勝兵塾第99回月例会が、8月8日(木)にアパグループ東京本社で開催されました。
冒頭のアパグループ元谷外志雄代表による塾長挨拶では、「先日参院選が行われ、勝兵塾から12名の推薦候補者の全員が当選した。2017年に行われた衆院選では、48名の推薦候補者のうち47名が当選した。勝兵塾には延べ19、000人を超える人々が、東京、大阪、金沢のそれぞれの会場で参加してきたが、日本の保守化にかなり貢献してきたと思う。月刊誌『アップルタウン』を発刊して29年になるが、ビッグトークやワインの会、エッセイなどで私の思いを発信してきて、今では毎月10万部を発行している。影響力ある人に影響を与えるために、一部の政党を除く全ての国会議員にも送っている。こうした活動が懸賞論文制度の創設に繋がった。第1回目の懸賞論文では、当時現職の航空幕僚長であった田母神氏が最優秀賞に選ばれ、その内容が政府見解に反するということで、自民党末期政権によって降格、解任されるという、いわゆる『田母神騒動』が起こったことで、日本が覚醒し、その後の日本の保守化に繋がった。昨年からは賞金1、000万円の、発刊済みの書籍や発表済みの論文を対象とした『アパ日本再興大賞』を創設した。勝兵塾の講師特待生には推薦資格がある。8月31日が締め切りなので、懸賞論文やアパ日本再興大賞の推薦状を是非出していただきたい。先日の参院選の広島選挙区で河井あんり氏が当選したことで、安倍総理の自民党総裁4選が決まったと言えるだろう。現在の総裁任期は2021年までであるが、トランプ大統領が再選されれば任期は実質2024年までとなり、安倍総理も4選目が決まれば任期が2024年までとなる。この間に日本が真っ当な国になれるよう、憲法を2回改正しなければならない。1回目の改憲では、憲法を改正することができることを示すために、自衛隊の明記に留め、2回目の改憲で本格的な改正を目指すべきである。衆参ともに改憲勢力で三分の二以上を占めていた参院選前に改憲の発議をしておくべきだったという意見もあるが、その時点で発議をすれば、国民投票で惨敗しただろう。そこで、参院選で少し負けてでも、国民民主などの野党の協力を得て、与野党で改憲発議をした形をつくることで、国民の支持を得たいということだったのではないかと見ている。安倍総理は、来年第1回目の改憲をするために、自民党案に拘らず、皆が賛成できる内容で良いと考えているのではないだろうか。現行憲法の改正条項に基づく改憲をしていくためには、二段階の改正が必要だろう。」と、先日の参院選を総括し、改憲に向けた戦略を示しました。
衆議院議員・自民党厚生労働部会副部会長・日本大学医学部客員教授の三ツ林裕巳様は、「先日の参院選では自民党は57名が当選し、与党で141議席となった。改憲勢力で三分の二には達しなかったが、憲法改正については、憲法審査会等で丁寧に、国民の目に見えるように議論を進めていく。国会で憲法審査会が開かれない状況では、地元で改憲の議論は盛り上がらない。国が改憲の議論を発信していくことが、地方での議論の盛り上がりにつながる。先日の選挙で、野党が烏合の衆であることが理解されていないと感じた。自民党は東北の大切な選挙区で野党に負けた。埼玉県知事選が本日告示された。野党から2名が立候補する予定であったが、2日前に一本化された。自民党は青島健太氏を推している。青島氏は、春日部高校、慶應義塾大学を経てヤクルトスワローズに入団し、スポーツを真剣にやり続けてきた素晴らしい方で、リーダになれる人だと思う。野党が一本化したことで、厳しい情勢ではあるが、埼玉県民の方は、是非青島氏を応援していただきたい。」と、埼玉県知事選について触れられた後、「私は国会議員になる前は医師であったが、医師としても議員としても一番大事にしなければならないのは、人々の健康を維持していくことである。現在高齢者は65歳以上と定義されているが、科学的知見からは、10年以上若返っており、65歳は高齢者ではない。高齢者の定義を75歳以上にしていくべきである。14歳以下の人口は現在約1、600万人だが、2040年には1、200万人になる。生産年齢人口は減少し、高齢者人口が増えていき、65歳以上の人口は2040年には約40%になる。日本の人口は2065年には8、800万人になると推計されている。この推計通りになってはいけない。安倍政権がやっていることは、子供の人口を増やし、健康な人は選択して仕事に就ける社会にしていくことである。これが『一億総活躍プラン』である。現在進めている『新・3本の矢』では、GDP600兆円、出生率1・8、介護離職ゼロの社会を目指している。そのために、働き方改革により長時間労働の是正を進めている。安倍政権の取り組みを理解していただきたい。」と、少子高齢化に対する安倍政権の取り組みを紹介されました。
