第179回 勝兵塾月例会レポート

公開日:2026/5/27


株式会社KBM会長 諸橋茂一勝兵塾事務局長

勝兵塾第179回月例会が、5月21日にアパグループ東京本社で開催されました。
 冒頭に株式会社KBM会長の諸橋茂一勝兵塾事務局長は、「勝兵塾は、来月の月例会を以って終了することとなった。イラン情勢はなかなか収束が見えず、非常に緊迫した世界情勢が続く中、ソフト、ハードの両面から守るべきものを守り抜くことができる国家体制を確立しなければいけない。ソフト面において最も大切なことは、憲法改正である。国家の最大責務は、よく言われる『国民の生命、安全、財産を守る』だけでなく、『領海、領空、領土、そして日本の場合は天皇を中心とする国家体制を守る』ことである。しかし現憲法第9条には『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』とあり、言い換えれば守り抜く力を持ってはならないと書いてあるに等しい。これを守り抜く事が出来る憲法に変えなければいけない。昭和30年の自民党結党時、結党の精神は、現憲法の改正ではなく、自主憲法の制定にあった。これは意味が似ているようで全く異なる内容である。現憲法は大日本帝国憲法第73条並びに第75条に明らかに違反しており、憲法改正ではなく無効決議を行った後に自主憲法の承認をするという選択肢についても真剣に議論すべきである。」とお話しされました。


参議院議員 山中泉様

参議院議員の山中泉様は、「私は長くアメリカにおり、現地のリアルな情勢をSNSなどで発信し続けていたが、そうした活動も二十数年前からの会長とのご縁に繋がっていたのだと思う。しばらくして日本に戻り、現在は参政党所属の参議院議員を務めている。まだまだ赤ん坊のような若い党ではあるが、ありがたいことに議席を伸ばし、一歩ずつ前進しているところである。残念ながら勝兵塾は幕を閉じる形になったとのことだが、ここで撒かれた大きな種は、確実に日本全国へ広がって育っていくと信じている。私は青森出身だが、空手の縁でアメリカに渡り、ジャーナリズムを専攻した。そこでアメリカの伝統がクリントンやオバマ政権を機に崩れたことを目の当たりにし、それを著書にしている。最近でもチャーリー・カークという、昨年凶弾に倒れた青年の演説をまとめた書籍を出版し、Amazonでベストセラーとなった。参政党では外交防衛委員会に所属し、自衛隊について考えることも多いが、国民の自衛隊への敬意が足りないと感じている。アメリカでは空港での優先搭乗や、レストランでの軍人割引など様々な特典がある。政府でそれを強制するわけにはいかないが、民間でそのような機運が高まることを願っている。日本は安全保障の面でも大きな転換期を迎えている。トランプ政権の安全保障アドバイザーと対談した際、彼らははっきりと『我々はストロング・ジャパン(強い日本)を望む』と言っていた。これからは過度な海外投資を見直し、国内、特に地方や中小零細企業へ積極財政で投資を行い、国力を内側から強めていく必要がある。同時に、今まさに加速している移民問題についても、私たちは危機感を持たなければならない。このままでは近い将来、私たちの知る日本ではなくなってしまうかもしれない。私たちはこれからもこの国を守るための活動を続けていく。」とお話しされました。


