第175回 勝兵塾月例会レポート
公開日:2026/1/28

株式会社KBM会長 諸橋茂一 勝兵塾事務局長
勝兵塾第175回月例会が、1月15日にアパグループ東京本社で開催されました。
冒頭に株式会社KBM会長の諸橋茂一勝兵塾事務局長は、「先日、加賀片山津温泉佳水郷で行われたアパグループの新年祝賀会にて、勝兵塾月例会動画を視聴した。元谷塾長は第1回の月例会よりかねてから、『この勝兵塾から総理を出す』と仰っていたが、それが現実となり感慨深いものがある。昨年11月の高市早苗総理の台湾有事に関する国会答弁に対し、薛剣在大阪総領事は『首を斬ってやる』と信じられない発言をした。外交官特権がなければ、彼は日本の刑法222条の脅迫罪で逮捕されることは間違いない。それだけではなく、劉勁松アジア局長が金井正彰アジア大洋州局長との会談後、ポケットに両手を突っ込んで金井氏を見下すような態度をとった。これに対し日本は強い抗議を示すべきと考える。これらに代表されるような異常な国、中国だけでなく、北朝鮮やロシアも含め、そうした国に囲まれている状況の中で、わが国がどのようにして領海・領空・領土、そして天皇を中心とする国家体制と国民を守り抜くのか真剣に考えなければならない。少し話題は変わるが、高市総理就任後の迅速な対応についてお話ししたい。公明党の離脱は日本のために良かったと思うが、迅速に日本維新の会との連立合意を取り付けた。その後、ASEANやAPECへ出席し、日米・日韓・日中首脳会談と各国首脳と会談しながら、ガソリン税・軽油引取税の暫定税率廃止を昨年末にあっという間に実現した。それだけでなく、18人の大臣に対して、それぞれ10項目からなる指示書が渡され、これらの指示書は合計するとA4サイズ40枚ほどになったという。こうした迅速な行動ができたのは、就任以前からご自身が総理に就任したらどのような施策をするか、準備をしっかりとされていたからである。本日お越しの石井苗子参議院議員をはじめ、小野田紀美経済安全保障担当大臣、有村治子総務会長、片山さつき財務大臣といった、同じようなスタンス、覚悟を持った女性議員がおられることを頼もしく思うと同時に、是非同じ気概を持った男性議員にも出てきていただきたい。」とお話しされました。

衆議院議員 市村浩一郎様
衆議院議員の市村浩一郎様は、「東京月例会では初めて登壇させていただくので、簡単に自己紹介を兼ねてお話しする。兵庫6区(伊丹市・宝塚市・川西市の一部)出馬の衆議院議員として現在5期目にあたる。当初は保守二大政党制を志向しており、それもあって3期目までは民主党に所属していたが、党に対し矛盾を感じる点も多く、無所属を経て、現在は日本維新の会に所属している。高市総理は松下政経塾で私の4期先輩という関係にあるが、先述した保守二大政党に関する考えやスタンスもあり、私が与党に所属することになるとはあまり想像していなかった。大学時代は自民党議員の手伝いをしており、自民党本部に週に数回は出入りしていたものの、大学卒業後は一度も訪れたことはなかった。しかしながら、私個人の思想としては保守であると自認しており、勝兵塾でも日々学ばせていただいている。特に南京事件や慰安婦問題に関する立場としては間違いなく本日ご出席の皆さんと同じベクトル、立場で考えている。高市総理も、まさに『勝兵は先ず勝ちて、而る後に戦を求む』の言葉通り、国民の皆様が求める政策を確立させた上でこの度の解散総選挙に挑むものだと思料している。今年、2026年は、昭和元年からちょうど1世紀となるが、昭和初期は第一次世界大戦後の疫病の流行や恐慌などを含め国際情勢が不安定の中、日本はコミンテルンやルーズベルトのオレンジ計画などもあり、その渦に巻き込まれアメリカとの戦争に突入していった。大きな犠牲を払ったものの、先人たちによって今日の日本の礎が築かれ、東南アジア諸国は日本のおかげで独立を果たすことができた。一方で、今日の世界情勢がそうした1世紀前と近い状況にあることを危惧している。格言に、『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』とある通り、過去の歴史から学び正しい選択をしなければならない。過去の歴史を振り返る際に、日本は卑屈になる必要は全くない。皇紀2686年と長い歴史を醸成してきた日本こそ、この混乱した世界を先導できる存在と考えており、その思いで、国会でより良い日本のために尽力したいと決意している所存である。本日は自己紹介も兼ねて私の出自や思いを話させていただいた。引き続きご指導を賜れると幸いである。」と自身の活動やスタンスを中心にお話しされました。

