勝兵塾第111回月例会が9月17日(木)にアパグループ東京本社で開催されました。
冒頭のアパグループ元谷外志雄代表による塾長挨拶では、「先日、勝兵塾・ACC・FC・PH合同でアパ発祥の地を巡る視察旅行を実施した。私が生まれたのは戦時中で、当時父は船の舵輪を製造する軍需工場を経営していて100名近い従業員を雇っていたので、私も将来事業家になりたいと思っていました。事業家になるためには金融の勉強をする必要があると考え、学問は慶應義塾大学経済学部の通信教育で学び、実践での金融は小松信用金庫に入って学びました。地元の信用金庫を選んだのは、父が亡くなってから私は一家の主として家族の面倒を見ていたため、家を離れての転勤ができず、地元の信用金庫だと転勤があっても家から通勤できる範囲であったからである。毎月座右の銘を発表しているが、今月は『人間 見た目が大事 表現力は力』であります。勝兵塾は、東京、大阪、金沢の3会場で合わせると、今回で302回目となり、これまで延べ3万人近い人が出席しました。そのこともあって、世の中の保守化に幾分か貢献してきたと自負しています。」と、創業時の思いなどを語りました。
株式会社ユミカツラインターナショナル代表取締役社長の桂由美様は、「代表、ホテル社長と私の共通点は、日本が大好きで、日本の為なら何でもするということである。日本を愛する気持ちでは人後に落ちない。私はブライダル・ファッションデザイナーと紹介されることが多いが、私が初めて店を出した55年前は、日本にはまだブライダルという言葉がなかった。母が洋裁学校を経営していたので、私は学校を継ぐよう育てられた。当時の結婚式は神前で着物を着て行われるのが一般的で、ウエディングドレスを着たのは外国人と結婚する人や、クリスチャン、外国生活が長かった人くらいで、全体の3%くらいしかいなかった。そうした人は、高いお金を払ってウエディングドレスをオーダーするしかなかった。当時、日本人の女性の身長は今より12センチも低く、外国人より20センチくらい低かったのでサイズが合わなかった。そこで、洋裁学校の生徒からそういう人たちの手助けのためにウエディングドレスをやったらどうかと言われて、55年前に店を始めた。社員には夢は城のように大きく持ち、毎日の仕事は石垣を積み上げるようにやりなさいと言っています。私は一気に何店舗もやるのではなく、自力でできる範囲でやってきた結果、今では結婚する人の99%はウエディングドレスを着るようになった。以前石原慎太郎氏が私を『ウエディングドレスでビルを建てた人』と紹介したので、私は『ウエディングドレスのためにビルを建てた』と言った。55周年のパーティーではデヴィ夫人にも参加して頂いたが、菅さんにもビデオスピーチで参加して頂いた。私はウエディングドレスに日本の美を入れ込むことを意識している。日本の結婚式にはお色直しがあるので、必ずどちらかで和装を着てもらいたいと思っている。しかし、今は結婚式で和装を着る人は3分の1もいない。さらに普段着物を着る女性を見ることがなくなった。そのため、京友禅など着物の関係者がどんどん潰れている。京友禅は世界の民族服の中でも最も芸術性が高いと思う。そこで、私は現代のファッションに京友禅を取り入れている。また、結婚人口が減っているので、結婚記念日にウエディングドレスを着て祝う活動をしている。子供が親のドレス姿を見ると結婚したくなる。今までやってきた仕事の中で最も大変だったのは、ローマ法王のヨハネ・パウロ2世の衣装を作ったことである。博多織がずっと元気がなかったので、この生地はローマ法王の衣装にピッタリだと思い、知り合いのイタリア人を通じてローマ法王庁に話した。できた衣装は法王に気に入って頂き、復活祭の他、何度も着て頂いた。」と、ウエディングドレスに込めた思いを語られました。
