勝兵塾第113回月例会が11月18日にアパグループ東京本社で開催されました。
冒頭のアパグループ元谷外志雄代表による塾長挨拶では、「今朝の日経新聞によれば、10月の訪日客は98・9%減とあった。日本は観光大国への道を進まなければならないと常々言ってきたが、コロナ禍にあって非常に厳しい状況である。アパホテルはこれまで東京都心では月間稼働率が100%という状況が続いていたが、4月頃から厳しくなっている。報道によれば、国内ホテルの稼働率が、9月は39・5%、10月は49・3%である。アパグループはこの3年間で毎年350億円、3年間で計1、050億円の利益を計上してきた。創業以来一度の赤字も出したことがないアパが、今年は赤字になっては恥ずかしいので、何とか黒字になるよう頑張っているところである。勝兵塾は毎月3カ所で開催してきて、いずれも盛況になってきており、本日も多くの方々にお集まり頂いた。」と、コロナ禍でのホテル業界の厳しさに触れました。
自民党参議院国会対策副委員長・参議院議員の和田政宗様は、「9月までは国土交通大臣政務官観光政策担当として、Go Toトラベルの立案、制度設計に関わってきた。感染拡大が起きている中で、Go Toトラベルが原因だったのではないかとの報道がなされているが、これを明確に否定したい。10月末時点で利用者が約4、000万人であったが、そのうち陽性者が約150人であった。確率から言えば、極めて小さい数字である。これもひとえに、利用される方々や宿泊事業者、交通事業者の方々に徹底的に感染防止対策をして頂いたからである。Go Toトラベルを立案するに当たって考えたことは、市中にお金が回ることである。私はNHKのアナウンサーであったが、その約20年間はすべて失われた20年であった。バブル崩壊やリーマンショックがあり、他の主要国は積極的な財政政策を行って景気を下支えしたが、わが国は財政再建のために緊縮財政をしたことで、我が国だけが沈んでしまった。ちなみに20年前と比べて、国家予算は、アメリカは2倍、イギリスは2・5倍となり、サラリーマンの平均給与は、アメリカは1・5倍になった。一方日本は、20年前と比べて国家予算は1・3倍、サラリーマンの平均給与は20年前の水準に未だ戻っておらず、95%に過ぎない。これはやるべきときに財政出動をしなかったからである。中国の爆買いが日本で起きたのは、中国の中間層にとっては日本に来ると物価が安かったからである。今中国の中間層や欧米諸国と給与水準を比べると、日本が一人負けである。こうした状況で、今回のコロナショックが起こった。だからしっかりと財政出動をしなければならない。特に宿泊業界、観光業界はコロナの中で非常に困難な状況である。またコロナの初期に、感染拡大の中でアパホテルをはじめホテルで感染者を受け入れて頂いた。痛んでいる宿泊事業者にしっかりと立ち直って頂かなければならないという思いでGo Toトラベルを立案した。当初4、000億円くらいの予算規模で考えていたが、官邸や党と調整する中で、官房長官から1兆3、500億円まで枠を確保したと話があった。事務局経費を除く真水の部分で1兆1、000億円あり、宿泊料金の割引と地域共通クーポンで実質半額がキャッシュバックとなるので、しっかり使い切れば2兆2、000億円の効果があり、シンクタンクによれば、最終的な経済効果は5兆~8兆円になると言われている。現在第3次補正予算の議論が自民党で始まっている。財務省は10~15兆円という規模を匂わせているようであるが、我が党としては30兆~40兆円でGDPギャップを埋めて景気を下支えし、コロナに打ち勝っていかなければならないと考えている。Go Toトラベルについても更に予算を積み増しできるようにしていきたい。外国人観光客が来ないのは辛いことではあるが、国内旅行消費の8割は日本人であり、まずは日本人にしっかりと感染予防対策をしながら日本国内を巡って消費をして頂き、耐えていくことが重要である。」「今週になってからテレビ朝日が、中国が台湾に軍事進攻するのではないかという話題を取り上げるようになった。そうした中で今、菅政権が安倍政権の積み重ねた外交の上にさらに積み増すよう積極的に行動している。なぜ中国が台湾に侵攻する可能性があるのか。これは習近平国家主席が憲法改正をして永続的に国家主席でいられるようにしたときに、『私がさらに任期を続けるのは台湾を統一する意思があるから』と明言したからである。そこでは軍事侵攻とまでは言っていなかったが、今月顕在化したのは、中国中央軍事委員会副主席の許其亮が、『能動的な戦争立案』に言及したことである。10月6日に日米豪印で外相会談をし、ポンペオ国務長官が出席した後、ベトナム、インドネシアを訪問した。オーストラリアのモリソン首相が帰国してすぐに来日した。日本を中心に中国の覇権主義に対抗していく意識が大切であり、菅政権はそれに向かって邁進している。報道ベースではあるが、中国の王毅外相が訪日したいと報道されている。日本が強く行動して中国の覇権主義に対抗していれば、向こう側から来るのである。」と、Go Toトラベル事業の政策的意味と菅政権の外交方針について語られました。
