第91回 勝兵塾月例会レポート

塾長・最高顧問 元谷 外志雄

塾長・最高顧問 元谷 外志雄

 勝兵塾第91回月例会が、12月20日(木)にアパグループ東京本社で開催されました。
 冒頭のアパグループ元谷外志雄代表による塾長挨拶では、「1984年12月12日にアパホテルは第一号ホテルを開業した。また、12月7日には明治記念館でアパ日本再興大賞と懸賞論文の表彰式が行われ、総勢約1、300名の方々が参加され、国会議員だけでも26名から出席の連絡を頂いた。東京への進出は2002年5月10日に本社を赤坂見附に移したときから本格的に始まり、16年間に東京だけで57ホテルをすでに開業し、21ホテルを現在設計建築中である。2010年に頂上戦略を発動し、東京都心でトップを取る戦略をはじめ、2015年には大阪、京都、名古屋、広島、福岡等、地方中核都市へ広げ、現在51ホテルを設計建築中である。これも多くのアパファンのお陰であり、アパカード会員は累積で1、500万人を超えている。私は本当のことを知れば皆保守になると常々言っているが、メディアは本当のことを言わない。私は真実を明らかにし、日本に誇りを取り戻すために活動を行っている。第一回アパ日本再興大賞には江崎道朗氏の作品が選ばれた。賞金1、000万円の使い道を聞いたところ、『アメリカでは歴史の見直しが行われているが、そうした文献が日本でほとんど翻訳されていないので、翻訳のための資金にしたい。』と話していた。今月号のエッセイは317号になるが、先日実施したドイツ・ポツダムへの海外視察研修旅行に関連して、ポツダム会談についても触れている。」と、アパグループの戦略について語られた後、12月7日に明治記念館で行われた第一回アパ日本再興大賞・第十一回「真の近現代史観」懸賞論文表彰式並びに受賞記念パーティーの模様を視聴しました。

衆議院議員(元復興大臣)の今村雅弘様

衆議院議員(元復興大臣) 今村雅弘様

 衆議院議員(元復興大臣)の今村雅弘様は、年末になると今年の漢字が発表されるが、私は『危』の年だったと思う。危機への対応には3つあり、1つ目は災害への対応、2つ目は外交防衛安全保障への対応、3つ目は少子化への対応である。防災については国土強靭化に取り組んでいる。我々が気を付けなければならないのは、東京にいつ大災害が起こるかということである。そのためにリスクを分散すると共に、3年間で7兆円の予算で国土強靭化を進めていく。外交防衛については、今年が明治維新150年であるが、現在は誰が敵で誰が味方かわからない時代である。装備だけでなく、国民の意識も高めていかなければならない。少子化対策として、外国人労働者を受け入れるが、これはとりあえずこれで凌ぐというものであり、これとは別に抜本的に少子化対策をしていく必要がある。少子化が進めば国力は確実に低下していく。少子化対策は時間との闘いであり、危機感を持って取り組んでいく。」と、危機への取り組みについてお話し頂きました。