武心教育経営塾塾長の近藤建様は、「シベリア抑留について今の若い人達に聞いても、さっぱりわかっていない。しかし、シベリア抑留は日本人として忘れてはならない出来事である。ソ連に酷い目に遭わされ、多くの人々が亡くなられたが、その人数さえわかっていない。日本人として、シベリア抑留を闇に葬ってはならない。だから私は、8月15日に靖国神社でプラカードを付けて、シベリア抑留のパンフレットを配布する。シベリア抑留で亡くなった方々の慰霊が行われていない日本は、一流の国と言えるのだろうか。そもそも、靖国神社に総理大臣が参拝するのもおっかなびっくりで、ほとんどなされていないことも問題である。私はシベリア抑留問題について、自分の人生を賭けるに値するものであると考えている。中国残留孤児が生まれたのも、ソ連が攻めてきたからである。ソ連は日本が敗戦する寸前に突然攻めてきて、日本は8月14日にポツダム宣言を受諾し、15日に終戦を宣言したが、ソ連は9月5日までずっと攻め続け、多くの日本人をソ連に連れて行ったのである。これは、捕虜でも何でもない。だから、ソ連によって拉致、強制連行された方々を『戦後強制抑留者』と呼ぶ。平成17年に鳩山由紀夫は、『シベリア抑留者は、ソ連が言う戦争捕虜ではなく、北朝鮮の拉致同様、もう1つの拉致である』と代表質問で言っている。鳩山氏は色々バカなことを言っているが、この一言だけは私は彼を評価している。しかし、シベリア抑留を第二の拉致と認識している人はほとんどいない。北朝鮮による拉致問題への取り組みでは、『ブルー・バッジ』があるが、シベリア抑留問題について私は『ホワイト・バッジ』を作ろうと思っている。」と、シベリア抑留問題への取り組みについて語られました。
東京国際大学学長・慶應義塾大学名誉教授・の塩澤修平様は、「叔父がシベリア抑留され、幸い無事戻ったが、あの行為は完全に国際法違反であるが、アメリカとの関係もあったのではないか?」と質問され、近藤様は、「私は歴史家ではないので、その辺りのことはわからないが、日本が間もなく敗戦するというタイミングでソ連が火事場泥棒として入ってきた。その時にいかに卑怯で残虐なことが行われていたのかを正しく後世に伝えていかなければならないと思っている。石ころと同じように凍った死体が外に放置され、野獣に食われたようなことがあったらしい。あの方たちの御霊はまだ祀られていないと思っている。」と答えられました。
大阪観光大学専任講師・日本国史学会事務局長の久野潤様は、「『決定版日本書紀入門』という書籍を出版した。日本書紀は、戦後の日本においてファンタジーだと言われるようになった。橿原神宮は初代神武天皇が祀られているが、即位された場所でもある。そのため、毎年2月11日に紀元祭が行われている。その隣に神武天皇陵がある。こうした建国の経緯が今の日本の教科書では全く語られなくなっている。建国の経緯を伝えているのが古事記であり日本書紀である。古事記は少し前に1300年を迎えて少し盛り上がったが、来年1300年を迎える日本書紀は、なかなか盛り上がっていない。しかし、日本人は国難の度に、日本書紀に書かれている建国の経緯や歴史、国体を思い出しながら対処してきたという事実がある。例えば、神武東征に関して、昭和15年(紀元2600年)に自分達が何のために戦っているのかを明確に示すために、東征出発の地を皇軍発祥の地とした。つまり、陸軍も海軍も建国以前からの歴史を背負って戦っていたのである。靖国神社について、『明治時代に国家が国民を駆り立てるために造った、伝統でも何でもない新しい施設だ。』と否定する学者もいるが、これは大嘘である。