第77回 勝兵塾月例会レポート

塾長・最高顧問 元谷 外志雄

塾長・最高顧問 元谷 外志雄

 勝兵塾第77回月例会が、10月19日(木)にアパグループ東京本社で開催されました。冒頭のアパグループ元谷外志雄代表による塾長挨拶では、「毎月東京、金沢、大阪で勝兵塾を開催しており、今回で通算201回目を迎えた。これまで延べ16、000人以上の方々に参加して頂いており、日本の保守化傾向に貢献してきた。今回の衆議院選挙では勝兵塾講師特待生を中心に48名の候補者に推薦状を出している。この勝兵塾が201回目を迎えることができたのは、保守化を受け入れる機運があったからだと思う。今月の座右の銘は『毅然と挑み 運命の神を支配しろ』である。安倍総理は絶妙のタイミングで解散した。その背景には、世界の首脳の中でトランプ大統領と最も親しいのが安倍総理であり、トランプ大統領のアジア歴訪の後に北朝鮮へ公開限定空爆をするという話を聞いていたのではないか。私は、これまで2002年と2009年の2度、金泳三元韓国大統領の自邸に招かれて対談したが、金元大統領は、第一次北朝鮮危機の際に、北朝鮮から『ソウルを火の海にする』と脅されて、当時のクリントン大統領に北朝鮮の空爆を止めさせたが、『空爆を止めさせたのは失敗だった』と私に語った。アメリカが北朝鮮に妥協して北朝鮮を核保有国と認定するのは最悪のシナリオである。アメリカは日本の核武装を恐れているため、アメリカが認めるとすれば、同じ敗戦国であるドイツやイタリアとも締結している核シェアリング協定だろう。トランプ大統領は選挙期間中に日本や韓国の核保有を認める発言をしていたくらいである。日本の核保有に関して、最大の障害は国内の反対勢力である。まずは非核三原則を廃止すべきだ。安倍総理は、前原氏が民進党の代表となり、離党者が相次ぎ、希望の党の準備ができていない絶妙のタイミングで解散を決めた。自民党は圧勝するだろう。先週の夕刊フジのインタビューでは、アナウンス効果があるので『自民党圧勝』とは書かないでほしいと頼んだ。今回の衆院選で圧勝すれば安倍総理が自民党総裁を3期9年務めることになる。その間に憲法改正が実現するだろう。これまで公明党に配慮して第9条の改正ではなく第3項を加える加憲としてきたが、少なくとも9条2項を廃止し、自衛隊を軍隊と認めるべきである。自民、維新、希望で三分の二を確保すれば、公明も与党に留まるために考えを変えて同調してくるだろう。国民投票については、世論は変わりやすいものであるが、北の危機を救国のチャンスとするべきである。今月号のエッセイのタイトルは『核兵器は自国を護る為の究極の防衛兵器である』である。トランプ大統領が北と妥協しないよう、安倍総理には頑張ってほしい。」と、今回の解散の背景と意義を解析して説明しました。

レソト王国大使館臨時代理大使のスィカケコ・ヤンガネ様

レソト王国大使館臨時代理大使 スィカケコ・ヤンガネ様

 レソト王国大使館臨時代理大使のスィカケコ・ヤンガネ様は、「ほとんどの人はレソトについて聞いたことはないと思うが、南アフリカ共和国の中にある国である。1818年に初代国王モショエショエ1世がズールー人をバソトランドに集めて統一したが、オランダ系のボーア人が侵入してきたため、イギリスに保護を求め、1868年にイギリスの保護領となった。1910年にケープコロニーや他のイギリス植民地が統合して南アフリカ連合が形成された。イギリス政府はレソトもいずれ南アフリカに組み込まれるだろうと考えていた。しかし、1959年に自治が認められ、1965年に最初の総選挙が行われ、1966年10月4日にイギリスから独立して、レソト王国となった。レソト王国はイギリスや日本と同じ立憲君主制で、議会は二院制である。現国王のレツィエ3世は国民の象徴である。昨年国王が来日して天皇皇后両陛下とお会いした。国土は四国の1・6倍と小さく、海抜は1、400mから3、000mと高地にある。」とレソト王国の建国の歴史を紹介されました。

