勝兵塾第109回月例会が、7月16日(木)にアパグループ東京本社で開催されました。
冒頭のアパグループ元谷外志雄代表による塾長挨拶では、「今週は毎日行事があり、月曜日にはアパホテル〈六本木SIX〉がプレオープン、火曜日にはアパホテル〈上野広小路〉が開業、水曜日はアパホテル〈名古屋駅新幹線口北〉が開業、そして本日はアパホテル〈博多祇園駅前〉の起工式が行われた。今年はオリンピックの開催が予定されていたのでそれに合わせて用地を取得し、設計、建築してきたが、オリンピックが1年延期となり、コロナ騒動などもあるが、決めたことは決めたとおりにやるという方針でやっている。世の中には決めたことを守らないことが多い。その典型が中国であり、言ったことを信じていると、後で酷い目に遭う。香港の騒動も、50年間は一国二制度を維持するとイギリスと約束して引き渡しを受けたにもかかわらず、その半分の期間も経たないうちに反故にした。お配りした今月号のエッセイの冒頭に、香港国家安全維持法に反対する集会の参加者が警察に拘束された写真を掲載しているが、中国は大変な弾圧をしている。膨張する中国にどう対抗していくかを考えなければ、いずれ日本は中国に飲み込まれるだろう。中国は陸続きの国とはこれまで一線を交えてきたが、次は海洋覇権を目指して南シナ海、東シナ海に進出している。ハワイを境に米中で太平洋を二分するようになれば、日本は中国側に帰属することになる。そのことに多くの人々は関心を持っていない。」と膨張する中国に対する危機感を示しました。
続いて、7月6日に明治記念館で開催された「『理論近現代史学Ⅵ』出版記念並びにバースデーの会」の模様を動画で視聴しました。
元国務大臣で自民党団体総局長・衆議院議員の櫻田義孝様は、「私は代表の事業と言論活動の『二兎を追う』ところを尊敬している。私は大工職人だったが、高校を卒業して、昼は働きながら明治大学の夜学に通い、二兎を追ってきた。私は母からいつも『偉い人になれ』と言われながら、強い愛情を持って大切に育てられた。母は三度結婚したが、一度目は許嫁と結婚したが、夫は戦死し、二度目の結婚で子供を二人生んだが、また夫は戦死した。そして終戦間もなく、母が嫁いだ先の近くで、妻を亡くした男性と結婚して、すぐに姉と私が年子で生まれた。そうした母を見て、一生懸命に生きるという点では人後に落ちないつもりで生きてきた。香港の問題では、一国二制度は世界中の人々が知っていることだが、それを平気で破る国がこの二十一世紀に存在していることが驚きである。欧米と異なり、日本の周りには民主主義の国がない。韓国は価値観が欧米や日本とは全く違う。日本は戦後率先して、欧米諸国と民主主義や基本的人権という価値観を共有するグループに入って良かったと思う。民主主義の日本という国を何が何でも守り、隣の中国の中華思想を容認してはならない。アジアで民主主義の最先端を走るのが日本である。台湾については、アメリカの国内法で『台湾防衛法』があり、中国は台湾に簡単には軍隊を派遣して実力で奪うことはないだろう。中国が台湾に対して軍事力を行使すれば、アメリカは国内法に基づいて、軍事力を派遣して台湾を防衛する。中国という巨大な国に対して、あまりにも経済力があるからと言って頭を下げることはやめた方が良い。元谷代表は書籍問題で、中国政府に対して毅然とした態度を取った。こうした毅然とした態度が必要である。」と、日本の民主主義を守る必要性を訴えられました。
麗澤大学大学院特任教授の高橋史朗様は、「国内で実の親が子供を誘拐して、もう一方の親に会わせないケースが年間約15万件あるといわれている。私が直接話を聴いただけでもこうした方は数十名いたが、その奥にはさらに深い闇がある。政府の男女共同参画会議で問題提起をし、総理にも意見書を提出した。今年の7月8日に欧州議会が本会議で、日本での親による子供の連れ去りから生じる子供の健康や幸福への影響について懸念を表明し、日本政府に対してハーグ条約を履行し、『共同親権』を認めるよう国内法の改正を促す決議を採択した。