前環境大臣・衆議院議員の原田義昭様は、「自民党の和田政宗君からしっかりとした方針をお話し頂いた。彼は元々野党から自民党に来たが、旧来の自民党の議員を圧するような活躍をしている。菅政権の大きなテーマとして、デジタル・トランスフォーメーションをしっかりやっていくことであり、デジタル庁を来年の9月に設立すると宣言している。2000年頃は、日本はデジタル技術で圧倒的に進んでいたが、今は中国やアメリカに圧倒されている。デジタル庁は単なる調整官庁ではなく、権限を持たせて、デジタルに関しては外に向けて一本で直ちに対応していく。もう一つ重要なテーマは、経済と環境の合一性である。菅政権は『2050年カーボンニュートラル』を高らかに掲げており、2050年までに脱炭素を図らなければならない。これは国際社会ではすでに広まっていたが、日本ではそこまで進んでいなかった。簡単ではないことは事実であるが、官民挙げて実現していかなければならない。これに関して、『2050年までにCO2をゼロにするのは難しいのではないか、原子力を活用することを目論んでいるのではないか』という質疑が行われたが、菅総理は、『原発の再稼働については全力を尽くすが新設の原子力については、今は考えていない』と答えた。エネルギーの需給を考えれば、原子力エネルギーを活用しなければ絶対に実現できない。日本人はあらゆる局面でイノベーションが得意だった。これから次世代、次々世代の原子力技術のシーズを創り上げていくことが必要である。現在は約20基ある原子力発電所のほとんどが止まっていて、そのために5兆5千億円程の原油を海外から買っている。コロナについては困った面もあるが、コロナ騒動によって課題に早く気付くことができたとも言える。この勝兵塾を毎月開催されて政治にも大きな役割を果たしていることに敬意を表したい。」と、菅政権が取り組む主要な課題について論じられました。
議員立法支援センター代表の宮崎貞行様は、「行政不服審査法という法律があるが、これに基づいて不服審査を申請するというのはどうか?」と質問され、藤岡様は、「不服審査は総務省が管轄しているが、直接は文科大臣宛に申請することになっている。検定が終わったらアクションを起こすつもりである。」と答えられました。
産業遺産国民会議専務理事の加藤康子様は、「産業遺産情報センターが総務省の別館に3月31日に開設され、6月15日から一般公開された。明治日本の産業革命遺産が世界遺産登録されたのが2015年である。我々は文化庁とはずっと戦ってきて、最後まで文化庁の審議会は世界遺産登録に反対だったため、内閣官房の中に新しい枠組みを作って登録を申請した。幕末から明治の近代史に対して文科省の中では厳しい意見もある中、私はわずか半世紀で日本が急速な産業化を果たし、工業立国の土台を作ったからこそ今の経済大国があると考えている。今の日本では、自動車、化学、半導体などの製造業が経済の大切な部分を担っている。日本でものづくりを頑張ってもらわないと、日本の経済力が落ちていくと心配している。日本に産業を興そうとした幕末の長州ファイブや薩摩スチューデントの皆さんの志を忘れないでほしい。そういう思いで明治日本の産業革命遺産の世界遺産登録を進めた。産業遺産情報センターに対して、左翼メディアは『なぜ負の遺産を承継しないのか、徴用工の犠牲者を悼む施設になっているのか』と質問してくるが、産業遺産情報センターでは日本の歴史、産業史のファクトをありのまま伝えていきたいと考えている。センターの第3コーナーでは今まで公開されていなかった一次資料を公開していこうと考えている。軍艦島(端島)については、世界一のアーカイブがある。必ずしも韓国政府の期待に応える内容ではないかも知れないが、ありのまま公開し、それをどう受け止めるかは歴史学者が考えれば良い話である。NHKが取材に来て、『負の遺産をどうして継承できていないのか』という特別番組を作り、私が歴史を美化していると糾弾した。幕末から明治、昭和の時代は一生懸命日本人が頑張って真っ黒になって働いて、日本の産業を興し、日本の経済を復興させた。負の遺産というイメージだけで昭和を語ってほしくない。これから流す動画は、『緑無き島』というタイトルで、昭和30年に放映されたNHKの軍艦島に関するドキュメンタリーの1シーンが捏造され、軍艦島の負の遺産がNHKから始まったことを端島の元島民とともに立証したものである。明日『軍艦島の真実』という動画を是非YouTubeで見てほしい。21分の動画を公開するが、本日は2分半のダイジェスト版を見て頂く。」と、明治日本の産業革命遺産について紹介され、「軍艦島の真実」のダイジェスト動画を視聴しました。
