勝兵塾第110回月例会が8月20日(木)にアパグループ東京本社で開催されました。
冒頭のアパグループ元谷外志雄代表による塾長挨拶では、「新型コロナウイルスの影響で特に観光産業は最悪の状況であり、ホテルによっては稼働率が10%や15%のところもある。アパはそれよりは良いものの、厳しいことには変わりない。ただし、決めたことは計画通りに粛々と進めており、今年だけで26ホテルをオープンする。今年はオリンピックの開催年だったので、それに合わせてホテルを開発してきた。今年はアメリカ大統領選挙が予定されている。トランプは再選のためなら戦争もするだろう。ルーズベルトは、再選するためには世界大恐慌から脱する必要があり、壮大な需要を生み出すために戦争を始めたという説もある。大統領は、いざとなれば自国民を犠牲にしてでも当選しようとするものである。プーチンも、モスクワのアパートを爆破して300人もの犠牲者を出し、チェチェンの犯行だと言ってチェチェン戦争を始めたことで、大統領選挙で大勝した。トランプは再選すると思っているが、いざとなれば反撃の恐れのないところへ攻撃を仕掛けるだろう。南シナ海の岩礁は、公海上に中国が勝手に造った軍事基地であり、それを排除するために攻撃すれば、公海上に不法に造ったものを排除するだけなので国際的な非難もなく、また、攻撃を受けても中国が反撃できるかと言えば、今の中国とアメリカの軍事力は1対2くらいの格差があるため、できないだろう。アメリカは今のうちにやるべきことをやらないと、そのうち世界は中華帝国になってしまう。私はトランプが再選すると確信しているが、過去の例を見ても、日本にとっては共和党の大統領の時の方が良かった。特にトランプが中国に対して強く当たっているところを私は評価しており、中国の野望を打ち砕くような施策を打ってほしいと思う。」と、アメリカ大統領選挙の見通しについて語りました。
衆議院議員の小田原潔様は、「私が8歳の時に、沖縄返還を見て大変感激して、国会議員になりたいと思った。終戦時に父は、10歳で満州から引き揚げてきたが、途中で8歳と1歳半の妹を亡くした。こうした辛い思いの積み重ねの上に、日本人は今、繁栄を享受できている。一昨日の新聞で一部報道されたが、アメリカのポンペオ国務長官が、12日のチェコでの演説で、『中国は今、ソ連以上の脅威である』と発言した。元々米ソは長い間軍縮を進めてきたが、中国は兵器を作りたい放題だった。現在数百発の核弾頭を持っていると言われているが、数年以内には数千発を持つだろう。経済の分野でも、成長分野と目されているAI、ドローン、ビッグデータの分析、顔認証のカメラ、生体認証などは、すべて西側諸国で開発されたにもかかわらず、実用段階になると、中国やロシアの政治体制と親和性が高い。中国には公表ベースで1億3千万台のカメラがあり、3年以内には5億台にすると言っている。13億人いる国民の誰がどこにいて、誰と会い、何を呟き、誰にいくら支払ったかを共産党がリアルタイムで把握する上で、大変都合が良い。ここまでなら良いが、自律的殺戮兵器ができると、コンピューターが勝手に国民の行動を分析して、将来国家の迷惑になる人間を自動的に処分することまでできる。我々は検討すらできないが、あの国は躊躇しないだろう。米ソ冷戦は、経済を完全に分断し、2つの世界を作ることで、共産主義諸国が貧しくなり、自滅した。しかし、我々の対中戦略は大きく道を誤った。中国人が自由市場と人権を味わえば、自ずと民主化すると信じていた。だからこそ、1997年に民主主義の窓口として香港を返還し、2004年にはWTOに加盟を許した。しかし中国は、自由貿易を通じて優れた製品と部品を自由に手に入れ、難しいものは設計図を盗んで、非民主主義の国として初めて凄まじい経済発展を遂げた。米中貿易戦争は、現実にはハイテクと軍事の覇権争いである。どんなに安い部品でも中国製のマイクロチップが情報を上海や北京へ筒抜けにする限り、使うわけにはいかない。モンテネグロにあるアフリカ連合ビルは中国が建てたが、その情報はすべて上海に流れているという。だからこそ、アメリカはヒューストンの総領事館を閉鎖させ、サンフランシスコの総領事館をスパイの巣窟だと警戒している。