日本経済大学准教授 久野潤様
日本経済大学准教授の久野潤様は、「昨年の石破前首相戦後80年所感に関して、出だしの『この80年間、わが国は一貫して、平和国家として歩み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。』について反論したい。我が国は神武天皇による建国から一貫して平和国家であったが、この所感では終戦以前の国家が戦争国家であると、その歴史を否定する言葉に感じられた。石破前首相が大きく参考にしているのが猪瀬直樹氏の『昭和16年夏の敗戦』であり、私も20代の時に石破氏本人から勧められた。内容は、昭和15年から約1年間、総力戦研究所という若手の官僚・軍人・学者が集まったシンクタンクが日米の国力を分析し、『現状では日本はアメリカに負ける』との報告があったというものであり、にも拘わらず開戦した日本は糾弾の対象となった。しかし、私はこの本に対して出版された時から疑問を持っていた。戦争に負けるという報告があった際に戦争を回避するというのは所詮戦後の感覚に過ぎず、当時の感覚では、むしろ『では勝てるようにさらに努力しよう』となるのではないか。またそもそも、当時の戦力調査全般にも怪しい点がある。類似の調査に満鉄調査部支那抗戦力調査報告というものがあり、それは『日本が中国に負けることはないが、圧倒的な勝利を収めることはできない』という報告結果だった。しかし、その日本分科会トップはゾルゲの一味であった尾崎秀実であり、全体のリーダーは戦後共産主義運動に傾倒する中西功であるため、この報告自体が諜報工作であった可能性もある。しかし、残念ながら日本が無謀な戦争を行ったというのが現代の通説となっている中、我々は戦争と向き合うということの意味を考えなければならない。もちろん適切な反省や教訓は必要だが、まずは世界中どこよりも長い2000年以上に亘って一つの国家を保ってきた先人を尊敬し、信じることが大切である。また、昨年はあの世界史を大きく変えた日露戦争戦勝から120年であったことも忘れてはならない。反省や教訓とこうした慰霊顕彰は両立するものであり、むしろそうしなければ、本当の意味で歴史を踏まえてよい将来を生み出すことはできない。最後になるが、元旦は戦前には歳旦祭として天皇は早朝に宮中祭祀を行い、人々は全国の神社に国家の繁栄を祈願しに詣でていた。そこで私も自身のためではなく、国家国民のためを願い、朝6時に神戸の生田神社にお参りした。また日露戦争での勝利に関連して、海軍記念日と陸軍記念日があるが、海軍に比べ陸軍記念日の祭典を行う神社は全国に4つしかなく、私は大阪護國神社で毎年参列している。このように、できるだけ実践に移しながら、先人や戦争と向き合い当時の価値観や感覚を理解することを大事にしていきたい。」とお話しされました。

慶應義塾大学名誉教授・公益財団法人アパ日本再興財団理事 塩澤修平様
慶應義塾大学名誉教授・公益財団法人アパ日本再興財団理事の塩澤修平様は、「大東亜戦争から今後の国際情勢に関して得られる教訓はどのようなものがあるか?」と質問され、久野様は、「大東亜戦争の際に、連合艦隊は米英の海軍に負けないものがあったと思うが、それを保てなかったことは教訓とすべきである。また、思想面としては共産主義などのイデオロギーに揺さぶられないことである。明治天皇は遷都の際に祭政一致の詔として、日本が神道や祭祀の国であることをいま一度思い起こすよう諭されていたが、これも外来思想に騙されないために必要だったことだと解釈している。」と答えられました。

英霊の名誉を守り顕彰する会会長 佐藤和夫様
英霊の名誉を守り顕彰する会会長の佐藤和夫様は、「先人に対する見方について、先の大戦はアメリカ軍による日本人一般市民の虐殺や輸送船の奇襲といった反則技によって敗戦したと考えると、そうした見方も変わってくるのではないか。」と質問され、山下英次様が「反則技というのは、アメリカが輸送船を攻撃することで食糧不足に陥らせ、日本を困窮と病弊に追い込むことを計画していたことにある。日本人は戦国時代以来の武士道を継承した強い民族であるが、国際社会はそのような国家だけではなく、平気で反則技をしてくる相手にどのように戦うかの考え方も整理するべきではないか」と補足されました。久野様は、「アメリカの画策については承知しているが、私は戦う相手について別の選択肢があったという議論を優先したい。その意味で、日本は共産主義と戦うためにソ連を敵にするべきだったと考えている。また国内でも逮捕歴のあった共産主義者が、政権内に忍び込み妨害工作を行っていたが、その状況をまず改善すべきだった。『月に叢雲、花に風』と言う通り、そうした卑怯な共産主義者が政権内にいたこと自体が問題だったと考えている。」と主張されました。