英霊の名誉を守り顕彰する会会長の佐藤和夫様は、「私が大学を卒業して就職した後、肺炎にかかって入院していたときに、三島事件が起こった。それをきっかけに、国家のために命を捧げるという思いで自衛隊に入隊した。最初に勤務したのは滝ケ原駐屯地で、そこは三島さんや盾の会を指導した駐屯地である。実際に指導した人がたくさんいたが、その中の一人が三島さんに自衛隊に来た理由を聞いたら、三島さんは『左翼の革命が起こったら戦うためだ』と答えたそうである。その後私は幹部候補生学校に入り、その校長が旧軍の方だったので、『鬼畜米英と言いながら戦った校長が、どうしてアメリカの傭兵のような自衛隊に入ったのか?』と聞いたら、翌日隊長に呼ばれてこっぴどくやられて、その時の成績は最悪だった。その後自衛隊で多くの人々と接する中で、皆さんが国のために一所懸命やっていることが分かったので、そういう気持ちを封印してきた。それだけ微妙なテーマだったのである。その後北部方面会計隊に入ったが、その隊長が三島さんに斬られた寺尾克美さんだった。病院に運ばれた寺尾さんは、後で三島さんが憲法改正を訴えて亡くなったことを知り、それを邪魔しようとしたことを悔いておられた。第五師団では東師団長に仕えたことがある。東さんは三島さんと若い頃によく討論した方である。東さんは、アメリカはけしからんと言っておられた人で、師団長止まりだった。アメリカを嫌う人が出世できないのも自衛隊の真実である。私が自衛隊を辞めて務めたビル管理会社の上司が菊池勝男という、三島由紀夫が恩師と仰いだ方だったが、まさか三島さんがあんなことをするとは思っていなかったので、テレビで見て驚いたそうである。そうしたら奥さんから、『あなた、どうして一緒に戦わないの!』と怒られたらしい。その会社を辞めた後、戦前と戦後の意識のギャップを埋めたいという思いで『英霊の名誉を守り顕彰する会』を立ち上げた。自衛隊ではこれまで来栖弘臣、竹田五郎、田母神外志雄という、3人の高官が更迭されている。日本の戦後レジームは自衛隊の中にある。私が得た感触では、自衛隊の中に三島さんに反感を持っていた人はいないと思う。そして憲法の中で苦悩したのが自衛隊だと思う。東さんは、『自衛隊を抑えているのが米軍だ』と言ったが、その先兵となっているのが人事権を握る内局であり、それは憲法に基づいてやっている。自衛隊は憲法の枠の中でもがいている。三島さんが、新宿騒乱で自衛隊が出動できなかったのを見て、100年、200年憲法改正はないだろうと今の状況を見切っていたところが天才だと思う。我々は三島さんの遺志を受けて伝えていく役割を持っていると思う。」と、自衛隊での三島由紀夫を巡る経験を語られました。
フリーライターで『呉本』『江田島本』著者の丸子玲子様は、「私は広島県呉市出身で、現在はフリーライターとして、主に舞台やドラマなどの芸能人のインタビューをしている。2016年の映画『この世界の片隅に』が非常に話題になったが、これで私は呉で大きな空襲があったことを知った。自分の故郷の歴史をどうして他の人から教えられているのかという苛立ちと嫉妬を覚え、それまで歴史に興味がなかったのが、呉探索を始め、2018年に『呉本』を出し、今年『江田島本』を出した。本を出版するために自分で出版社を立ち上げて自費で出版したが、呉本は初版1000冊、2版500冊は完売した。軍艦は当時アイドルだったという話を聞いた。呉の空襲の事だけを知りたいと思って勉強を始めたが、呉は旧海軍の鎮守府と工廠が置かれたということで、歴史に登場した。帝国海軍第一の製造所と言う運命を帯びて明治24年以降、飛躍的に拡張されていった。その造船ドックはまるで母の胎盤のようで、扶桑や長門が造られた呉工廠では、計67隻が建造された。大和は浮沈艦と言われるが、鋼材の34・4%は防御に使われ、特殊な装甲は呉で開発され、呉工廠でしか製造できなかった。艦内は1、648の区画に分かれていたが、これは注排水システムの為である。こうした裏付けがあって浮沈艦と呼ばれる。また大和には機能美がある。2005年に大和ミュージアムがオープンしたが、そのとき戸髙館長は『あんなカッコいい展示でええの?』と聞かれ、『カッコいいな、というところから入って、もっと知りたいと思ってもらって、(中略)そうして、【カッコいいだけじゃない】ところにたどり着いてほしいんです。』と答えた。『戦艦は活躍してはいけない』とは2015年の大和の潜水調査に参加した学芸員の言葉である。『陸奥と長門は日本の誇り』というかるたがあり、長門の引渡式には6万人の一般市民が集まった。この時代までは戦艦はアイドルとして国民に広報されていた。ところが大和になると極秘となった。戦争するのは兵器や戦艦ではなく人である。いつの時代も軍事は技術の最先端を行く。人は驕ることなく、技術を正しく使い、決して技術に使われてならない。呉について調べていると、工廠が戦後戦犯工場と呼ばれていたことにショックを受けた。この汚名を返上したいという思いを持っていた。歴史を知り、敬意を持ち、オーラルヒストリーを大切にする。きちんと史実を追い求めていきたい。」と、呉の歴史と戦艦について語られました。
最後に塾長は、「これまで多くの方々に講演をいただいた。本日も大変素晴らしかった。」と挨拶をして会を締め括りました。