EUが問題にしているのは、夫がヨーロッパ人で妻が日本人の場合で、妻が子供を日本に連れ帰り、ヨーロッパの夫が会えないケースが多発していることである。ハーグ条約では、一方の親がもう一方の親の同意なしに16歳未満の子供を連れて加盟国間の国境を超えた場合、子供は元の国に戻すことを定めている。日本はそれを実行しないので、各国の大統領や首相が安倍総理に直訴してきたが、ついにEUが本会議で決議した。しかし、この決議に対して大鷹外務報道官は、『決議にある国際規約を遵守していないという指摘は全く当たらない。』と全く不誠実な会見をした。昨年3月には国連の児童の権利委員会も、日本政府に対して、『共同養育権』を行使できるように改めるよう勧告した。児童の権利条約第9条には、『子供がその父母から、その父母の意思に反し、切り離されてはならない』と明記しているが、わが国では年間15万件という子どもの権利が侵害し続けられている。これは、日弁連等の人権派弁護士のアドバイスによる一方の親による子供の連れ去り、DVシェルターへの切り離しの推奨、児童相談所による子供の実父母からの切り離しの推奨が蔓延しているためである。この行為は刑法第224条の『未成年者略取誘拐罪』に該当することが、昨年11月27日の衆議院法務委員会で、森法相によって確認されているが、実際にはこれが放置されている。その背後にはキリスト教婦人矯風会があり、この団体が運営するDVシェルターの所長の東海林路得子氏は「戦争と女性への暴力」日本ネットワークの共同代表でもある。この団体は、天皇を処刑するとした女性国際戦犯法廷を主催した団体で、挺対協を支援している。私は男女共同参画会議の委員を7年やっているが、私は教育者として子供の最善の利益や逆差別はないのかという観点から意見を述べてきた。子供の連れ去りは究極の男女不平等、逆差別である。子供の最善の利益から見れば非常に理不尽なことが行われている。離婚後単独親権しか選択できないのは、日本、インド、トルコ等に過ぎず、面会交流は、日本では1カ月1日数時間程度と一律に決められている。日本では子供の養育費の中から弁護士報酬を得ることを禁じていないために、『実子利権ビジネス』の悪質な利権構造に巣食う弁護士が後を絶たない。一方の親から引き裂かれることによる弊害が実証的研究によって明らかになっている。韓国や台湾、アメリカでは離婚に際して親教育が導入されている。父親に会えないケースが9割を占めている現実が示している通り、究極の男女不平等ではないか、と日本大学の先崎教授は論文を産経新聞の『正論』欄に寄稿している。自民党女性活躍推進本部は官邸に『養育費不払い解消対策本部』を設置し、政府の骨太の方針に反映させるよう安倍総理に要請したが、これは『共同養育』『共同親権』『面会交流』とセットで議論すべきだ。自国民による拉致を全面的に擁護しつつ、北朝鮮に拉致された日本人を助けてくれと訴えても、どの国がまともに取り合うだろうか。国際的に問題となっている日本人による実子誘拐問題について、実子誘拐の刑事罰化、共同親権制度導入(面会交流・養育費支払いの義務化)、その他の法制度の整備が必要である。」と日本の実子誘拐問題の現状と背景、課題について解説されました。
一般社団法人 空の神兵慰霊顕彰碑護持会代表理事の奥本康大様は、「私は現役の家庭裁判所の調停委員であるが、この問題は非常に難しく、悩ましい。特に親教育が全くできていないと感じる。裁判所の指導で親に面会交流の重要性や父親、母親の役割を共に果たすということを促しているがなかなか理解してもらえない。もっと裁判所の立場から教育していかなければならないと思う。共同養育権については、ネグレクト親などもいるため、これを認めると難しい問題が出てくるのではないか。日本ではもっと議論しなければならないと思う。」とコメントをされました。