大学教授、国際音楽メンタルセラピスト協会会長 山西敏博様
大学教授、国際音楽メンタルセラピスト協会会長の山西敏博様は、「母校の校歌を歌うとき、皆さん心穏やかな気持ちになると思うが、国歌も同じような気持ちになるのではないか。国歌の定義は『国や国民の歴史、伝統、闘争を象徴し、称える愛国的な楽曲』と言え、国旗とともに国家の独立や尊厳、国民の現れを示す象徴であり、そこには国の成り立ちや自然・宗教観・価値観が込められている。各国の国歌を見ていくと、まず多いのが戦意高揚を讃える歌詞である。アメリカの国歌には『砲弾』や『炸裂』という意味の歌詞が登場しており、これは南北戦争を背景に誕生した歌詞である。またフランスも『血染めの旗』や『不浄なる血』という言葉が、中国も『隷属』や『血・肉』といった言葉がそれぞれ出てくるように大変過激な歌詞となっている。次に、イギリスやカナダのように国王陛下や国を讃える歌詞も多い。一方、日本の国歌である『君が代』は、古今和歌集に登場する藤原朝臣石位左衛門/橘清友の和歌を元に林廣守が明治時代に作曲したものである。明治時代の一般的な解釈では、『天皇の世の中は長年にわたり細かな石が大きな岩になって永遠に続く』となるが、1999年の国旗・国歌法制定にあたる日本政府の解釈で、君が代は天皇の世の中ではなく、天皇を象徴する日本の国と発出された。さて、ここで『君が代』について、古今和歌集に掲載された当時のものとしての解釈をしてみたい。平安時代には大和言葉が使われており、『き』は純粋さを、『み』は御、すなわち尊いものという意味を表していた。またイザナキ・イザナミから分かる通り男・女の意味もあり、人々と言う風にも捉えられる。そのように大和言葉で少し拡大解釈すると、そうした愛する大切な人々同士の世の中が永遠に続く、という平安時代の恋文のようにも読めるのではないか。すなわち、出会ってから色々な苦楽を共にした男女が、その生活が永遠に続くことを願った恋文と読める。最後に総括として、国歌は各国それぞれの意味合いを持って作られ、歌われている。日本は君が代が国民、愛すべき人々の長命と平穏な生活を望む歌となっている。私は大学教授の傍ら、日本の伝統文化、特に童謡の歌詞から伝わるメッセージを投げかける『童謡メンタルセラピー』を、被災地などで実践しているが、改めてこうした歌詞の意味を深く考えながら活動していきたいと考えている。」とお話しされました。

フォト・ジャーナリスト 山本皓一様
フォト・ジャーナリストの山本皓一様は、「カメラマンとして世界を飛び回っている。人間には好奇心というものがあるが、それが多い人はひとつの好奇心から行動し、そこでまた次の好奇心へと連鎖していくものと考えている。私は1980年代に朝鮮半島の板門店に北朝鮮側から入ったことがある。すると普段は陽気なイメージの強いアメリカ兵が、韓国側からすごい形相で睨んできた。そこで自分の立ち位置によって相手の雰囲気や反応が大きく変わることに興味を持ち、韓国側から再度入りたいと思うようになった。ビザを申請したがなかなか許可が下りず、3年かかり、田中角栄の元秘書で政治評論家である早坂茂三氏の秘書として入国することができた。その後もしばらく滞在していたが、私は北朝鮮に入国履歴があることから警戒されていたようで、ある日、ホテルのテレビを急に取り替えられ、その後に私がかけた電話の会話がテレビから聞こえてきた。さらに部屋が急に変更になり、その際に部屋中の荷物をチェックされていた。またパーティーに招待されると、知り合った女性がホテルまで着いてこようとするので、こっそりお金を渡し帰したことがあった。そうした経験を経て、人を見る際には多角的に見て判断することを取材の信条としており、田中角栄氏に密着取材した際も、いわゆる『角福戦争』の相手方である福田派にも接触するようになり、そこで安倍晋太郎氏と知り合った。その縁で安倍氏とゴルバチョフ氏の会談に同行することができ、ゴルバチョフ氏の元秘書と親しくなったことで北方領土を訪れることができた。そのように好奇心が連鎖して、どんどんと仕事に繋がったことは私にとって幸運であった。また、安倍晋太郎氏とのご縁から安倍晋三氏にも繋がっている。かつて私の出版記念パーティーにお見えになった際、『田中角栄氏や父(安倍晋太郎氏)の遺影には山本さんの写真を使わせてもらったという。そう考えると、私が山本さんに撮ってもらうのはもっと待ってもらいたい』とジョークを仰っていた。その後、安倍氏が総理を辞任された際に、初出馬の写真をパネルにして安倍氏を囲み、写真を撮ったのだが、それが安倍氏の亡くなる7日前であった。最後に私は長年メコン川に行ってみたいと考えており、情勢の変化で往来が容易になったため、数年前から毎年1ヵ月近くメコン川周辺を散策している。するとインドシナ半島付近も中国の一帯一路構想により、周辺国へ圧力をかけて港や施設を建設させていることが分かる。メコン川の流域を中国が制圧すると、日本への補給路を閉ざすことが可能になるため、警戒が必要である。」とお話しされました。