一般社団法人新しい歴史教科書をつくる会顧問の杉原誠四郎様は、「教科書採択制度の改善について話すので、自民党の教科書検定制度に関わる人達に今日の話を知らせてほしい。教科書が左傾化しているのは、教科書会社が左だからではなく、左の教科書しか売れないからである。教科書採択制度を変えれば教科書も変わる。この度のつくる会歴史教科書検定不合格事件によって、教科書検定制度の信頼は根底から崩れた。検定制度が改善されるまでには短くても数年はかかるだろうが、その間にも教科書採択制度の改善によって、教科書の改善を進めていくことが出来る。教科書採択制度は昭和31年に現在の任命制教育委員会ができてから原則的には何も変わっていない。国民や地域住民が教科書の内容を知らないうちに採択が決まり、国民や地域住民が事実上、採択に影響を与えることが出来ない仕組みになっている。そこで改善策を提案したい。まず見本本をPDF化して教科書の全頁を公開すべきである。これまでは地域住民の意見を反映させるためとして、教科書展示会が開催されたが、地域住民が会場に赴いて短時間で調査研究し、意見を提出することは容易ではなく、形骸化した制度である。ITが発達した現在、見本本をPDF化して公開すれば、地域住民はもっと精密に比較検討して、適切な参考意見を教育委員会に提出できるようになる。さらに偏向した記述があれば、社会の批判にさらされることになり、教科書の改善に役立つだろう。次に、問題のある記述が見つかった場合は採択期間であっても採択教科書の採択替えができるようにすべきである。現在の制度では原則的に4年間の採択期間があり、その間は採択教科書を替えることはできない。しかし、採択した教科書に問題が見つかれば、自由に採択替えできるようにするのが当然である。さらに、教育委員会はどのような教科書を採択したいのか事前に明示すべきである。教育委員会は採択方針を決めないままに、教員に採択のための調査を依頼しており、結果として、教員の好む自虐史観に基づいた教科書が採択されている。そのため、教科書会社は教員の好みに合うように自虐史観に基づいた教科書を制作しているのである。」と、教科書採択制度の改善案を示されました。
前環境大臣・衆議院議員の原田義昭様は、「菅内閣が発足した。課題が山積しているが期待してほしい。先ほど桂由美先生から博多織は元気がないという話が出たが、私は博多織の顧問を務めていて、10年前には若手を育てる学校がつくられ、その生徒が社会に出ている。桂先生から頂いたアドバイスを踏まえて、さらに頑張っていく。教科書問題については、勝兵塾を中心に杉原誠四郎先生とは励まし合ってきた。私は総務会の会長代理に就任する予定なので、政調会とともに総務会でも取り組んでいく。先月も教科書検定の問題が話題に出て、そんなに酷い検定調査員は辞めさせたらどうかという話もあったが、菅内閣で人事局がどう扱うか、また、河野太郎氏が既得権益を打破すると言っているので、雰囲気としては良くなっていくと思うが、一方で公務員は身分保障があるため、辞めさせるのはなかなか難しい。しかし、しっかり取り組んでいくので期待してほしい。」と、コメントをされました。
国際文化人のラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ様は、「教科書問題について不思議に思うのは、私が子供の頃は教科書を文部省が作っていたと思うが、なぜ今は民間の会社が教科書をつくって自虐的な教員が選んでいるのかということである。こうしたことを自由にさせているのがおかしいのであり、文科省が上から命令をすれば済む話ではないかと思う。」と、教科書問題のおかしさを強く指摘されると、「戦前は教科書を文部省が編纂していたが、戦後は今と同じ制度である。以前の教科書はもっとまともだった。」「ご指摘の点は全くの正論であるが、文科省そのものが左傾化しており、文科省の好きにさせたら逆にとんでもないことになる。」と、講師特待生の方々から意見が出されました。
議員立法支援センター代表の宮崎貞行様は、「現憲法は占領時における占領基本法であるため、いろんな綻びがある。例えば、第89条をそのまま読めば私学助成は違憲になるが、解釈によって合憲とされている。第65条では、行政権は内閣府にあるとされているが、実際には財務省が横暴を極めている。第14条では国民の法の下での平等が定められているが、局長通達によって在日外国人を生活保護の対象にして日本人に対する逆差別になっている。第20条では信教の自由が定められており、靖国神社に参拝することも信教の自由に該当するが、ある新聞社はこれを否定している。第96条では非常に厳しい改正条項を定めている。さらに、今回のコロナ禍では、憲法違反になるということで、緊急事態特別措置法では知事は休業等を要請することしかできなかった。これまで憲法改正の動きは悉く失敗してきた。自民党には改正の熱意は感じられない。しかし、トランプ政権の登場で、情勢は急変した。