載可能な核の小型化に成功し、アメリカの核の傘は消滅した。自分の国を自分で守るのが独立国家であり、そのためには、核兵器の開発も保有も一切公表しない法律を作り、日本の技術力を駆使して核兵器のパーツを造っておき、非常事態には1週間程度でパーツを組み立てて核兵器を造れるような体制を取るべきである。イスラエルのように核を開発しているとも保有しているとも一切言わず、核を保有していると思わせるだけでも抑止力になる。」と、日本の核保有に関する提言をされました。
衆議院議員で内閣総理大臣補佐官の木村太郎様は、「本日安倍首相がアメリカに向けて発ち、初のオバマ大統領との首脳会談に臨む。前政権で日米同盟にヒビが入ったことが、尖閣、竹島、北方領土での周辺諸国の我が国に対する威圧に繋がっている。したがって、ここで日米同盟をしっかり作り直すことで、周辺諸国との対等の外交ができる。」と安倍政権での外交の取り組みについて語られました。
新しい歴史教科書をつくる会会長の杉原誠四郎様は、「外務省が自虐的な認識を外国には発信している。正しい歴史教科書をつくることは、結果として外務省と闘うことになる。この度、 『外務省の罪を問う』という書籍を出版した。外交評論家の加瀬英明氏が書いた序文の中で、天皇陛下が中国に招かれた際に、外務省の中国課長が加瀬氏の事務所を訪れ、『天皇陛下の御訪中に反対しないでくれ』と言ったというエピソードが紹介されていた。その中国課長の言う日中友好は、日本の国益とは関係のない、全く個人的なことであり、中国外交部の言いなりになっていると加瀬氏は批判していた。」「昭和16年8月に近衛内閣の下で総力戦研究所が日米戦のシミュレーションを行い、必ず日本が負けるという結論になった。12月終わりに開戦し、最後にソ連が入ってきて日本が負けるというものである。そこで近衛は日米首脳会談を申し入れたが、その直前にルーズベルトはチャーチルと会談をしており、初めから日米首脳会談をするはずはなかった。しかし、ルーズベルトは、『あなた方の息子を戦場には送らない』と国民と約束して三選したため、表向きは日本に友好的な態度を取った。それに外務省は振り回されたのである。ハルノートを突き付けられた時の外務省の対応も問題で、ルーズベルトの国民との約束によりアメリカ側から戦争はできないのであるから、ハルノートをアメリカ国民に公表すればよかった。真珠湾攻撃の数日前に軍隊の動員計画が作られていたことが新聞で暴露され、ルーズベルトが窮地に追い込まれていた。在米日本大使館の機転が利いてこの状況を利用すれば、戦争は回避できたと考えている。また、当時の外務大臣の東郷茂徳は、『この戦争は必ずしも負けると考える必要はない』と発言しており、日米戦争に対する認識が甘く、外務大臣としての資質に問題があった。さらに、12月8日は独ソ戦争でドイツが勝てないことが分かった日でもある。外務省が独自に情報を収集・分析し、軍部に反対していれば、12月8日の真珠湾攻撃を止めることができたのではないか。」と外務省の無能と怠慢が日米開戦を招いた原因であると論じられました。さらに、「最後通告が予定より1時間遅れたために『騙し討ち』になったが、これをアメリカは最大限利用した。原爆を日本に落とすことに対してアメリカ国民は何の抵抗感もなかったが、それは『騙し討ち』に対する報復という意味もあった。野村吉三郎が最後通告を攻撃前に行おうとしていた自分のミスで遅れてしまったことをアメリカ国民に知らせていれば、アメリカも少しは節制したのではないか。」「昭和天皇とマッカーサーの会談の中でマッカーサーを感動させた『私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事の両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした。』という御発言は、なぜか外務省の記録から消えている。アメリカの記録によれば、そのご発言の前には『真珠湾は東条がやった』と発言されている。昭和天皇も真実を知らされておらず、通訳をしていた奥村勝蔵は、『騙し討ち』の原因が自分にあることをわかっていながら、そのまま通訳していた。吉田茂も外務省の恥を隠そうとしたのであり、さらに、『騙し討ち』の責任者である奥村を外務次官に抜擢した。外務省を改革しなければ日本の再生はない。」と、外務省の歴史的な体質の問題を指摘されました。