笹川平和財団日米・安全保障ユニット研究員、李登輝基金会顧問 早川友久様
笹川平和財団日米・安全保障ユニット研究員、李登輝基金会顧問の早川友久様は、「私は2011年からお亡くなりになるまで9年間、李登輝元総統の秘書をしていた。本日(1月15日)はちょうど李登輝氏の誕生日にあたる。本日は李登輝氏がいかにして今日の台湾を作り上げたかをご報告したい。1999年に李登輝氏が日本で出版した『台湾の主張』で主張されているのは、『台湾は国の名前や政治形態がどうであるかより、台湾として存在していくことが最も重要である』という考えで、これは現代でも全く色あせておらず、台湾が今日までこの状況を維持したことで国際的地位が高まってきている。李登輝氏の最大の功績は台湾の自由民主化であるが、これは台湾が国際社会に支援を受けるために自由民主化が必要と考えたからである。日本が非政府間の関係とはいえ、台湾を支持し続けられているのも、やはり台湾が自由民主化した国家であり、日本と共通の価値観を大事にする国だからである。近年、台湾を取り巻く国際社会が非常に大きく変化して、『台湾有事』と毎日のように取り上げられる中、台湾が世界から支援されている、国際的な地位が向上している現状を考えると、李登輝氏は台湾の将来について非常に先見の明があったと言える。また私も台湾に20年いるが、自由民主化したことは台湾人の自信に繋がっている。かつては台湾が普通の国家ではないことを自虐的に語る人が多かった印象だが、特に今の若い世代はそのような卑下した考えは持っていない。少し上の世代だと日本との間に上下関係を感じている人も多いが、若い世代は日本を対等なパートナーと捉えており、関係性の認識も変化が生じており、また自信にも繋がっている。数年前にホンジュラスが台湾と断交した際のことだが、これまでだと小国であれ断交することは与党政策への不信に直結しており、外務大臣の去就問題にもなっていた。しかしこのときは支持率に全く影響がなく、それも台湾の重要性が国際社会で高まっていることから、台湾人が自信を得ているからではないか。戦後80年が経過し、今後の日台関係を考えるうえで、今後もし台湾有事が起きた際には日米台での連携が必須になる。一方で、先日アメリカへ出張した際に意見交換をすると、やはり遠いこともあってアメリカにとって台湾に対する意識は薄く、ボードゲームのように考えている印象を受けた。そこで、アメリカそして国際社会にとって台湾は重要であり、本腰を入れて守らなければいけないと認識させることが台湾、そして日本が果たしていく役割であると考えている。」とお話しされました。

参議院議員 石井苗子様
参議院議員の石井苗子様は「トランプ大統領は台湾の価値を十分に理解してか知らずか、アジアへの干渉を弱めているが、彼は恐らく、そうしても中国はすぐには台湾有事に踏み切らないと読んでいるのではと推察している。実際、中国は台湾についてどのように考えているのか?」と質問され、早川様は「私もトランプ大統領は台湾の価値を理解していないと考えている。その上で、中国が本当に突然侵攻してくる可能性は否定できない。習近平、そして中国にはアメリカを超えて世界一になりたいという野望があるため、台湾や日本、フィリピンが海洋上の蓋となって、その野望を抑えなければならない。しかし、トランプ大統領は金儲けを優先しており、日本から台湾の重要性をアメリカに刷り込んでいくことが重要である。」と答えられました。

朝鮮近現代史研究所所長 松木國俊様
朝鮮近現代史研究所所長の松木國俊様は、「高市総理の台湾有事に関する答弁に関して、頼清徳総統が日本産ホタテなどを食べる様子をSNSに投稿したことは象徴的だが、実際のところ台湾現地での反応はどのようなものか?」と質問され、早川様は、「まず頼総統の写真はたまたまタイミングが合っただけで、実際には半年前からスケジュールされていたものであり、高市総理の答弁に反応したわけではない。その上で現地では様々な意見の人がおり、歓迎する反面、中国との摩擦、関係の悪化は回避してほしいという、入り混じった感情を持っている人々も多い。野党である国民党もそうした状況の中で親中的なアピールを台湾内で展開しているが、台湾社会も国民党が以前に過度な親中派に傾倒したこともあり、疑いの目で見ている現状もある。」と答えられました。