国際歴史論戦研究所会長 杉原誠四郎様

国際歴史論戦研究所会長の杉原誠四郎様は、「先日、『「マッカーサーの日本占領」への疑問とは』という本を出版した。元々はこの本の内容を紹介するつもりだったが、勝兵塾も残り少ないということで、まずは元谷会長の驚くべき洞察力についてお話ししたい。かつて、オバマ大統領の広島訪問が大きな話題となった。これに関して、元谷会長は実にその2年半も前に、その実現を予言していたのだ。そのことについては、私とハリー・レイ氏の共著『日本人の原爆投下論はこのままでよいのか―原爆投下をめぐる日米の初めての対話』を英訳し出版された本で紹介されている。2013年10月、アパグループが広島での大規模なホテル建設計画を発表した際、元谷会長は『将来オバマ大統領が広島を訪問し観光客が急増することが見込めるため、この計画を進める』と明言し、翌年の起工式で記者から質問された際も、『オバマ氏は任期最終盤の2016年に必ず広島を訪れる。だから十分な稼働率を確保できる』と言い切った。記者たちは誰も信じず失笑が起こったというが、会長の言う通りになった。この先見の明はまさに常人の域を超えている。その上で、『戦争犯罪である原爆投下の最大の責任者は誰か』という問題についてお話ししたい。結論から言えば、それはルーズベルト大統領に他ならない。日本を戦争に引きずり込んだプロセスはあまりに悪質で、『ハル・ノート』を突きつけた直後、アメリカ国務省が作成していた『暫定協定案』を退け、外交電報を通じて日本にハル・ノートが最終回答であると知らしめ、交渉の余地を完全に断った。不幸なことに日本からの最後通告は大使館のミスで真珠湾攻撃の後に遅れてしまったが、ルーズベルトはその事情を知りながら、『卑劣にも突如攻撃を仕掛けてきた』と演説し、国民の怒りを煽った。また、日本はサイパンが陥落した時点で事実上敗北が決まっていたにもかかわらず、戦争を長引かせた結果、対日戦で命を落としたアメリカ兵の半分以上が、日本の敗北が決定的になったサイパン陥落以降に死んでいる。つまりルーズベルトは日本の未来を奪っただけでなく、自国の兵士や国民をも騙し犠牲にし続けたのである。彼こそが日本にとってもアメリカ国民にとっても、歴史に名を残す『悪魔の大統領』であったと言わざるを得ない。」とお話しされました。


南京事件研究家 阿羅健一様

南京事件研究家の阿羅健一様は、「昨年、中国映画の『南京写真館』と題する映画が公開され記録的な大ヒットとなった。内容は日本軍が南京を攻めた際に虐殺の現場を写真に収め、その写真を南京市民が盗んだというものである。この話の元は、昭和21年に南京で開かれた戦争裁判であり、当時法廷に提出された写真が、南京事件の証拠とされたことに遡る。しかし当時、日本軍に写真を撮影する部隊など存在せず、さらに近年の研究により、それらの写真は南京とは全く無関係であることが明らかになっている。つまり映画は完全な創り話なのだが、それが世界中で公開された結果、『日本は残酷』という誤ったイメージがまたしても拡散してしまった。こうした事態を招いた背景には、日本側の責任も大きい。日本の教科書は今なお南京事件を記述し、戦後の子供たちに教え続けている。そればかりか、外務省までもが公式ホームページに『非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない』と明記し、英文で世界に発信しているのだ。これでは、偽りの映画に対して政府が抗議できるはずもない。また日本人の意識調査に目を向けると、ある現代史の専門家会議では、『日本人の8割が南京事件を認めている』という見方であった。この現状をどう打破するか。平成27年、自由社の中学校歴史教科書が『南京事件を記述しない』かたちで検定に合格し、政府の姿勢は変わりつつある。残る最大の壁は先述した外務省のホームページである。令和5年の参議院決算委員会において、和田政宗議員が『記述の根拠となる文書はあるのか』と当時の林外務大臣を追及した際、大臣は『外務省が作成したものは確認できていない』と認めた。つまり外務省は20年もの間、何の根拠もない記述を載せてきたのだ。しかしその後の追及にもかかわらず、外務省は一向に記述を改めようとしない。いま私たちがすべきことは、この外務省のホームページを訂正させることである。南京事件に関して私は毎日Xに投稿している。1、2分で読める簡単なものであり、ぜひご覧いただきたい。」とお話しされました。


