第171回 勝兵塾月例会レポート
公開日:2025/9/27

塾長・最高顧問 元谷 外志雄
勝兵塾第171回月例会が、9月18日にアパグループ東京本社で開催されました。
冒頭に塾長は、「本日も多くの方にお集まりいただき嬉しく思う。勝兵塾は様々な観点からの議論を通じ、『本当はどうなのか』について考える機会を提供したいと考えている。世の中には触れられていない多くの真実があり、この勝兵塾が皆様にとってそうした真実を知る場となれば幸いである。」と述べました。

「日本の真の独立を目指す有識者会議」創立者・副議長、大阪市立大学名誉教授・経済学博士、国際政治経済学者 山下英次様
「日本の真の独立を目指す有識者会議」創立者・副議長、大阪市立大学名誉教授・経済学博士、国際政治経済学者の山下英次様は、「第二次世界大戦は戦勝国であるアメリカが20世紀最大の愚行を犯し、敗戦国日本が20世紀最大の偉業を成し遂げた点で、世界史最大のアイロニーに満ちている。石破首相は歴史修正主義者との闘いをテーマとしていたが、現在の歴史認識は戦勝国のプロパガンダによって歪められており、むしろ歴史修正主義こそが今の日本に求められている。第二次世界大戦で最も重要なことは、ルーズヴェルトが戦うべき相手を取り違えたことである。本来、自由主義・資本主義のアメリカにとって最大の敵は全体主義・共産主義のソ連であった。当時のソ連は、モスクワ裁判などを通じて大粛清を行い、ルーズヴェルトはそれを知っていたにも拘らず、1937年に隔離演説にて、日独伊を敵対視し孤立させることを狙った。すでに彼は戦争を内々に決意していたが、国民にはそれを秘して大統領選に当選した。それに対し日本はルーズヴェルトと旧知の間柄である野村吉三郎を1940年11月に駐米大使に起用し、コーデル・ハル国務長官およびルーズヴェルトと日米開戦回避のための会談を70回ほども重ねたが、アメリカは開戦に向け強硬に歩を進めた。しかしこれはソ連を味方につけ、共産主義に対する地政学上の砦である日本・ドイツを叩くことであり、完全な矛盾、ねじれである。その結果、日本では戦死者と民間人犠牲者を310万人出し、東西冷戦は四半世紀以上続くという悪影響を国際社会に及ぼした。一方日本は、大東亜戦争の戦争理念として、1942年1月27日に東条英機首相自らが『大東亜共栄圏を建設し、世界の被圧迫民族を英米植民地の桎梏から解放する』と発言しており、また1943年にも7カ国が参加した有色人種国初のサミットである大東亜会議で人種差別撤廃を訴えた。この理念が実を結び、戦後に再度植民地支配を行おうとした欧州諸国に奮起した民族が、世界中で100以上も民族自決国家としての独立を果たした。これは世界史でも類を見ない、日本の金字塔である。日本はそれ以前から、1919年4月11日に国際聯盟規約検討委員会において『人種差別撤廃』の文言を規約の前文に盛り込むよう提案し、1872年には横浜港に停泊中だったペルー船籍の『マリア・ルス号』に乗船していた清国人230名の奴隷を解放している。こうした人種差別撤廃を掲げた日本が米国と戦ったことにより、人権人道面で日本は大きな貢献、偉業を成し遂げており、日本人はこれを誇りに思うべきである。」とお話しされました。

慶應義塾大学名誉教授・公益財団法人アパ日本再興財団理事 塩澤修平様
慶應義塾大学名誉教授・公益財団法人アパ日本再興財団理事の塩澤修平様は、「ルーズヴェルトが同じ資本主義国であるドイツと日本をターゲットとした理由は何か。」と質問され、山下様は「ルーズヴェルト自身は共産主義者ではないものの、周りに隠れ共産主義者が多くいた。商務長官を務めたハリー・ホプキンスはソ連の要人と頻繁に接触し、外交政策の多くが親共産主義的であったことが知られている。1920年のパーマー強制捜査以降、1950年代のマッカーシズムまでアメリカにおける共産主義者の摘発はなく、ルーズヴェルトは共産主義の影響を受けた政策を実行してしまった。国際的にもアメリカの放任主義により、中華人民共和国をはじめとする社会主義諸国が誕生した。なお、ルーズヴェルトはオランダやユダヤ系の血を引く一族であり、キリスト教徒ではあったもののユダヤの外郭団体であるフリーメイソンに入会していたことから、ナチスに対する対抗意識はあったかもしれない。」と答えられました。