史実を世界に発信する会会長代行の茂木弘道様

史実を世界に発信する会会長代行 茂木弘道様

 史実を世界に発信する会会長代行の茂木弘道様は、「『大東亜戦争 日本は勝利の方程式を知っていた!』を出版した。日本は侵略戦争を起こしたのではなく、あの戦争はアメリカが起こしたのである。1929年の大恐慌の後、スムート・ホーリー法という超自己中政策を取った。フーバーは、『日本との戦争の全ては戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であった』と書いている。日米開戦時の戦力を見ると、日本は決して圧倒的に不利ではなかった。アメリカの海軍は太平洋側と大西洋側に分かれて配備されていたので太平洋側との比較になるが、戦艦は日本10隻に対してアメリカ11隻、空母は日本10隻に対してアメリカ3隻、潜水艦は日本65隻に対してアメリカ30隻であった。アメリカでは1940年に両洋艦隊法ができ、1943年に完成した。開戦時の日本は当時の力をどのように使ってどう戦略を立てるかが重要であった。昭和16年11月15日の大本営政府連絡会議で、『対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案』が採択された。その内容は、『速やかに米英欄の根拠地を覆滅して自存自衛を確立する』ことであり、『蒋政権の屈服を促進し、独伊と提携してまず英の屈服を図り、米の継戦意志を喪失せしむる』ことであった。対米基本戦略は米海軍を誘致して撃滅することだったのである。戦力は距離の二乗に反比例するものであり、米海軍をマリアナ諸島海域に誘致すれば日本は優位に立てたはずである。さらに、戦略の要がインド洋作戦であった。つまり、インドを制圧すれば、蒋介石政権、イギリス、スエズ軍、ソ連への補給、援助がストップするのである。そしてすでに11号作戦(セイロン作戦)と5号作戦(重慶攻略作戦)の準備指令は出されていた。これら2大作戦が中止されたのは、ガダルカナル戦に戦力を投入する必要があったからである。このように基本戦略から逸脱し、ミッドウェー作戦を強行し、ガダルカナルの泥沼に無駄な戦力を投入したために肝心の作戦が中止され、日本の勝機が失われた。なぜそうなったかについては是非本を読んでいただきたい。」と、大東亜戦争において日本に勝つための戦略があったことを紹介されました。

「空の神兵」顕彰会会長で元出光興産株式会社の奥本康大様

「空の神兵」顕彰会会長で元出光興産株式会社 奥本康大様

 茂木様のお話を受けて、「空の神兵」顕彰会会長で元出光興産株式会社の奥本康大様は、「パレンバンではものすごい量の石油を確保できた。当時日本の消費量が一日500万トンだったのに対して、はじめは300万トンしか得られなかったが、800万トン近くまで増やすことができた。しかし、ミッドウェー、ガダルカナルで海軍が大量の石油を使ったために、日本は戦争で負けた。史実をもっと知ってもらいたい。」と発言されました。

医療法人社団東京医心会ニューハート・ワタナベ国際病院理事長・総長・医学博士の渡邊剛様

医療法人社団東京医心会ニューハート・ワタナベ国際病院理事長・総長・医学博士 渡邊剛様

 医療法人社団東京医心会ニューハート・ワタナベ国際病院理事長・総長・医学博士の渡邊剛様は、「父は大正15年生まれで、大東亜戦争の最後に理系だったことで徴兵に行かなかったが、戦争に負けて大変悔しいという話をしていた。また、隣の人は特攻隊に行ったが生きて帰ってきたことを悔やんでいた。子供の頃から戦争の話を聞いていたのでアメリカが嫌いだった。私の仕事も決して無関係ではない。ドイツは憲法ではなく基本法と言っているが、これは国がしっかりできてから憲法を創ることにしてうまく逃げたのである。一方、日本は真面目に憲法を創った。日本は安保をアメリカに担わせ、その間に日本がアメリカの技術をタダで享受して今の繁栄がある。アメリカは日本に協力せざるを得なくなったからである。医療ロボットもアメリカの技術である。医療技術は戦争によって発展してきた。医療ロボットは、湾岸戦争のときに米兵が怪我をしたときに医者が前線に行かなくても治療ができないかというところから開発が始まった。医療ロボット『ダビンチ』による手術は、術後の痛みはほとんどなく、回復も早い。それは低侵襲だからである。昔は心臓の手術をするときは胸骨正中切開を行っていたが、これは出血が多く感染症のリスクがあり、手術痕も大きい。ダビンチでは小さな穴から道具を入れて手術をするため、傷口も小さい。さらに米粒に字が書けるくらい細かい作業ができる。私の病院ではダビンチXを日本で初導入した。ダビンチを使った症例は13年間で565件である。世界でもっとも多い人は2、000件くらいあるが、アジアでは最も多い。私も代表に倣って世界に発信する頂上戦略として世界一を目指したい。日本の産業で世界に売っていくものは車の次は医療である。海外から医療目的で日本に来る人々、特に中国人が増えている。医療には国境がない。私はロボット外科学会をつくり、ようやくロボット手術で保険が使えるようになった。」