最大の貿易相手国になったから経済の分離は不可能だという人もいるが、私はそうは思わない。アメリカの国防、外交筋は、誤った中国戦略を、時計の針を30年戻して、GDPを減らしてでも分断した方が有利だという判断をしたのではないか。設計図を中国が盗んでいるうちは本当のイノベーションを起こす力はつかない。だから、さっさと締め出して遮断した方が勝機はあるだろう。通貨は安全保障そのものである。米ドルで買えないものは地球上にないと言っても過言ではない。しかし、人民元にはそれができない。だから人民元を国際通貨にしてはならない。中国が供給できないもので暮らしにどうしても必要なものを保つことが、わが国の国益と安全保障上きわめて重要である。」と、対中戦略について経済と国益の観点から論じられました。
史実を世界に発信する会会長代行の茂木弘道様は、「北朝鮮のスパイが教科書調査官の中にいるというニュースが流れた。アサヒ芸能に記事が掲載されたが、私は極めて確度の高い情報だと思っている。記事には『衝撃の「スパイリスト」に登場するX氏は、筑波大学を卒業後、(中略)、韓国・霊山大学の講師に就任。このとき、韓国内で活動する北朝鮮工作員に「スカウト」されたという。』とある。このX氏は、教科書調査官の経歴から明らかに中前吾郎氏である。文科省の資料に掲載されている中前氏の経歴は、平成9年3月から約15年間は『民間』と書かれているだけである。その間の2000年に『初期毛沢東の思想』という書籍を出版している。毛沢東は大躍進政策で自国民を最低3、000万人から5、000万人を殺したことは周知のことであったにもかかわらず、毛沢東を称賛した本を出したのである。そういう人物を文科省が教科書調査官に採用した。さらに問題なのが、『日本に帰国後、別の工作員グループに所属し、活動しているとみられている。そのグループは、かつてはオウム事件などに関与し、日本転覆を図ったことがある。』と書かれている。つまり、日本人拉致にも関与していたチュチェ思想グループに関わっていたようである。どこまでどのように関わっていたかは特定できないが、少なくとも公安の資料に名前が挙がっていた。記事には『今回の件は、文部科学省内のネットワークが動いた』と書かれているが、では文科省で誰がこんな人物を採用したのかを調べた。中前吾郎を採用した直接の責任者は当時の教科書課長の森氏であるが、その後極左の学者グループの学び舎が作った教科書を合格させた時の課長が望月氏で、彼は異例にも3年連続で教科書課長を続け、こうした動きをリードしてきた。そのバックにいたのが前川喜平氏である。彼は中前氏が採用された翌年に初等中等教育局長に就任し、その後文部科学審議官、事務次官となったが、その間望月氏が教科書課長を続け、1発不合格制度を施行したのも前川次官、望月課長の組み合わせである。今回の検定での400ケ所ものでたらめな指摘は調査官だけでできるものではなく、教科書課の方針でそうしたと考えざるを得ない。全面的にメスを入れないと大変なことになる。不合格になったつくる会の教科書の249頁には『「17‐8‐05」とスディルマン将軍』という項目があるが、この記事は加瀬英明先生が書かれたものである。その記事を調査官が不合格とした。ぜひ多くの人に検定の実態を知ってもらいたい。」と、教科書検定の問題とその背景について語られました。
元横浜市教育委員長の今田忠彦様は、「平成15年から29年に横浜市の教育委員を務め、うち9年間は教育委員長を務めた。7月21日の朝日新聞の神奈川版に私のインタビュー記事が掲載された。その冒頭には、『横浜市は2009年に18区中8区で自由社の歴史、11、15年に全市一括で育鵬社の歴史・公民と、「新しい歴史教科書をつくる会」系の教科書を選んできた。その中心にいたのが、教育委員を14年務めた今田忠彦氏だ。』と書かれている。そして教科書について、私は『従来の教科書では国や郷土に誇りも愛着も生まれません。戦争で勝った方にも負けた方にも正義はある。光と影をバランス良く書くべきです。家族愛、郷土愛、祖国愛は人間の一番の基礎になる部分です。』と話した。