勝兵塾第16回月例会が9月20日(木)にアパグループ東京本社6階会議室にて開催されました。
冒頭のアパグループ代表、元谷外志雄塾長による挨拶では、「自民党総裁選は事実上、次の総理を選ぶ選挙であり、その結果がこの先の日本の針路を変えると言える。報道によれば、安倍氏が2位に入る可能性が出てきた。まずは2位までに入り、決選投票に残ることが重要である。私は安倍総理の誕生が再び実現することを期待したい。」と自民党総裁選に言及されたほか、「『外交とは軍事力を背景に国益を追求することである』というタイトルで次号のApple Townのエッセイを執筆中であるが、その中で、先の大戦について、太平洋における覇権争いという側面もあったが、キリスト教を基盤に持つ白人優越主義と人種平等を謳う八紘一宇との戦いでもあった、という視点で論じている。キリスト教では白人が選ばれた人種とされており、有色人種を差別することは全く問題ではなかったが、日露戦争における日本の勝利は白人にとって大変な脅威となった。一方、日本は国際連盟で人種差別撤廃条項を提案し、過半数の賛成を得たが、ウィルソン大統領が全会一致を主張し否決されたのである。」と先の大戦に対する新たな視点を提示されました。さらに、「本日、懸賞論文の第一回審査会を開催した。今年は昨年以上の応募があった。」「12月には勝兵塾の関西支部の立ち上げを決めた。和田有一郎兵庫県議会議員に支部長をお願いし、御快諾いただいた。」と、懸賞論文や関西支部立ち上げについて触れられました。
元谷塾長の話に関連して、衆議院議員の馳浩様からは、「この後、町村派幹部の会合があり、総裁選の方針を確認することになっているが、国家のトップを決めるという観点で総裁を選ぶという考え方で動いている。」と、総裁選に関する発言がありました。
パキスタン・イスラム共和国大使館特命全権大使のヌール・ムハマド・ジャドマニ閣下は、「今年は日本とパキスタンの国交が始まって60周年という重要な年である。日本はパキスタンにとって、開発のパートナーであるとともに友人である。日本からはトヨタやスズキ、丸紅、三菱商事など60社の企業がパキスタンに進出している。パキスタンは1947年8月14日に建国された。この地はインダス文明、ガンダーラ文明、イスラム文明という3つの文明の発祥の地であり、大変誇りに思っている。豊かで多様な地形と四季を持ち、商業、文化の重要なルートであり、エネルギーや鉱物資源に恵まれている。」とパキスタンについて紹介された後、「日本は戦後大変な国難を伴いながらも、国の持つ資源を国家目標のために使うことができたが、パキスタンは建国後、国家存続のために戦わなければならなかった。パキスタンはインドやアフガニスタンに隣接しており、国の存続の脅威に対抗してきた。1950年代に日本が経済発展を遂げたのは地理的に独立していたからであった。一方パキスタンは、インドとの2度の戦争を経て自国で核兵器を開発し、またテロとの戦いの前線国家となってきた。このように豊かな資源の多くを防衛に向けてきたことが、現在発展途上国に留まっている理由である。50年間もの間、テロや原理主義者との戦いで多くの市民や兵士を失った。ある推計では800億ドル以上の損失であったとも言われている。またアフガニスタンの隣国であり危険だという風評被害で、外国から投資が来なかった。日本からは多大な支援を受けて、多くのインフラ開発プロジェクトが進行している。今後は開発への援助だけではなく貿易の拡大を望んでいる。」と、日本と比較しながらパキスタンの置かれてきた環境の厳しさについて語られ、今後の日本との関係に期待を示されました。
アサヒビール株式会社名誉顧問で『英霊にこたえる会』会長の中條高徳様は、「私は67年前までは職業軍人であり、その生き残りである。260万という若者がこの国のために死んでいったにも拘らず、いまこの国が揺れている。戦争で夫を失ったある未亡人が、『はじめはなぜ自分の夫が自分を残して死んだのかを考えたときがあったが、今では日本の若者のために死んでくれた立派な方だと思えるようになった』と語っていた。それなのに内閣総理大臣が靖国に行くことができないのは能力がないからである。戦争で夫を失った未亡人の、『かくばかり 醜き国になりたれば 捧げし人の ただに惜しまる』という『うた』が、今の日本に対する思いを表している。総理大臣が靖国に行けないようでは国が栄えるはずはなく、国を守れない。この国の爛れている現状を放ってはおけない。」と、今の日本の憂える強い思いを訴えられました。さらに、「韓国や中国は歴史認識というが、元寇の犠牲者を慰霊するため、北条時宗は中国の無学祖元を招いて円覚寺を建立し、日本の武士だけでなく高麗人等を含む元軍の犠牲者をも分け隔てなく供養した。この円覚寺でアジアの平和サミットをやるべきだ。」と、アジアの平和のための提言をされました。