一般社団法人シベリヤ抑留解明の会理事長 近藤建様

一般社団法人シベリヤ抑留解明の会理事長の近藤建様より、「南京大虐殺について、自由社の教科書だけは記載をしていない。私は南京大虐殺について記載したうえで、この事件は実際にはなかったのだというような表記をする必要があると思う。」との意見が出され、阿羅様は「平成30年に自由社が検定に合格した際、文科省側から『南京事件を記述しなければ合格させない』という圧力のようなニュアンスを感じていた。しかし2年前に、清水書院かどこかの高校歴史総合の教科書が南京事件を書かずに合格している。文科省側も反論に対する答えに窮した結果、不掲載を容認しつつあるのではないか。」と答えられ、杉原様は「私が直接検定教科書を申請した際、当時の検定官は南京事件について『学説が存在する以上、それを記載することは制限できない』という立場だった。事件はなかったと完全に証明されているにもかかわらず、学説があるという理由だけで歪んだ自虐史観の記述を許し続ける文科省や、それをそのまま掲載する教科書会社、そして日教組の影響が色濃く残る教育界全体に歪みがある。」と答えられました。また、諸橋様は「前々回の中学校用教科書検定の時に自由社の教科書だけ不合格となった。その際に元文部科学省の事務次官であった前川喜平という人物が、『グッジョブ』と発信をした。これに象徴されるように、文科省にも左翼の人間が増えているが一般のマスコミはほとんど報道しない。」とお話しされました。


著作家 宇山卓栄様

著作家の宇山卓栄様は、「昨年第8回アパ日本再興大賞優秀賞を茂木誠先生との共著で受賞させていただき、過日も会長から激励の言葉をいただき、その記憶は今も鮮明である。先ほど近現代史における自虐史観の話題が出たが、実は世間にほとんど知られていない古代史における自虐史観こそが、この問題の根深い出発点になっていると感じている。私たちは弥生の渡来人が朝鮮半島や大陸から稲作を携えてやってきて、縄文人に文明開化を授けてやったという歴史観を植え付けられてきたが、近年のDNA解析の進歩によって、これが全くの大嘘であることが証明されている。男系遺伝子であるY染色体ハプログループを辿ると、現代の日本人は古モンゴロイドの系譜である縄文人のD系統の遺伝子を3~5割という高さで引き継いでいることが分かっており、私たちの祖先の大半が縄文人であることはデータ上明白である。一方でアカデミズムの学者が主張する、大陸O2系統の遺伝子は、現代の日本人に2割程度しか観測されず、私たちが大陸系渡来人の直接の子孫であるという説は事実に反している。また、日本人が多く持つ東南アジア由来のO1系統の遺伝子や古代米の分析を進めると、日本の稲作は朝鮮半島経由ではなく、紀元前1000年頃の縄文末期に長江流域に住んでいた東南アジア系の民族の手によって黒潮に乗り、直接日本へ伝えられたことが明らかになっている。かつて中国大陸の覇権争いの中でO2系統の民族が南下し、大陸中心部にいたD系統の民族を大虐殺して辺境へ追い出した歴史があり、その子孫こそが現在のチベット人や私たち日本人なのである。このように、日本人のルーツが中国東北部や朝鮮半島にないことは昭和50年代から既に判明していたにもかかわらず、いまだに学校では大陸から文明を与えられたという、歪んだ歴史観が教え続けられている。それはアカデミズムの学者たちが過去の定説を覆すことができず、身内を守るために事実を無視しているからにほかならない。だからこそ、私たち在野の歴史家がこの科学的事実をもとに声を上げなければならない。古代史の段階から刷り込まれた自虐史観が子供たちの思考を縛り、近現代史の歪んだ教育をそのまま受け入れさせる土壌を作っている。教育は国家百年の大計であり、この根源的な部分から歴史の教え方を正していかなければ、本当の意味で日本が変わることはないと確信している。」とお話しされました。


慶應義塾大学名誉教授・公益財団法人アパ日本再興財団理事 塩澤修平様

慶應義塾大学名誉教授・公益財団法人アパ日本再興財団理事の塩澤修平様は、「誤りがあった際に学説が変わるのは通常当たり前のことだが、歴史学についてはそうではなく教育現場にも反映されない。そうした状況をどのように対処していくべきか。」と質問され、宇山様は「実は私は慶応義塾大学経済学部で塩澤先生にミクロ経済学を教わった身である。経済学の世界では学説の更新がスムーズな一方で、歴史はイデオロギーが絡み、そこに圧力をかけられてコントロールされている。文科省の検定もその一環であるのが実態である。これを変えるためには左翼に毒された文科省を解体、少なくとも抜本的な改革をすることが必要である。」と答えられました。