議院議員(環境大臣)の原田義昭様

議院議員(環境大臣) 原田義昭様

 衆議院議員(環境大臣)の原田義昭様は、「医療ロボットというのはAIなどで自動的に動くのか?」と質問され、渡邊様は、「現在は10メートルくらい離れたところにコンソールがあり、そこで操作している。20年後にはロボットが自動的にやるような時代が来るだろう。」と答えられました。

参議院議員の三宅伸吾様

参議院議員 三宅伸吾様

 参議院議員の三宅伸吾様は、「今年の9月にルワンダを訪れた。インドから西に行くとケニアにぶつかり、それを越えるとルワンダに着く。人口は1、500万人の小さな国である。アフリカに対して暑い、汚い、危ないという先入観を持っていたが、訪れてみて全てが間違っていた。しかし、1994年に大虐殺事件があり、たった100日間で80万人から100万人が虐殺された。2000年にカガメ大統領が就任したが、民主化と言いながら実態は独裁である。しかし、国の発展段階によって民主主義の度合いは違っても良いと思う。早くから民主化が進むとうまくいかない。ルワンダはICTを構築し、国造りを急いでいる。日本はODAによる経済外交を行い、インフラ整備を支援している。現地を視察してわかったことは、思っていた以上に現地では中国からの経済支援に対する警戒心が強いことである。スリランカ政府が中国に対して債務の返済ができなかったことで、中国の援助で建設した港湾を事実上中国に取られたことの影響が大きい。日本の開発支援は高く評価されている。日本は長期的な発展のためその国の状況に合わせてコツコツと支援してきたからである。ルワンダには総理も外相も訪れたことはないが、中国国家主席は訪れている。一帯一路政策に対する理解を求めるという説明であるが、札束外交に対する批判への配慮があったのではないかと思う。海外支援に金を使うなら国内のために使うべきだという人もいるが、私はODAは必要だと思う。ロシアに勝って大阪万博招致に成功したのは、日本の外交の勝利である。つまり、日本の地道な経済支援や日本の品格に対する世界の評価の表れである。外交は経済と密接に繋がっている。外国人材を受け入れるために『特定技能』が創設された。日本は単一民族でやってきたのだから外国人を入れるべきではないと言う人もいるが、逆に外国人に頼って日本の経済力を底上げすべきと言う人もいる。移民政策かどうかが議論になるが、外国人を受け入れることを決めたのなら、覚悟を持って対応していかなければならない。例えば、外国人との共生の必要性を小中学校から教えるべきである。」と、ルワンダを訪れた経験から、ODAの重要性を説かれました。

エルドリッヂ研究所代表・政治学博士のロバート・D・エルドリッヂ様

エルドリッヂ研究所代表・政治学博士 ロバート・D・エルドリッヂ様

 エルドリッヂ研究所代表・政治学博士のロバート・D・エルドリッヂ様は、「保守と言われている私がなぜ辺野古への移設に関する県民投票を支持しているのか。それは、保守系が、沖縄の民意として普天間の県内移設の賛成派が多いことを示すチャンスになるからである。住民投票は今回で5回目である。22年前に初めて行われた県民投票は、日米地位協定の見直しと基地の整理縮小を問うものだった。私はこの県民投票について調査し、1997年秋に学術論文を書いた。1997年には名護市のみであったが普天間の移設について住民投票が行われ、53%が移設反対という結果になった。3回目は2006年に岩国市で米空母艦載機の岩国基地への受け入れについて行われ、4回目は2015年に与那国で自衛隊基地を巡って行われた。与那国では保守系が積極的に関わり70%が賛成だった。住民投票を無視、軽視すると反対派が圧勝し、報道されるのは反対派が圧勝ということだけになる。沖縄県民が反対しているといつも報道されるが、客観的な調査が必要である。沖縄には琉球新報と沖縄タイムスという2大メディアがあるが、メディアによる調査では本音が言えないため、学術的な調査が必要である。私は22年前から注目してきたが、政府はちゃんと説明してこなかったという問題もある。政治、選挙、裁判で行き詰まっており、最後は県民投票しかない。5月から署名を集めて9月に提出し、来年2月に県民投票が実施されることになった。保守がこれを受け止めて賛成派を動員する必要がある。石垣市では住民投票に反対している。きちんとしたプロセスを踏めば、住民と政府の対立は避けられると考えている。そのためにも『妥当な努力の証明』を導入すべきである。それは決定の透明性や前提の証明、代替案の検討、住民への丁寧な説明などである。また、外交は国の専権事項として定められているが、安全保障については定められていない。平和憲法の建前があるからである。しかし、安全保障について憲法第73条に国の専権事項として盛り込まないといつまでも住民と国との対立が続くだろう。」と、沖縄県の基地問題に関する住民投票の必要性を保守の立場から訴えられました。