第29代航空幕僚長の田母神俊雄様は、「尖閣では大変揉めているが、日本の対応は腰抜けである。国際法に基づいた対応をしないのは日本だけである。2ヶ月前にパラオの軍は中国船を沈めたが、戦争にはなっていない。大人の対応、冷静な対応をしてきた結果、どんどん状況は悪くなるだけである。」と尖閣を巡る日本政府の対応を批判され、「尖閣に行こうということで、8名の国会議員を含む150名で8月18,19日に漁船21隻で訪問した。尖閣に行くのは慰霊祭をやるという名目であったが、漁業活動をするということで船乗りの資格を取って行った。天候に恵まれ10人が海に飛び込んで上陸した。自衛隊に勤務していたとき、空から見たことはあったが、海から見た島はまた違う。特に中国人上陸の後だったので、この島を渡してなるものかと思った。尖閣は国益上重要な島であり、絶対に守らなければならない。中国が揺さぶりをかけても毅然とした態度を取れば中国は攻めて来れない。日本では中国の軍事力が過大に報道される。中国の軍事力が日本に追い付くには後10年かかる。その間に日本もきちんと軍事バランスをとっていかなければならない。総理が、中国人が尖閣に来れば必ず沈めると宣言すればよい。それだけで、相当の軍事力を配備したのと同じ効果がある。さらに尖閣の実効支配のかたちを固める必要がある。竹島で韓国にやられているのと同じように日本が尖閣ですればよい。」と、先月の尖閣訪問の模様を披露され、毅然とした態度で尖閣を守る姿勢が必要であることを訴えられました。
拓殖大学日本文化研究所客員教授の黄文雄様は、「尖閣問題に40年以上も取り組んでいる。日本のマスコミが取り上げないことがたくさんある。習近平が雲隠れして誰も彼の行動を掴んでいなかったが、実は浙江省で尖閣問題を取り仕切っていた。尖閣問題は中国内部の権力闘争でもある。胡錦濤は尖閣の日本国有化には賛成である。中国が最も嫌がるのは尖閣が石原の手に渡り石原のパフォーマンスに使われることである。民主党政権から変わっても日本政府が相手ならコントロールしやすいと思っている。中国外務省が尖閣国有化黙認の条件として、上陸しない、環境調査、資源調査を行わない、建物を建てない、という3原則を示している。歴史的にも国際法上も実効支配の面でも中国が手も足も出ないのはわかっている。それではなぜ習近平が反対したのか?それは中国内部の権力闘争である。香港活動家の尖閣上陸は中国政府にとっては実は嫌なことであった。なぜなら日本が逮捕して強制送還したことは、国際的には日本の実効支配をアピールすることになったからである。台湾の新聞は中国の完敗と書いている。また、反日デモは嘘である。その証拠にAKB48の上海版では38,000人が応募している。日中が戦争した場合、アメリカの予想では日本が勝つ。中国が嫌なのは経済的マイナスである。日本と中国が戦争して喜ぶのはインドとロシア、次に韓国であり、世界各国が期待している。アメリカは領土紛争には介入しない。日中戦争が始まってもアメリカはすぐに出て行かず、双方が疲弊したところで仲介役として出て行くだろう。また中国が尖閣の領有権を主張するのは、尖閣は台湾のものであり、台湾は中国のものであると主張したいという面もある。」と、尖閣問題について、中国政府の内情を踏まえ、日本のメディアが報じない視点から解説されました。
兵庫県議会議員の和田有一朗様は、「先日尖閣に行って上陸した。多くの方から『よくやった』という応援の声を頂いた。意外だったのは朝日新聞の購読者からも応援の声を頂いたことである。このことから、新聞の記事が全く読まれておらず、多くの人は新聞やネットの記事のタイトルしか見ていないため、世の中がムードで動いていることを強く感じた。地元の神戸新聞も左寄りの新聞であるが、一面トップで『和田県議、尖閣上陸』と大きく扱い、記事の内容もインタビューの内容がそのまま掲載されていた。一方、朝日と毎日はほぼ黙殺であった。さらに外国人特派員協会でスピーチする機会を頂き、クライン孝子氏のブログでは『これまで中共に連戦連敗してきた宣伝戦での反転攻勢の切っ掛けとなるかもしれない』と取り上げて頂いた。外交は駆け引きであり、宣伝合戦の一翼を担うことができたと思う。」と尖閣に上陸した10人の1人として、体験談を語られました。