神武天皇が大阪に上陸し、奈良へ進もうとした際に、孔舎衛坂(クサエノサカ)で長髄彦(ナガスネヒコ)という豪族が立ちはだかり、神武天皇の兄である彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)が戦死し、竈山(カマヤマ)陵に葬られ、神として祀られて竈山神社となった。つまり、戦死した人を慰霊するだけでなく神として祀ることは、建国以前から行われている伝統である。また、第14代仲哀天皇の時代に熊襲が反乱を起こしたが、熊襲征伐に関して、『熊襲を攻めるのではなく、熊襲を援助している朝鮮半島の三韓を攻めよ』という神のお告げがあった。仲哀天皇はこのお告げに従わずに亡くなり、神功皇后が三韓征伐を成功させたら熊襲の反乱が止んだ。そして、神功皇后は大阪に戻り、今の住吉大社を造って神を大切にした。さらに、神功皇后も神になった。〇〇八幡宮と呼ばれる神社が全国にあるが、これらは神功皇后を祀った神社である。白村江の戦いでは、捕虜になった大伴部博麻が、唐の日本襲撃計画を耳にして何とか日本に知らせたいという思いから、自分を奴隷として売り、その金で仲間を日本に帰国させた。このことに対して持統天皇は勅語を贈った。江戸時代には、徳川光圀が大日本史を編纂した。天皇中心の歴史を編纂し、日本書紀をベースに歴代天皇と天皇を支えた忠臣について書かれたものである。その少し後に、蒲生君平が、歴代天皇の御陵を確定する作業を3年かけて行って書いたのが『山陵志』である。天皇の存在だけでなくその御陵を確定したことで、実在性を示したのである。このように、日本書紀から学ぶことは多いが、1300年に当たり議員連盟を立ち上げてほしいと依頼しても、来年は東京五輪ということで国会議員の反応は鈍い。しかし昭和15年には、戦時中でありながら、東京五輪を開催する予定であったが、同時に2600年奉祝事業を行っていた。日本書紀を復活させ、国難に対処してきた歴史を学んでいくべきである。」と、日本書紀に書かれたエピソードを紹介され、日本書紀の大切さを説かれました。
戦後問題ジャーナリストの佐波優子様は、「シベリアに抑留された方々のお話を聞かれたと話されていたが、その中で特に印象深いエピソードがあればご紹介頂きたい。」と質問があり、久野様は、「占守島に配属されていた戦車第11連隊は、8月18日にソ連軍が侵攻してきた際に、圧倒的な敵に対して大ダメージを与えたが、その後停戦命令が出たために、仕方なく矛を収めてシベリアへ抑留された。しかし、圧倒的に優勢なソ連軍と戦って勝ったという意識があったため、抑留中も唯々諾々と命令に従わず、突っ張っていた方々が多かった。終戦後2日間は何も起こらなかったが、目と鼻の先にソ連軍がいても、『まさかソ連が攻めてくると思わなかった。』と話されていた。戦前でさえ、日本人は平和主義的な発想を持っていたのだから、今の日本人は余程注意しなければならないと感じた。」と、エピソードを紹介されました。
NPO法人東京オペラ協会代表・芸術監督の石多エドワード様は、「母はフィリピン人で戦時中は日本軍の報道部に勤めていた。祖父母がフィリピンへ移民して、父はフィリピンで生まれ、フィリピン大学を卒業して働いていた。母が私を身籠っていたときに戦争が終わり、母はゲリラから命を狙われたため、フィリピンから逃げるように日本に移った。父は戦犯の通訳をさせられ、大変辛い思いをした。私は1945年9月に日本で生まれ、高校時代には音楽が好きで、音楽の力で世界に貢献できないかと考え、音楽大学に飛び込んだ。音楽大学に入ると、皆教え込まれるように音楽をやらされ、狭い視野で音楽を競い合っていたのを目にして愕然とした。このままでは音楽の力で世界を幸せにすることはできないと考え、音楽界のピラミッドから抜け出して、独立独歩でいこうとした。そうした生き方をしていると、案外助けてくれる人がいた。私の目標は音楽の力で世界を平和にし、人間を楽しくさせることであった。そのために音楽の素晴らしい力をどうやったら活かせるかと考え、オペラをやろうと決めた。日本の心をオペラの中に入れ込んで、それを海外に向けて発信して海外の人と共演するのである。例えば、『忘れられた少年』というオペラは、天正遣欧少年使節の話である。長崎県の大村市から委嘱を受けて創った。