グリーンネット予備校代表、攻玉社高等学校講師 鈴木勝明様

グリーンネット予備校代表、攻玉社高等学校講師の鈴木勝明様は、「中国をかつては蜀黍(もろこし)と呼んだり、唐や支那と呼んでいた。中国という国は比較的新しく、その捉え方を通じて日本の歴史が歪んでいる可能性はないか。」と質問され、宇山様は「ご指摘の通りで、外務省から中国を支那と呼んではいけないとの通達が出されている。支那はサンスクリット語で『チーナ・スターナ』と呼ばれたところからの逆輸入である。一方、中国というのは秦の王朝の『中華』思想に由来し、差別的なものを含んでいるにもかかわらず、逆に支那という呼び方が差別語と捉えられている現状は、中国に対する歪んだ歴史観が根付いている証拠である。」と答えられました。


一般社団法人「空の神兵」慰霊顕彰碑護持会代表理事 奥本康大様

一般社団法人「空の神兵」慰霊顕彰碑護持会代表理事の奥本康大様は、「今回はイラン情勢に絡め、私がかつて勤務していた出光興産の創業者である出光佐三の精神と歴史の真実について、私自身の経験を交えながらお話ししたい。『大東亜戦争は石油で始まり石油で終わった』という昭和天皇のお言葉があるが、出光佐三はこのお言葉を重く受け止め、戦後復興に全精力を傾けた。終戦の詔勅からわずか2日後の8月17日、彼は全社員を集めて『これからの我が国はどうあるべきか、社員はどうあるべきか』という熱い訓示を行い、大勢の社員をひとりも解雇することなく雇い続け、互いに助け合う大家族主義という日本伝統の精神を根幹に据え、戦後復興の原動力とした。戦中も石油配給事業を一手に引き受け、国を支え続けた出光であったが、戦後は進駐軍による石油統制やアメリカの国際石油メジャー、いわゆる『セブン・シスターズ』による暴利に直面し、日本人のための安価で高品質な石油を確保すべく命懸けで『日章丸』をイランへ派遣した。当時のイランはイギリスの経済封鎖によって瀕死の重傷を負っていたが、『日章丸』が急襲して石油を買い取ったことで窮地を脱し、日本もまた石油価格が3割安くなったことで戦後復興が急激に進んだ。この時イランの人々は出光への深い恩義から一隻目の油の代金を受け取ろうとはせず、国際社会において何より大切なものは心と心の通い合いであるという、情の世界の真髄を私たちに示してくれた。だからこそ今回の緊迫した状況下でも駐日イラン大使館がX(旧Twitter)で『友情の証』と言及したように、ホルムズ海峡を出光の船が何のお咎めもなく通ることができたのだ。神戸大学で水島銕也先生の薫陶を受け、国のために尽くすことこそが日本人の役割だと信じて汗水垂らし働いた、出光佐三のこの尊い心意気は神戸大学の後輩である高市首相へと引き継がれている。」とお話しされました。