朝鮮近現代史研究所所長の松木國俊様

朝鮮近現代史研究所所長 松木國俊様

 朝鮮近現代史研究所所長の松木國俊様はエルドリッヂ様に、「先日行われた沖縄知事選ではデニー玉城氏が勝利した。県民投票をやっても沖縄の2つのメディアがかなり世論を動かしているのだから、負ける可能性が高いのではないかと思うがいかがか?」と質問され、エルドリッヂ様は、「選挙は総合的なものであるが、住民投票は争点が一つである。知事選はデニー氏が勝ったのではなく、自民党が負けただけである。もっと良い候補者がいたのに、地元の力学のせいで出せなかった。一方、デニー氏はうるま市出身で、選挙区は沖縄市、那覇市は共産党が握っており、人口の多い3つの市がデニー氏を支持した。保守系が県民投票を認めず、遅れれば遅れるほど反対派に対抗できなくなる。9月9日には反対派は連絡会を作った。保守はボイコットしか考えていない。投票を実施することになっているので動員しないと負ける。名護市の住民投票のように、負けても僅差であれば県民の意見が分かれていることを示すことができる。」と答えられました。

ジャーナリストでモンゴル相撲協会顧問、元産経新聞・フジテレビ記者の宮田修様

ジャーナリストでモンゴル相撲協会顧問、元産経新聞・フジテレビ記者 宮田修様

 ジャーナリストでモンゴル相撲協会顧問、元産経新聞・フジテレビ記者の宮田修様は、「この1年は相撲の話題が多かったため、私もモンゴルと親しいことから、テレビに出たこともあった。なぜ、モンゴル人力士が多いか。かつては700人の力士のうち四分の一が外国人だったが、現在は一つの部屋につき一人に制限されている。外国人力士については40年前に高見山が登場してから小錦や曙とハワイ勢が続き黒船と言われたが、平成になってからはモンゴル人力士が活躍し、蒙古襲来となった。モンゴル人にとっては相撲がジャパニーズドリームである。モンゴルでは公務員の給料が4、5万円であるが、日本に来て横綱になれば給料だけで年間4、000万円であり、このほかにプールされた懸賞金が引退後に入ってくる。旭鷲山は現在モンゴルでNo・1のデベロッパーになっている。モンゴル人は日本で相撲をやって稼いできた成功者をたくさん見ているので、自分の家族に楽をさせたいと思い、日本に来て相撲をやろうとする。日馬富士と旭鷲山はそれぞれ日本式の学校を経営している。モンゴルは中国とロシアの間にあって日本のことが大好きである。」と、モンゴル人力士が多い理由について語られました。

 

 最後に塾長は、「先日座右の銘の日めくりカレンダーを制作した。これまでの座右の銘の中から31作品を選んで収録しているが、このうち10作品は投票で選ばれたものである。座右の銘の横には、私の解説が付いている。今月の座右の銘は、『正義のためなら 凛とした誇りを胸に 毅然と立て』である。座右の銘を読んで、私の生き様が皆さんの参考になればと思う。」と、座右の銘を紹介されて会を締め括られました。