在日本ルーマニア商工会議所会頭の酒生文弥様

在日本ルーマニア商工会議所会頭 酒生文弥様

 在日本ルーマニア商工会議所会頭の酒生文弥様は、「19世紀から20世紀にかけて、白人はアフリカの部族社会を無視して分割し、植民地支配した。一方、日本は台湾や朝鮮を植民地ではないかたちで統治した。この両者の違いについてどのように考えるか。」と質問されました。ヤンガネ様は、「アフリカで育ち、2年前に来日したばかりである。だから必ずしも十分な理解とは言えないかもしれないが、日本は第二次世界大戦で敗戦したが、戦後、経済に集中して成功した。日本は世界の他の国を植民地支配しようとしたのではなく、世界で最高の国になろうとしたのだと考えている。レソトでも日本の製品に囲まれており、品質は素晴らしかった。日本に来る前にはマレーシアにいたが、『日本は植民地にしようとしたのか』と現地で聞いたが、そこで感じたのは、日本は植民地化したのではなく、世界で最高の国であろうとしたということであった。イギリスと日本とではやり方が違うので比べられない。世界は植民地化し、帝国主義化したが、日本は最高の国たらんとしたことだけを考えればよい。」と答えられました。

山元学校学長の山元雅信様

山元学校学長 山元雅信様

 山元学校学長の山元雅信様は、「レソトが中国に乗っ取られているのではないかと心配している。大使は日本の企業を説得してレソトに連れていくべきではないか。」と感想を述べられました。ヤンガネ様は、「中国人は世界中にいて、無視できないのが現実である。しかし、自分達は自分達であり、乗っ取られているわけではない。中国人が来る前には日本人がたくさんいて、日本人学校もあった。」と答えられました。

戦争を風化させない会代表の芳賀建介様

戦争を風化させない会代表 芳賀建介様

 戦争を風化させない会代表の芳賀建介様は、「グアムに移住して20年になるが、北朝鮮のミサイルでグアムが話題になり、私はネットでテレビ朝日の番組に出た。その際他の出演者が、グアムは若者が行くところ、ショッピングをするところというイメージしか持っていなかったので、『グアムには4、000年の歴史がある』と強く言った。20年振りに日本に来たが、国会議員と国の話をするとき、『国とは何か』という問いに答えられず、何となくぼやけていることを不思議に感じている。私はグアムの民間人の協力で、グアムの知事公社敷地内に鎮魂神社を建立した。20年間戦争について調べ、多くの生還兵の話を聞いた。当時日本は2万人の兵士をグアムに送り、1944年7月21日に戦闘が始まった。師団長の高品中将は突撃を申し出た兵士に対して、『死ぬな、祖国を護る為に命ある限り戦え』と言ったが、戦況が厳しくなると若い将校の申し出を受け入れ、25日に米軍へ突撃することを決めた。高品中将はその直前に大本営に宛てて、『彼らを誇りに思ってほしい』という言葉を遺している。米兵の証言も聞いたが、『狂気の如くやってくる日本兵に対して部下が逃げようと言って来たので、その部下に対して撃ちまくれと言った。日本兵のライフルには弾はなく、彼らは恐れを知らなかった。』という。なぜそんなことができたのか。それは愛国心があったからである。愛国心とは、国にお世話になっているから何としても国に報いようという気持ちである。これは教育で身に付けるものではない。ありがたいという感謝の気持ちからくる自然のものである。グアムでは虐殺があったので、私は現地の鎮魂祭に参加した。そのとき現地の方は、『殺されるのが怖いから殺す。それが戦争だ。だから日本人を赦そう。』と言っていた。国のために自分の命を犠牲にする者は皆英雄であり、鎮魂のための神社を建立することになった。国というものについて三島由紀夫は、『日本は天皇を中心とした文化と歴史の継続である』と言っている。」と、グアムでの激戦の証言を通じて、愛国心の尊さについて語られました。

勝兵塾事務局長の諸橋茂一様

勝兵塾事務局長 諸橋茂一様

 勝兵塾事務局長の諸橋茂一様は、「話の中で『虐殺』という言葉があったが、日本軍はパラオでも民間人を全員安全な場所に避難させてから戦闘を行っており、民間人を虐殺したことはなかったはずである。」と指摘をされました。芳賀様は、「確かに米軍が上陸する際に、民間人に被害がでないよう島民を一か所に集めて避難させたが、地方では一部でコミュニケーションの行き違いがあり、不幸にして島民に被害が発生した。したがって、島民に対して日本軍が組織的に虐殺を行ったということではない。」と、「虐殺」という表現を修正されました。