衆議院議員で弁護士の原田義昭様は、「民主党政権時代は落選していたが、今回の選挙で当選し、六期目となった。6年前の小泉政権時代に外務委員長をやっていたが、そのとき、総理の靖国参拝が問題となった。日本の総理が何処で何をしようが中国や韓国がとやかく言うのは余計なことであり、内政干渉である。その年名古屋で万国博が行われた際、中国の呉儀副首相が小泉首相を訪れる約束をすっぽかした。私は外務委員長として『これはいかん』という思いで、単身で中国に乗り込み、副大臣をはじめ3名と会い、3名に対して、『日本人は幼少より中国の古典を勉強しており、礼を重んじているのに、中国人はなぜこんなに失礼なのか』と言った。その後、日本大使館に行って記者会見をしたが、しっかり報道してくれたのは産経新聞だけであった。」と、かつて中国に単独で乗り込み靖国問題等について抗議したエピソードを披露されました。また、「日本の外交の何が問題か。日本人の性格は相手と面と向かって物を言わないところがある。会合で決裂することがないが、決裂してはいけないと思うと妥協してしまう。国益を守るためには決裂することも必要である。尖閣は日本のものであり、中国が侵害しているのであるから、日本が派遣団を送って握手するのはおかしい。韓国に対しても同じである。そんなに簡単ではないが、国益がぶつかるときにはギリギリ我慢してそれを乗り越えることが必要である。また、外交官の育て方も問題であった。十数年前に外交官試験を廃止し、スマートな人材だけでなく武闘派の人材も選ぶように言っている。『外交は武器なき戦争』だと思っている。政治や体制の問題もあるが、それを支えるのは人材である。徹底的に戦い抜く気迫が必要である。」と、外交において戦うことの重要性を強調されました。さらに、「『為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』という言葉を落選中にずっと使っていた。成功者が失敗者に言っても迫力がない。自分は落選したときに周りの人の9割はいなくなり、全てを失った。そうしたときに、困って相談に来た人に対して、『俺を見ろ』と言ってきた。同時に、『このまま負けるわけにはいかない』と思い続けてきた。今回の選挙で当選したことで、『俺を見ろ』と伝えてきた人達に嘘を言わなくてよかったと思った。」と、物事を成し遂げる上で意思の大切さを熱く語られました。
大阪国際大学・皇學館大学講師の久野潤様は、「今般、『新島八重』を出版した。本書では新島八重を通して幕末から昭和の日本にとって苦難の時代を描いた。幕末はペリー来航をきっかけに日米和親条約、日米修好通商条約という不平等条約を結び、米国の他、英、仏、露、蘭の4カ国と同様の条約を結んだ。1862年には、島津の大名行列を横切ったイギリス人が斬りつけられたことで、薩摩藩とイギリスが戦争になった。また、1863年には、関門海峡を通過する外国船を長州藩が砲撃したことで長州藩と米英仏蘭の四カ国との戦争になった。中国や韓国は戦って負けそうになると上層部が保身のために自分の国を売り渡そうとしたが、日本は徹底的に戦い外国を迎え撃った。戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦いでは幕府軍が新政府軍の3倍の兵力を持っていたが、幕府軍が退却した。それは新政府軍が錦の御旗を掲げており、将軍徳川慶喜は水戸藩という御三家の中でも最も勤皇的な家柄の出であったからである。2月11日は建国記念の日となっているが、2672年前に橿原神宮で初代神武天皇が即位された日である。日本の天皇家は万世一系の血筋であり、江戸時代には共有されていた価値観である。明治政府は国民に対して日本とは何かを理解させることに努め、国の土台を固めていった。しかしロシア革命が起こると、日本人エリートの中に無政府主義、マルクス主義の病巣が広がった。東大新人会のメンバーが近衛文麿政権の中枢に入り込んだが、その最たるものはゾルゲ事件である。近衛内閣の総辞職は日米交渉の不調が理由ではなく、近衛の側近の尾崎秀実のゾルゲ事件への関与が発覚したためである。若い人が歴史に興味を持っていないと言われるが、何も学んでいない分、わかりやすく語りかけることで認識を変えていくことができる。だから若い人に期待している。」と、幕末から昭和にかけての日本の国体について語られました。