明治学院大学名誉教授の樋口隆一様は、「私も大学教授と音楽家の二兎を追っているが、二兎を追っていると特に同業者から評判が悪い。祖父が樋口季一郎という陸軍の軍人で、私が24歳の時まで生きていた。私の研究の専門はドイツの作曲家バッハで、研究のためによくドイツに行った。当時は東西ドイツ分裂時代で、バッハの研究は東西ドイツの研究家と共同で行ったが、そこで国家が二つに分裂することがどんなに大変なことか、その背景にソ連がどんなに酷いことをやったかがわかり、私の祖父の仕事が歴史的に意味のあることだと実感した。祖父が死んだときには朝日新聞に、『ユダヤ人2万人の影の恩人』という大きな記事が出た。記事に対して様々な意見があったが、歴史というものは全てがわかるわけがない。近代の歴史学者の大きな問題は、史料主義に陥っていることである。史料と史料の間を読むのが本当の歴史であり、重箱の隅をつついて歴史家になったと錯覚を起こしている学者が日本には多い。欧米の学者はもっと大きな視点から見る。そこが日本の特に人文系の学問の問題である。一昨年にイスラエル建国70年記念シンポジウムに招かれて『樋口季一郎のユダヤ人観』というスピーチをしたらとても温かく迎えられ、祖父が愛されていたことを知った。一方、祖父が北海道を救ったことは、日本の戦争の歴史に全く登場しない。祖父はよく『負けた話ばかり嬉しそうに書いているが、日本が勝ったところもあった。』と笑いながら話していた。私も研究してみてなぜそうなったかがよくわかった。終戦後ソ連がまず第二次世界大戦の歴史についてどんどん本を書き、それを左翼系の人達が翻訳して出版した。そのため、戦争のことを調べるためにはソ連が書いた本を読まないとわからないという時代が続いたのである。祖父は第五方面軍司令官として北と西の両方からソ連に攻められてとても大変だった。8月15日を過ぎて停戦しなければならなかったが、ソ連からどんどん攻められたため、その攻撃を往なして時間を稼いだ。8月18日までに停戦することになっており、占守島はそれを守ったが、樺太はそうはいかなかった。樺太には飛行機も戦車もなかったが40万人の一般住民がいたため、帝国陸軍は肉弾で阻止して時間を稼いだのである。日本人は性善説で外交を行っているが、外交は性悪説でやらなければならない。北方領土問題についてラブロフ外相が第二次大戦の結果からスタートしないと話にならないと言ったが、ソ連が中立条約を破棄して不法な占領をし、日本の軍人を捕虜にしてシベリアに抑留するなどの国際条約違反をした。これを論じないと北方領土問題は話にならない。何でも下手に出るのが戦後の日本の外務省である。昨年『樋口季一郎の遺訓 ユダヤ難民と北海道を救った将軍』を出版した。これは、真珠湾以降の話が原稿として残っていたので、それをまとめて出版したものである。」と、祖父樋口季一郎氏の功績について解説されました。
新しい歴史教科書をつくる会京都支部副支部長の田中誠様は、「保守系の国会議員が国会で渡部昇一先生が唱えた『誤訳説』に基づいて質問してきたことは、戦術的には間違いだったのではないか。昭和26年9月にサンフランシスコ平和条約が結ばれ、国会で批准されたが、国会では第11条の意味について議論になった。第11条は、『日本国は、極東国際軍事裁判所(中略)の裁判を受諾し、(中略)これらの法廷が課した刑を執行するものとする。(以下略)』と訳されたが、大橋武夫法務総裁の答弁では、『裁判の効果というものを受諾する。』とし、これは刑を執行するということであり、それまでの『裁判を受諾』云々というのは無視しても良いと言った。これが、日本が何を受諾したかという問いに対する結論である。第11条の条文は、国際法上は異例のもので、慣例では通常このような条文はない。平和条約を締結すれば通常はそれまでのことは全てチャラになるのであるが、それでは困ると連合国の一部が言い出したため、加えられたのである。したがって、連合国の側も刑の執行以上に日本に求めるものはないはずである。昭和34年の外務省の答弁でも、『判決に至る理由まで受諾するという意味合いではない』と言っている。ここまでは問題なかったのだが、問題が起こったのは昭和60年である。社会党土井たか子議員の質問に対して小和田恒条約局長が、『日本国政府は極東軍事裁判を受諾している。中華民国に対し侵略戦争との判決が出ているので、そういうものと政府は受け止めている。』と答弁し、今までの答弁からガラッと変わった。