東京都議会議員の土屋敬之様は、「北方領土、竹島、尖閣の3つの領土問題のうち2つは不当占拠である。ここには政治家のあり方、官僚のあり方の問題がある。昭和27年の講和条約発効前、李承晩ラインが勝手に引かれたが、外務官僚は当時、こんな島は爆破してしまえばよいと言っていた。また吉田茂は日本を武士国家から商人国家へ変えてしまった。本来なら自主憲法、軍隊を持つべきである。これらの問題について国会の中でしっかりした発言をした政治家がいるだろうか?左翼の集会には何人もの紹介議員が参加するが、我々保守の活動に対しては、国会内の会議室を借りようとしただけでも、誰も紹介議員になろうとしない。だから民主党や自民党の総裁選挙には全く期待していない。現行憲法では自衛権はあっても交戦権は認めていない。憲法を改正しようとしても憲法の枠を超えることができない。石原都知事が主張するように、現行憲法を破棄して、自主的な帝国憲法の改正をすべきである。靖国参拝については国会議員にはもう期待しない。天皇陛下の御親拝だけあればよい。」「元谷代表の座右の銘の中に今の政治家に必要な言葉を見つけた。『できない約束はしない、した約束は守る』という言葉である。」と領土問題や憲法問題について持論を展開され、政治家のあり方について批判されました。
勝兵塾事務局長の諸橋茂一様から、「大日本帝国憲法第73条において、憲法改正の発議権は天皇のみにあること、第75条においては、摂政が置かれるような非平常な状況では憲法改正ができないことが規定されていた。したがって、議会に発議権はなく、占領下という非平常な状況での憲法改正は憲法違反であった。また、ハーグ陸戦法規第43条において、占領は占領地の法規に従って行うとされており、憲法の押し付けはこれに違反する。このように国内法上も国際法上も今の憲法は無効である。」と土屋都議の現行憲法破棄論に関連して、現行憲法の違法性についての補足説明がありました。
東京近代史研究所代表の落合道夫様は、「吉田茂が再軍備に反対し、日本を商人国家にしたという発言があったが、私は違う視点で見ている。アメリカが日本に再軍備を求めた理由の一つには、朝鮮戦争に日本人兵を動員したいという意図があったため、吉田茂は日本の若者をこれ以上犠牲にしたくないという思いからこれを阻止しようとした、という裏話がある。」と土屋都議の吉田茂に関する話に対して、別の見方を示されました。中條様は現行憲法の違法性について、「憲法の問題は極めてシンプルである。現行憲法は占領期間に作られたのだということを全員が認識すべきである。憲法は国民の自由意志に基づいて作られるものであるが、現憲法は占領下で主権のないときに作られたものであるという事実が重要なのであって、憲法第9条は第2、第3の問題である。」と根源的な問題点を指摘されました。これを受けて落合様は、「欠陥のある憲法を直すためには欠陥のある憲法に従う必要はない。」とドイツの憲法学者カール・シュミットの言葉を紹介されました。
セントルイス大学教授のサー中松義郎博士は、「『SPA』に『橋下新党に立ちはだかる最大の敵はDr.中松氏だった!』という記事が掲載された。私が平成元年に出版した本に、日本はこれから凋落していくため、平成維新を起こせと書いた。その後、大前研一氏がそこから名前を取って『平成維新の会』を作った。そこで私は『日本維新の会』を商標登録した。しかしこれまで橋下氏から『日本維新の会』という名称を使用することについて何の挨拶もない。」と、週刊誌が取り上げた橋下氏と中松博士の関係について自ら語られました。
最後に元谷塾長は、「私の今月の座右の銘は、『人生一回 独立不羈(ふき)の精神で 存分に生きろ』である。勝兵塾を通じて、自分にも日本にも誇りをという気持ちに皆さんがなってもらえれば幸いである。」と日本人としての誇りを持つことの大切さを強調されました。さらに、「次回の海外研修ではベトナムのハノイへ行くことになった。ベトナムは世界の大国であるアメリカに勝利し、中国をも苦しめた、誇り高い国だと思う。日本もベトナムから見習うべきところがあるのではないかと思う。是非奮って参加してほしい。」と次回の海外研修に触れられて、会を締め括られました。