
塾長・最高顧問 元谷 外志雄
勝勝兵塾第80回月例会が、1月18日(木)にアパグループ東京本社で開催されました。冒頭のアパグループ元谷外志雄代表による塾長挨拶では、「勝兵塾は東京で第80回を迎え、金沢、大阪と合わせてこれまで延べ
16、000人以上の方々にご出席頂き、日本の保守化に一定の貢献をしてきたのではないかと思う。12月に開催した懸賞論文表彰式・パーティーには1、300名の方々にご出席頂き、先日佳水郷で開催したアパグループ新年会には450名の方々にご出席頂き、共に大変盛り上がった。1月4日の産経新聞の見開き広告には、全国40棟15、136室を同時に設計・建築中と発表したが、六本木ホテル群を1棟とカウントしたり、広告作成後に取得を決めたものもあるので、実際には現在45棟を同時に設計・建築中であり、うち6棟はタワーホテルである。」と、アパグループの躍進振りに触れた後、1月8日に開催された新年会の模様を視聴しました。

パキスタン大使館特命全権大使 アサド・マジード・カーン様
パキスタン大使館特命全権大使のアサド・マジード・カーン様は、「パキスタンは若い国で、1947年8月に独立し、昨年70周年を迎えた。建国の父はムハンマド・アリ・ジンナーである。古代文明のあった場所であり、インダス文明やガンダーラ文明が生まれた地であり、日本とは仏教を通じて深い歴史的な繋がりがある。パキスタンは南アジア、中央アジア、中国、中東の真ん中に位置しており、世界第5位の2億7千万人の人口を擁している。アラビア海に面し、日本のシーレーンでも重要な位置にある。世界の登山家にも人気があり、8、000m超の山が世界に8つあるが、そのうち5つがパキスタンにある。日本は高齢化が進んでいるが、パキスタンは25歳以下が全人口の60%以上を占めている。民族的にも多様な国である。パキスタンと日本との関係は、経済分野が要である。1917年には三菱東京UFJ銀行(東京銀行)の前身である横浜正金銀行の事務所が開設された。1951年のサンフランシスコ講和会議では、パキスタンは日本の立場を強く支援した。パキスタンと日本は重要なパートナーである。」と、パキスタンについて紹介され、日本との関係の重要性について語られました。
駐日モンテネグロ名誉領事・事業創造大学院大学客員教授 大坪賢次様
駐日モンテネグロ名誉領事・事業創造大学院大学客員教授の大坪賢次様は、「1963年11月22日にケネディ大統領が暗殺され、ジョンソン副大統領が大統領に就任すると、ベトナム戦争が本格化した。私は現地を見てこようとサイゴンに行き、2カ月間滞在して悲惨な現場を目撃した。その後、国際社会で貢献したいと考えてアメリカに渡り、アメリカの大学を転々として、最後にワシントン大学のロースクールを卒業した。国連に就職しようとニューヨークへ行ったところ、ニューヨークの活気に魅了され、ビジネスコンサルタント会社を設立し、さらに不動産事業も行い、成功することができた。当時はバブルで、会社が大きくなったことでメディアからの取材も受けた。ニューヨーク・タイムズの取材記事を見た方からゴルフに招待されるようになり、さらに自らも名門コースの会員となったことで、アメリカの要人と知り合うことができ、アメリカ社会に入り込むことができた。トランプ氏とも何度も会ったが、当時はまさか大統領になるとは思っていなかった。さらにモンテネグロ大使から声を掛けられて、名誉領事としてお手伝いすることになった。モンテネグロは旧ユーゴスラビアを構成する国の一つであるが、内戦はなく、平和な国である。人口は60万人で国土は福島県くらいの広さである。主な産業は観光で、ロシアからの観光客が多いが、マグロとウナギが獲れることから、日本からの投資も行われている。」と、ご自身のご経歴とモンテネグロについて紹介されました。
INTERNATIONAL RESEARCH FOUNDATION、PRESIDENT アレクサンドル・カイリス様