勝兵塾事務局長の諸橋茂一様は、「『リメンバー・パールハーバー』というのは、アメリカの『リメンバー○○』のうち3回目のものである。アメリカはこれまで国民を煽って宣戦布告し、侵略してきた。」「現在の日本国憲法はハーグ陸戦法規に違反しているだけでなく、大日本帝国憲法の改正と言う体裁を取っていたが、大日本帝国憲法に違反している。国際法的にも国内法的にも違法なものである。憲法を簡単に改正するためには廃止の決議をする必要がある。」とアメリカの謀略の歴史や現行憲法の違法性について触れられた後、「河野談話・村山談話は我が国の国益と誇りと名誉を大きく貶めている。そこで私は河野洋平と村山富市に対して、『河野談話』『村山談話』の正当性を問うべく、東京地裁に提訴した。河野洋平に対しては当時衆議院議長であったため、『被告適格を欠く』と言う理由で却下されたため、東京地検に刑事告発をした。東京地検は時効を理由に却下したが、時効7年の範囲内であれば、告発が受理された可能性はあった。村山富市に対しては最高裁まで争った。村山富市側は弁護士を6名立ててきたが、『村山談話』の正当性についての説明は全くなかった。もし私の告発並びに提訴が全く根拠のない不当なものであったならば、両名は、『虚偽告訴罪』、『名誉棄損罪』、『侮辱罪』で逆告訴並びに逆提訴することもできたはずだが、それができなかったのは、『河野談話』『村山談話』が全く根拠もない出鱈目なものだったからに他ならない。さらに問題なのは、政府がそのような好い加減なものを『政府の正式見解』として踏襲し続けていることである。そのことで世界の国々は日本人が戦時中にとんでもないことをしたと思っている。政府はこれに対して抗議をしていないから、『慰安婦の像』なる物が造られ、アメリカその他の国々で『慰安婦に関する日本非難決議』なるものが可決されたのである。戦争当時の日本人は日本を護る為だけでなくアジアの解放という大義を持って戦った。だから戦後のインドネシア独立戦争で約1,000名の元日本兵がインドネシアの青年達と共に戦ったのである。今の日本は独立国家の体を成していない。安倍内閣になり、これから徐々に良くなっていくと期待しているが、一刻も早く『河野談話』『村山談話』を白紙撤回すべきである。」と、日本を貶める「河野談話」「村山談話」の不当性と白紙撤回のための取組を語られました。
最後に元谷塾長は、「外務省の話が出たが、田母神氏が懸賞論文で最優秀賞を取った際、明治記念館でパーティーをしたが、外務省は各国の大使に対して、『パーティーには出席しないでほしい』と連絡し、さらに『外務省から連絡があったことを口外しないでほしい。』と釘を刺した。外務省のチャイナスクールなどは中国に弱みを握られているのではないか。こうしたことも一口に言えば、日本が弱いからである。20世紀を大局的に見ると、宗教戦争とコミンテルンによる世界赤化のための戦いと言える。北方領土も竹島も尖閣も、アメリカが敢えて争点を残し、日本がアメリカを必要とするようにした謀略である。日本が弱いのは全て現行憲法のためである。安倍政権が次の参院選で三分の二を取れたとしても、全体で三分の二を取るのは難しい。そこで南出弁護士が主張し、石原慎太郎も国会で質問したように、現行憲法を廃止し、大日本帝国憲法の改正を行うべきである。現在はまだ中国に対して制海権、制空権で日本が勝っている。日本が優勢なうちに憲法を廃止すべきであり、安倍政権のチャンスを逃すことなくやるべきである。力の背景がないと外交交渉はできない。核を持たない国は何も発言できない。北朝鮮は中国に対抗するために核を持とうとした。軍事力で最も安上がりなのは核兵器である。日本はイスラエルのように、核の開発も保有も一切公表しない法律を作って、核兵器は作らずともパーツだけを造っておき、一週間もあればすぐに組みたてられるようにしておくべきである。」と大局的な視点から、日本を取り巻く問題の本質を示して会を締め括られました。