産業経済新聞社東京本社編集局編集長 矢野将史様

産業経済新聞社東京本社編集局編集長の矢野将史様は、「元谷会長が逝去されて早3カ月が経つ。改めてそのご冥福を深くお祈りしたい。私が元谷会長とご縁をいただいたのは、安倍元首相が第二次政権を発足させた翌年の平成25年のことであった。当時私は夕刊フジで安倍首相の幹事長代理時代から長年連載やインタビューを担当してきたが、第二次政権発足当時はすでに各方面から攻撃を受けていた。保守陣営がもっと発信を強めなければならないとの強い危機感から、私は元谷会長のもとを訪れ、『誇れる国、日本』という熱い思いが綴られた名連載が始まった。本日はこの安倍元首相と元谷会長という、二人の偉人が遺してくれた最期の言葉についてお話しする。まず安倍元首相の最後の連載となった令和4年6月の原稿の中で、憲法改正への強い決意を記されていた。実はこの掲載前日に私は安倍さんと食事をしたが、当時の防衛事務次官が突然更迭されたことに安倍さんは珍しく激しく怒り、私利私欲を排し日本のために行動してきたというご自身の信念を、私の目を真っ直ぐ見据えて何度も繰り返された。これが安倍さんからの最期の遺言となったのである。一方の元谷会長も、国家への強い危機感から言論活動に身を投じ、日本人が本当の歴史を学び民族の誇りを取り戻さねばならないと熱く訴え続けてこられた。昨年インタビューで、会長はコロナ禍に安倍元首相から軽症者受け入れの要請電話を受け、協力を即断即決した思い出を語ってくださった。その際に社員からも一切の反対がなく、それこそがアパの誇りであると嬉しそうに語る姿が今も忘れられない。また事業成功の秘訣について伺った際、家族は社会の最小単位であり、ビジネスでも最も大切なものであり、家族仲良くあることが肝要だと、人間味溢れる教えを諭してくださった。先日、元谷一志社長兼CEOにも同様のインタビューをしたが、もし日本に危機が訪れたら政府の要請を受け入れる用意があると明確に答えられ、元谷家とアパの尊い精神が受け継がれていることを実感した。安倍首相と元谷会長に共通していたのは、祖国を愛する熱い気持ちと強い危機感、そして未来の日本人や後輩たちに対する絶対的な信頼の念である。皆様もぜひこの思いを持ち続けていただきたい。」とお話しされました。


最後にアパグループ社長兼CEO 元谷一志

最後にアパグループ社長兼CEOの元谷一志は、「ご存じの通り、父でありアパグループ創業者の元谷外志雄は今年の2月に逝去し、お別れの会では各界の著名人を含む2,000人以上の方々にご参列いただいた。私は元谷家に生まれ、ある種の宿命を背負ってこの世に生まれてきたのではないかと自問自答しながら今日まで生きてきた。元谷家のルーツを遡ると、祖父の代に元谷木工製作所の創業があり、私の父がわずか14歳で家督を継いだ時に残された財産はアパート2棟だけだった。会長はその2棟を元手に不退転の決意で創業し、今日の広大なアパグループを築き上げた。アパグループの経営の根幹には、創業期から一貫して掲げられてきた大家族経営という理念がある。戦時中、軍需工場だった元谷木工製作所には優先的に配給が届いていたが、祖父は従業員にお腹一杯ご飯を食べさせた後、空の弁当箱に家族の分までご飯を詰め込んで持ち帰らせていたという。この精神こそが、私たちが未来へと継承し続けるべき大家族経営の原点に他ならない。お陰様でアパグループは今年で創業55周年という大きな節目を迎えることができた。私の生まれた日が会社の設立登記申請日でもある。私は常に重い十字架を背負う覚悟を抱き、与えられた運命を前向きに捉え、能動的にどう生きるか、国家や社会のために何ができるかを考えてきた。4年前に経営のバトンを受け継ぎ、皆様のご支援のお陰で3期連続過去最高益を達成し、1年前倒しして新しい中期経営計画を発表できるまでになった。実業の面においては、何とか会長の期待に応えられていると自負している。一方で大変心苦しいことではあるが、言論活動については、現在の私には会長と同じ熱量で深く向き合うための十分な時間が確保できていないのが実情である。私はグループの舵取りを預かる者として、まずはこのアパグループが100年企業となるべく全力を尽くしていく所存である。会長と全く同じ濃度で皆様と接することは叶わないかもしれないが、私に与えられた微力の限りを尽くしていきたい。皆様には何卒これまでの歩みとこれからの挑戦にご理解をいただき、今後とも変わらぬご指導とご鞭撻を賜りたい。」と述べ、会を締め括りました。