4人の少年たちが、信長の命を受けて世界中を8年半かけて周り、帰国したら秀吉の時代でキリスト教は禁止されていて、帰国後4人がばらばらの人生を歩んだところに興味を持った。伊藤マンショは働き過ぎて早死にし、原マルティノは伴天連追放令によってマカオに追放されて客死し、千々石ミゲルはキリスト教を棄教し、中浦ジュリアンは壮絶な殉教を遂げた。ローマ法王にもこのオペラを見てもらった。今年はポーランドと国交樹立100周年で、この9月にはポーランドの人達と共演する。共演して一緒にオペラを創り上げるのは大変なことであるが、表面的な国際交流ではなく、深い信頼関係ができる。徐福伝説を扱った『蓬莱の国』では、中国国立オペラ団とコラボしたが、一緒にオペラを創り上げる中で苦労もあったが、お互い認め合うようになった。『高山右近』はフィリピンとの合作である。こうしたオペラを通した国際交流を行っている。」と、オペラを通じた国際交流について語られました。
株式会社KBM代表取締役会長・勝兵塾事務局長の諸橋茂一様は、「国家として日本政府は平気で嘘をつき約束を破ることはできないが、中国、韓国、北朝鮮、ロシアが平気で嘘をつき、他国の物を盗る国であることは歴史が証明しているのであるから、そういう認識で対処しなければならない。紳士的に話ができる相手となら紳士的に話し合えばよい。しかし、時と場合と相手によっては対処の方法も変えなければならない。中国や韓国が反対するから日本の首相が靖国参拝できないとは、何を考えているのかと思う。それでは中国、韓国が『もう靖国に行っても良い。』とお墨付きを与えたら行くのか? それはどちらもおかしい。8月4日に石川護国神社で大東亜聖戦祭が行われたが、石川護国神社には高さ12mの大東亜聖戦大碑がある。これは、大東亜戦争が聖戦だったことを示す碑を建てたいと、中田清康先生と草地貞吾先生が中心となって活動を行い、平成12年に建立されたものである。中田先生は3年間、草地先生は11年間シベリアに抑留された。草地先生はソ連からどんな虐待を受けても屈せず、最後にはソ連も諦めて日本に返したそうである。」と、人も国家も毅然とした態度を取ることの必要性を説かれました。
早稲田大学ビジネススクール教授の相葉宏二様は、「8年半前に中国語の勉強を始めて、そのうち中国の文化や歴史を知るために本を山ほど読んだところ、自分が学生時代以来学んできた歴史が間違っていることに気付いた。そこで若い人達に真実を知らせる本を書こうと、東アジアについて3冊、東南アジアについて1冊、私の家族の戦争経験について1冊を、電子書籍として出版した。さらに、英語と中国語への翻訳も自分でやろうとしている。歴史に興味を持ったのは父が特攻隊の生き残りで、母が原爆の生き残りであり、幼年時代をシンガポールで過ごした経験があったからである。その中で、中国からの圧力に屈せずホテルを経営されている代表の書籍を読み、勝兵塾に参加させていただいた。」とご挨拶をされました。
最後に塾長は、「今日本は非常に危ういところに来ていると思うが、多くの人はそのことに気付いていない。日本の周りの国は皆核保有国であり、文在寅政権は北朝鮮がつくった政権であり、このままでは北が主導権を持つ連邦国家が生まれる可能性がある。核兵器は1発持つだけで効果的であり、北が核兵器を持ったことで大国アメリカと対等に渡り合えるようになった。北と韓国が一体となれば、日本を脅して莫大な戦時賠償を求めてくるだろう。さらにそれを中国がコントロールすることになれば、日本は中国日本自治区に成り下がらざるを得なくなってしまう。平和には、『支配する平和』と『支配される平和』、『力の均衡に基づく平和』の3つの平和があるが、日本が選択できるのは『力の均衡に基づく平和』しかない。それでは現行憲法で力の均衡に基づく平和が保てるかと言えば、手足を縛られた自衛隊では難しい。抑止力としての攻撃力を持たなければならない。そのためにも、憲法を改正するとともに、非核三原則を廃止して、アメリカとニュークリア・シェアリング協定を結べ、と何度もエッセイに書いてきた。そのことで核のバランスを取ることができる。一日も早く真っ当な国になってほしいという思いで、毎月勝兵塾を開催している。」と、核保有国に囲まれた日本に警鐘を鳴らして会を締め括りました。