INTERNATIONAL RESEARCH FOUNDATION、PRESIDENTのアレクサンドル・カイリス様は、「代表の座右の銘には共感することが多いのでいくつか引用して話をしたい。まず『総ての過去を 未来に繋げ』である。私もオリジナルな過去を持っている。ソ連に生まれ陸軍幼年学校で学び、その後はICBMを専門学校で学んだ。当時ソ連は3万発の核弾頭を保有していたが、当時私は、ミサイルにどれくらいの核弾頭を積載してどれくらい飛ばすかというような計算をしていた。その後モスクワにある国立大学でがんの研究をした時に素敵な日本人女性と出会い、結婚して日本に来た。私にとって日本は全く新しい国だったが、伝統的な家族の習慣を受け入れた。東大などでロシア語や英語を教えながら、様々な仕事をしてきたが、松下さん、盛田さん、井深さん、本田さんといった創業経営者とも会って、一緒にプロジェクトをやってきた。現在は三菱重工と新しいエネルギーに関するプロジェクトを進めている。最初に創った会社では、鄧小平にランチに招かれたこともあり、日本式経営や品質管理を教えた。次に『過去を検証し 現在を解析して 未来対策をせよ』である。アベノミクスを批判する人もいるが、GDPは成長し、企業の利益も増え、うまくいっている。日本はアメリカにも中国にも依存しない独立したリーダーになるべきである。さらに北方領土の問題については4島が日本に帰属することをはっきりさせるべきである。ソ連は宣戦布告をせずに日本に侵攻したのである。三つ目は『好奇心は常識の源泉 感動を力に 誇れる未来を自ら掴め』である。科学や芸術、ビジネスを動かしているのは好奇心である。四つ目は『知識は力 知っていれば 恐れる事はない』である。知識を持つことと知識をどのように使うかが大切である。最後は『人生の喜び それは夢を見続けることである』である。私の夢は、国際政治について言えば、日本とドイツが国連の常任理事国になることである。さらに、生物物理を応用して、ホテルの中で検査から外科手術、リハビリまでできるようになるのが私の夢である。」と、塾長の座右の銘を引用されながら、ご経歴や人生観について語られました。
朝鮮近現代史研究所所長 松木國俊様
山元学校学長 山元雅信様
株式会社しるべ取締役 高橋紀如様
深田萌絵様
慶應義塾大学経済学部教授 塩澤修平様
在日本ルーマニア商工会議所会頭 酒生文弥様
新しい歴史教科書をつくる会顧問 杉原誠四郎様
勝兵塾事務局長 諸橋茂一様
最後に塾長が、「カイリス氏が座右の銘を5つ選んで話をして頂いたが、皆さんにもお配りしている座右の銘集をバーレーン大使が本国に持ち帰って国王に見せたところ、国王が感動して私を国賓として招待してくれた。座右の銘を英文にしても感動して頂けることを嬉しく思う。先程ロシアがなぜ北朝鮮の制裁に対して消極的なのかという質問があったが、中国と仲が悪いのはロシアであり、北朝鮮である。敵の敵は味方であるから、ロシアは北朝鮮の制裁に消極的なのである。さらに北の政権は不都合な存在だが緩衝エリアとして重要である。私は北の非核化のために公開限定空爆をすべきと何度も主張してきたが、先日ラスベガスで年越しパーティーに参加した際、隣に座ったアメリカ軍の元空軍将軍は、『アメリカが戦争をするのは大統領の再選が危ういときか経済的に厳しいときであるから、今アメリカは、北との戦争は考えていない。しかし金正恩の斬首作戦の準備をしており、いつでも金正恩の動きをウォッチしている』と話していた。この話を聞いて、ビン・ラディンをパキスタンで殺害したジェロ・ニモ作戦を思い出した。公にされていたことと全く違うことが最近明らかになってきた。実際にはパキスタンの情報機関とCIAが繋がっており、アメリカがパキスタンからビン・ラディンが拘束されている情報を得て取引をしたと言われている。このビン・ラディン殺害がオバマの再選に繋がったのだろう。だからトランプも同じではないか。表のニュースだけではわからないことがたくさんある。」と、北朝鮮に対するアメリカの戦略を紹介され、会を締め括りました。