『横浜では「最も左側と言われた『日本書籍』の教科書が採択され続けてきた」と著書にあります。その横浜で「つくる会」系を選ぶことができたのはなぜですか。』という質問に対しては、『みんなが何となく思っていたことを引き出す勇気があっただけです。こうだと決めてかかっていたものに違うぞと言い、それに賛同する仲間に恵まれました。』と答えた。教科書は国の検定に合格して、合格したものが地方の教育委員会で採択される。国の検定は左に甘く右に厳しいと言われることもある。私は一発不合格という報に接した時に、長年役人をやってきた感性から、随分不遜だと感じた。地方の教育委員会での採択にも色々な課題がある。本当に教育委員は本を読み比べて勉強したのか、静謐な環境の中で教科書を選べる環境にあったか、現実問題としてはなかなか厳しいところである。横浜の採択では、『つくる会』系教科書の不採択運動を、特定団体や市内全区の団体、浜教祖が展開した。さらにマスコミ、地元の神奈川新聞や毎日、東京らが運動の後押しをした。平成21年に自由社の教科書を採択したとき、朝日新聞の社説で非難された。国の検定を経た教科書を、法律により権限が与えられた教育委員が適正な職務を履行して非難されたのである。教科書採択はイデオロギー闘争になっていることを感じる。歪められた教科書がもたらした弊害は2つある。1つは日本文化に興味・関心を示さない若者が増え、国家に軸足を置かない無国籍市民が増えていることである。もう1つは中国、韓国との間で歴史認識の問題が残っていることである。戦後75年経って学校教育で教えられなかったことが明らかになってきた。それらを反映した歴史教科書が必要である。」と、教育委員長としての経験から教科書問題を論じられました。
一般社団法人シベリヤ抑留解明の会理事長の近藤建様は、「私は昨年『シベリヤ抑留解明の会』をつくった。昭和20年8月9日、ソ連が突如日ソ中立条約を一方的に破棄して樺太、満州、朝鮮に攻め込んできた。この酷い事件があったことを多くの日本人は知らない。そこで私が語り部になって、多くの日本人に伝えていきたいという思いで立ち上げた。シベリヤ抑留とは、『1945年8月9日にソ連軍は日ソ中立条約を破って、満州、樺太に攻め込み、日本の民間人に対して、略奪、暴行、殺害を繰り返した。ソ連は日本の降伏後も侵攻を止めず、日本固有の領土である北方4島の占領を終えたときにはすでに9月になっていた。さらに捕虜は即座に帰国させるとしたポツダム宣言の規定に違反して、捕虜を含む60万人以上の日本人をシベリヤなどソ連に連行しました。そこで満足な食事も与えないまま、過酷な強制労働をさせました。そのために、わかっているだけでも6万人以上の日本人が死亡しました。』と、不合格となった自由社の教科書に書かれている。日本人がこの大事な歴史を忘れてしまっているので、私が80歳になるまでの3年間、全国を行脚しながら各県に支部を作っていきたいと考えている。シベリヤでは食べるものがなく、極寒冷下で強制労働をさせられ、ノルマを果たせなければ食料がさらに減らされるという過酷な環境に置かれた。彼らは捕虜ではなく、突然ソ連が攻めてきて労働者としてソ連に連れて帰ったのである。この第二の拉致事件をもっと多くの人々に伝えなければならない。死んだらそのまま穴を掘って埋めていたので、未だに何万ものご遺体がどこに眠っているかわからない。シベリヤでは多くの日本人に対して洗脳教育が行われた。多くの日本人は生きるために心ならずも共産主義万歳と言ったが、草地貞吾大佐とその47名の部下は、思想教育を拒否して最後まで筋を通した。草地大佐は石川護国神社にある大東亜聖戦大碑の建立に尽力されたが、草地大佐の『大東亜 大御戦(おほみいくさ)は 万世の 歴史を照らす 鑑(かがみ)なりけり』という歌が碑に刻まれている。北朝鮮拉致を忘れないようにブルーバッジ運動が行われているが、私はシベリヤ抑留を忘れないようにホワイトバッジ運動をしている。この運動を手伝っていただける方はご連絡頂きたい。」と、シベリヤ抑留とホワイトバッジ運動について語られました。