国際正道‐空手連盟正道会館正天會会長の中川正秀様

国際正道‐空手連盟正道会館正天會会長 中川正秀様

 国際正道‐空手連盟正道会館正天會会長の中川正秀様は、「明日、10月20日に因んだ話を3点したい。まず10月20日は、皇后陛下がお生まれになった日であり、地久節と呼ばれる。日本人として皆でお祝いしたい。次に、昭和19年10月20日に大西瀧治郎中将の下命により、神風特別攻撃隊が編成された。25日には関行男大尉率いる敷島隊が護衛空母セント・ローを撃沈する戦果を挙げた。特攻隊の敷島、大和、朝日、山桜の各隊の名称は、本居宣長の『敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂ふ 山桜花』という歌に由来している。恵まれた現代人が当時の激戦の中で究極の状況で命を賭して戦った先人達を軽々に批判できない。大西中将は割腹自決をしたが、『これでよし 百万年の 仮寝かな』という辞世の句を遺している。我々が平和でいられるのは、先人達が大東亜戦争で尊い命をお国のために投げ出し散華されたからである。さらに、10月20日は靖国神社の秋季例大祭の最終日である。純粋に熱い思いを持ってお国のために散華された英霊に感謝の誠を捧げたいと思っている。」と、10月20日に因んだ愛国心に関わるお話をされました。

サー中松義郎博士

サー中松義郎博士

 サー中松義郎博士は、「アメリカに20日間行って22人の要人と会ってきた。その中には、アメリカは北朝鮮の核を認めようと言っている人や、北朝鮮のICBMがアメリカに到達するようになったときには日本を守らないと言っていた人がいたのが気になる。」と、アメリカ訪問で受けた印象を語られました。

環境防災コンシェルジュ理事長・工学博士の高梨和光様

環境防災コンシェルジュ理事長・工学博士 高梨和光様

 環境防災コンシェルジュ理事長・工学博士の高梨和光様は、「私は清水建設でずっと防災に取り組んできて、現在は環境防災コンシェルジュというものをやっている。今はミサイルの危機が話題になっているが、地震や津波の危険性を忘れてはいけない。私は環境を良くして防災をすることに取り組んでいる。様々な都市伝説があり、中には嘘もある。これまで政府は地震予知ができると言ってきて、それを前提に対策してきたが、2004年のインド洋津波や3・11で、地震は予知できないことが明らかになった。9月26日のTBSニュースで、『南海トラフ予知前提見直し』と報じられた。これは、地震がいつどこで起こるかわからないため、わからないことを前提に防災に取り組むということである。地震が50年や70年周期で起こるというのは嘘である。プレートにストレスが溜まればどこかに亀裂が起こるが、それは確率的に起こるものであり、一度地震が起こったから暫くそこでは起こらないという、空白域というものはない。」と、地震予知ができない前提での防災対策の必要性を訴えられました。

元出光興産・保護司・家庭裁判所調停委員の奥本康大様

元出光興産・保護司・家庭裁判所調停委員 奥本康大様

 元出光興産・保護司・家庭裁判所調停委員の奥本康大様は、「日本人が自信と誇りを失っているのではないかという気持ちから、パレンバン落下傘降下作戦について書籍を出版したことをきっかけに、講演活動するようになった。また、保守仲間と共にパラオのペリリュー島へ慰霊の旅にも行ってきた。そこにも中国資本が入ってきている。中国は南沙諸島の次には第二列島線であるサイパンやパラオを狙っているのではないか。パラオは大の親日国であり、是非支援をして頂きたい。」と、中国の膨張に対して警鐘を鳴らされました。

 

 最後に塾長より、「本日パキスタン大使と話していたら、1月18日の月例会で講師をして頂けることになった。アパの新しいホテルが次々とオープンしているが、オープン前には無料試泊会を開催している。大阪の御堂筋本町駅東では60室の募集に対して競争率が52・9倍、飯田橋駅南では40室の募集に対して競争率が225倍となった。多くの方々に関心を寄せて頂いている。言論活動と事業活動を両立させ、『二兎を追う者は二兎ともを得る』というのが私の考えである。実際に両方やっていることで相乗効果が出ている。2010年から頂上戦略を開始して、土地を取得してきたが、まだ半分ほどしか開業していない。特に6つのタワーホテルはまだできていない。北米の40ホテルや大型ホテル、国会議事堂前駅前のランドマークホテルはあまり儲からないホテルであり、アパのブランドアップのためにある。儲かるホテルはもっと小型のホテルである。儲からないホテルと儲かるホテルとを組み合わせることが儲かる秘訣である。書籍問題で世界的にアパの知名度が上がり、稼働率は過去最高を続けている。」と、事業と言論活動の相乗効果について語られ、会を締め括りました。