トランプは、日米安保条約は片務的なので、米国の国益にそぐわない、場合によっては廃止しても良いと示唆し始めたのである。憲法9条を守ってきたのは左翼だと左翼は自負してきたが、実は米国、米軍が守ってきたのである。日本で憲法廃止を求める武力クーデターが起きればすぐに鎮圧できるように、全土に米軍基地を張り巡らせ、東京上空の管制権を握ってきたのだ。憲法草案を翻訳した、吉田首相の懐刀だった白須次郎も、サンフランシスコ講和条約の締結と同時に憲法を廃止すべきだったと言った。憲法を廃止するためには廃止の手続が必要であるが、憲法に廃止規定は設けられていない。そこで、国の安全が危殆に瀕した場合、衆参両院の三分の二以上の決議で、憲法廃止を宣言し、内閣にも廃止宣言を求めればよい。イギリスは憲法を持たない国で、常識(コモンセンス)に基づいて、法律を制定、改正し、運用してきた国である。我が国も長い歴史を持つ国柄であり、聖徳太子の十七条憲法と五箇条の御誓文さえあれば、立派に国を運営していく英知を持った国である。国会が憲法廃止を宣言するタイミングは、国と国民の安全に係る重大な政治情勢の変化があったときである。その時の一つは、共産中国が尖閣諸島に上陸した時である。共産中国が平和勢力でないことが明らかになり、憲法前文の前提が崩れたことが誰の目にもはっきりするからである。中国が台湾に侵攻した時は、わが国の石油輸送路の安全が危殆に瀕するので、同様に憲法廃止を宣言する好機となる。さらに、アメリカが日米安保条約の改正を求めて条約廃棄を一年前に宣言した時である。菅内閣は今からトランプ政権に根回しをして、アメリカに条約廃棄を一年前に宣言させればよい。」と、現憲法の問題を指摘するとともに、廃止手続のアイデアを披露されました。
国際歴史論戦研究所(iRICH)研究員の池田悠様は、「私が石原伸晃の秘書をしていた時に、南京事件がユネスコ世界遺産に登録された。当時の菅官房長官は、政治利用してはならないとだけ言って、南京事件そのものを否定はしなかった。南京事件は中国の反日宣伝だと思われているが、東京裁判で圧倒的に有力とされたのは、第三者が証言したからである。その第三者とは南京にいたアメリカ宣教師団である。南京安全区国際委員会のラーベ委員長による報告は、アメリカ宣教師団の証言をまとめただけである。アメリカ宣教師団は南京安全区設立を主張したが、発案者のミルズ宣教師については、『中国軍を手助けし安心を与えるよう試み…』という記録がある。つまり真の目的は中国軍(蒋介石軍)の支援のためだったのである。南京安全区は非公認であったため、日本軍は、戦闘中は安全区の攻撃を避けると伝えたものの、戦闘後は安全区の存在理由がなくなる。アメリカ宣教師団は中国への支援のために、戦闘後も非公認の安全区を維持する名目が必要であり、南京事件を発信したのである。では、なぜアメリカ宣教師団は蒋介石を支援したのかであるが、蒋介石はプロテスタントで、1927年に宋美齢と結婚し、1930年10月に受洗、1937年3月に信仰告白をして、プロテスタントの間で蒋介石への熱狂が起こった。そのため、1937年5月6日に宋美齢の協力要請に応える形で全国基督教連盟の総会で蒋介石の新生活運動への全面支援を決議した。東京裁判ではアメリカ宣教師団は中立と認定されたため、南京事件だけがあったとされるのである。したがって、日本から真実を発信していかなければならない。」と、南京事件があったとされている背景について語られました。
最後に塾長は、「南京大虐殺はなかったと書いた本を客室に置いたら、中国から相当数の攻撃を受けてホームページがダウンして予約ができなくなったが、『根拠を示して反論しろ』と言ったら、何の反論もしてこなかった。何十万人もが虐殺されたというのに、一人の被害者名簿もないというのはおかしい。日本がはっきり否定しないからいつまでもやられるのである。日本の外交政策は言われたら我慢ばかりしてきた。しかし、国際社会では嘘も100回言えば本当になる。かつて南京大虐殺犠牲者追悼記念日には習近平をはじめチャイナセブンが出席して日本を非難していたが、書籍問題のあった年は、出席はしたものの何も言わず、その翌年からは、チャイナセブンは出席しなくなった。これで南京大虐殺という歴史カードは消滅した。間違ったことを言われたら我慢せず、訂正させなければならない。」と、アパのいわゆる「書籍問題」に触れ、反論することの重要性を説いて会を締め括りました。