前環境大臣・衆議院議員の原田義昭様は、「先程の近藤建氏とは、3月の習近平の国賓来日反対の国民運動に参加をした際に知り合った。昨年9月15日に閣僚を終えたので、直ちに自民党に戻り、尖閣諸島や香港、新疆ウイグルの状況を見て、こんな国の頭目を日本に呼び、しかも天皇陛下に会わせてどんな意味があるのかと質してきた。コロナの影響で来日は延期ということになったが、事実上中止になったと断言したい。香港の問題は代表の『理論近現代史学』でも触れられている。香港は1997年に中国に返還されたが、1984年に鄧小平とサッチャーが協定を結び、翌年にこの協定を英中二国間のものではなく、国際協定とするため国連に寄託された。香港の弾圧について世界各国が中国を非難したが、中国は二国間の協定であり、他の国が内政干渉すべきでないと言っているが、国際協定違反という観点からしっかり非難をしていく。」と香港問題について触れられました。
東京国際大学学長・慶応義塾大学名誉教授の塩澤修平様は、「対中政策として経済的に分断して時計の針を30年戻してGDPが減少しても良いという話があった。経済界を中心に短期的な経済利益を重視する意見もあるが、自民党としてどのように取り組んでいくか。」と質問され、原田様は、「日中が親しくやっていき共に繁栄していこうという考えに反対する人はいない。しかし中国は、政治と経済を、覇権を広げていくために使っていることに日本人は危機感を持たなければならない。ポンペオ国務大臣が極めて重要な演説をしたが、アメリカの対中政策は根本から間違っていた。中国が豊かになれば必ず民主化、資本主義化すると信じてこれまでやってきた。時計の針を過去に戻してでも外交政策を見直さなければならない。それゆえ3カ月後の大統領選挙は極めて重要である。何としてもトランプ氏に勝ってもらいたい。」と答えられました。
一般社団法人世界のための日本のこころセンター代表理事土居往夫様は、「私は通産省出身で、安倍晋太郎通産大臣の秘書官や、第一次安倍内閣の教育再生会議の事務局責任者を務めてきた。教育の問題はなかなか難しいが、日本の文化に関心を持たないところは、今変わりつつある。教育は学校教育だけでなく、家庭教育や社会教育のほかにネットでも新しい動きが出ている。そういうものに訴えて次の世代が変わっていかないと世の中が変わらない。まずはもっと誇りを持とうと訴えたい。香港や台湾の問題では中国と対決しなければならないとは思うが、鬼になるのではなく、日本人はもっと誇り高く、神になって臨むべきだ。鈴木大拙は日本的霊性と言っている。東洋文化は日本にしか残っていない。そういう誇りを持ってもらいたい。習近平は今儒教に戻ろうとしているが、中国の儒教は法家の思想で、人民統治の儒教しか残っていない。本当の儒教は日本にしか残っていないが、それが活かされていない。中国が覇権的な行動に出ていることは、日本にとってはチャンスである。明治維新での江戸城無血開城は、神道的な価値観と禅、陽明学を一体化した自信があったから、成し遂げることができた。日本人はそうした政治力を発揮できると思っている。中国の中には日本ファンがたくさんいて、渋沢栄一や稲盛和夫、松下幸之助が大好きである。これが長期的には独裁政権の転覆に繋がるだろう。父は参謀本部の作戦課長をやっていた。日本は西郷隆盛の頃までは良かったが、昭和の時代はリーダーが劣っていた。陸軍では統制派と皇道派がいた。統制派は覇権主義であるが、その覇権主義を改革するために父は作戦課に行ったがうまくいかなかった。昭和の時代は王道が失われた。それが戦後になってさらに酷くなった。今世代間で価値が伝承されていない。もう一度根本的に社会を変えていかなければならない。」と、日本のこころの大切さを訴えられました。
最後に塾長は、「今日は素晴らしい講演や質問を頂き、大変盛り上がった会となった。毎年年2回海外視察研修をしていて、今年はブルネイを予定していたが、コロナの影響でブルネイ航空が飛ばなくなってしまった。旅行会社からは、代わりにアパ発祥の地を訪ねる視察と懇親会というのはどうかと提案を受けた。ブルネイ視察には多くの方から申し込みを頂いていたが、9月10日から1泊で開催したいので、多くの方に参加して頂きたい。」と、告知をして会を締め括りました。