すなわち、判決理由のすべてをそのまま丸呑みし、日本が侵略戦争を行ったことを認めたように受け取れるトリッキーな答弁をしたのである。その後も丸呑み的な政府・外務省見解が続いた。小和田氏は日本ハンディキャップ論を唱えていた。当時は朝日新聞や野党、左翼勢力から日本が悪いことをしたのだから首相が靖国参拝をしてはいけないという論調が強まっていた。これに対して渡部昇一先生が反撃に出たのが『誤訳説』で、英文の『accepts the judgements』を『裁判を受諾』と言うからおかしいのであり、『諸判決を受諾』と訳すべきだと主張された。さらに国際法の権威の佐藤和男教授も『裁判』は『判決』と訳すべきだと主張した。大御所二人の主張は非常に影響力があり、保守派にとって常識になっている。ところが専門用語としては『裁判』は『判決、決定、命令』と同じで、裁判の結果を意味している。つまり、『裁判を受諾』という訳語は、『判決を受諾』と意味は同じことなのである。平成18年に野田佳彦議員が『日本政府が見解を変えたのはなぜか』と質問したが、これに対して外務省は『変えていない』と答えたが、外務省答弁の表現は一変している。まず、大橋総裁の『裁判の効果=刑の執行のみ』『判決理由まで受諾しない』ということを言わなくなり、『誤訳』という指摘に対して、誤訳ではないと答えるだけで、その理由を言わなかった。裁判は判決の事だと言えばはっきりしたのであるが、それを言わず、東京裁判等の裁判(含む判決理由)を受諾したことを強調した。つまり、『誤訳』が問題だとする保守派を間違いだと指摘をせず、逆にそれを温存、助長するような錯誤誘導的な答弁を外務省はしてきたのである。一方、外務省は条約締結時の誇りを捨て、迎合的な解釈に堕したのである。」と、サンフランシスコ平和条約第11条の解釈を巡る見解を示されました。
勝兵塾事務局長の諸橋茂一様は、「私は渡部昇一先生の『誤訳説』は間違っていないと思う。サンフランシスコ平和条約は日本が当事国であるにもかかわらず正文として日本語では作成されず、英語とフランス語とスペイン語のみであった。英文ではJudgmentsには前に形容詞がついていないが、フランス語とスペイン語には『宣告された』という意味の形容詞が付いている。だから『裁判』ではなく『判決』である。この件について詳しい話はまた別の機会にお話ししたい。」と反論されました。
新しい歴史教科書をつくる会顧問の杉原誠四郎様は、「この問題は訳の問題ではない。条文を訳したときに『裁判』より『判決』という訳が良かったのかもしれないが、大橋総裁は刑の執行だけを受け入れたとはっきり言った。当時の認識では、戦争犯罪人について連合国が勝手に犯罪者と言っただけであり、日本の国内法では戦争の犠牲者である。だから刑の執行だけを受け入れたのであるが、小和田氏の時にはあたかもすべてを受け入れたかのように言い、我々はハンディキャップ国家で永遠にそうなっているというようなことを言った。なぜなら、昭和26年当時の日本人はアメリカが何を言おうと信用していなかったが、小和田氏の時代には自虐史観に基づいて説明すると喜ぶ人がたくさんいたからである。戦後40年が経ち、ただ言葉だけで戦争を理解している人達が増えたが、その背景には、外務省が開戦時の責任者を終戦時に外務次官にしたため、外務省はアメリカの言いなりになり、外務省の戦争責任を隠した人達が中枢を占め、後からも同じ考え方の人しか出世できなかったために、外務省はずっと自虐史観を守ってきたのである。小和田氏の時に裁判の全てを受け入れたかのような答弁をすると喜ぶ人がたくさんいた。そういう構造になっていた。」と、議論をを補足されました。
最後に塾長は、「一つのことを突き詰めて真実を導き出すことは大変なことである。様々な意見があるなかで議論を通じて真実を見つけていくことが大切であって、与えられたことを丸暗記するだけの歴史教育はおかしいと思っている。勝兵塾は、本当はどうなのかを議論を通じて掴んでいく会にしたいと思ってやってきたので、今回は意義ある月例会になったと思う。」と述べ、会を締め括りました。