早稲田大学名誉教授 相葉宏二様
早稲田大学名誉教授の相葉宏二様は、「ルーズヴェルトが共産主義者を味方にした理由について。彼は選挙戦のために親共産主義的な政策を行ったのか。あるいはソ連が、それまでユダヤを弾圧していた帝政ロシアを倒したからなのか。」と質問され、山下様は「ルーズヴェルトは当時の多くの政治家・軍人がそうであったように共産主義に対する誤解があり、民主主義の一種だと考えていた。彼は戦後、ソ連と一緒に国連で新しい世界を築くことを思い描いていたが、その勘違いにより第二次世界大戦開始時にソ連とモンゴル人民共和国しかなかった社会主義国家は戦後40以上にまで増加した。我々が批判すべきはルーズヴェルトと、それを4回も当選させた当時のアメリカ国民であると考えている。」と答えられました。

キャスター、戦後問題ジャーナリスト、 慶應義塾大学SFC 研究所上席所員、陸上自衛隊予備自衛官 佐波優子様
キャスター、戦後問題ジャーナリスト、 慶應義塾大学SFC 研究所上席所員、陸上自衛隊予備自衛官の佐波優子様は、「普段は日本の先人について紙芝居にして全国でお話しする活動をしており、その中で私が最も心を打たれた、皇居勤労奉仕の始まりに関する逸話をご紹介させていただく。皇居勤労奉仕は戦後の皇居、学生たちの自主的な行動からはじまった。明治宮殿をはじめ、皇居は空襲の飛び火による焼失もあり、瓦礫や草も散乱していた。そんな中、1945年12月7日に皇居の坂下門に宮城県栗原郡から60名ほどの若者が現れ、皇宮警察の方に『雑草が茂って荒れていると伺い、掃除や草刈りの手伝いに上京した。食料は自分たちで用意しているので、手伝いをさせてほしい』と依頼した。そこで対応したのが当時の木下道雄侍従次長であり、話を聞くと彼らは別れの水盃も交わしており死ぬ覚悟で来たとのこと。当時は二重橋前の広場で連合軍が行進・訓練を行っており、彼らに捕まってしまう覚悟でやってきたことに心を打たれ、勤労奉仕をしてもらうことにした。彼らは農業の経験を活かし、翌日朝から驚くような手際の良さで作業を行った。木下侍従次長が天皇陛下にお話しされると、午後になって陛下が作業現場へ赴くこととなった。その時の様子を木下氏は、『ザックザックと砂を踏んで一歩また一歩、現場に近づかれるお靴の音は、まさに日本歴史大転換の歯車のきしる音としか思えない。』と表現している。戦争ののちに取り残された同胞の安否や、国民の艱難辛苦を思いやる陛下にとって、彼らにお会いになることは少しでもお気が晴れるだろうと推察したのだ。突然の出来事に大変驚きおずおずと集まってきた青年たちに、陛下は感謝の念と郷土の状況などをご質問され、最後に彼らを激励されその場を去ろうとした。そこで青年たちは自然発生的に君が代を歌い始め、陛下も足を止めた。青年たちはすすり泣きのように歌い、その際の様子は『見ると、真黒な手拭を顔に押しあてた面伏しの姿もある。万感胸に迫り、悲しくて悲しくて唱えないのだ。私も悲しかった、誰も彼も悲しかった。しかし、それは、ただの空しい悲しさではない。何かしら伝い知れぬ大きな力のこもった悲しさであった。今から思えば、この大きな力のこもった悲しさこそ、日本復興の大原動力となったのではなかろうか。』と記されている。木下氏が記した通り、国民とともに歩き語りたいという陛下の思いと、日本再興のために働く青年たちの思いが初めて連なった瞬間だったのではないか。」と、皇室勤労奉仕のきっかけとなる出来事について、情感を込めてお話しされました。

神道学博士、元ジャーナリスト 東郷茂彦様
神道学博士、元ジャーナリストの東郷茂彦様は、「私の祖父である、東郷茂徳(以下、茂徳)についてお話ししたい。8月にNHKで『昭和天皇 終戦への道 外相手帳が語る国際情報戦』という放送があった。現在私が所持している、当時外相を務めた茂徳の手帳を南日本新聞、NHKの協力のもと、東京大学の加藤陽子教授らにより全文判読したものであり、終戦時の講和条件に関する議論など多くの事実が明らかになり、日本終戦研究において大きな意義のある発見となった。茂徳が終戦時について対ソへの不信感、警戒感を度々表明しながらも、終戦締結に関する陸軍等からの賛同を得るために、ソ連が不参戦中立の立場を変えないようにソ連工作するに至った、歴史学者である栗原健氏の言葉を借りると『卵殻を運ぶような難しさ』の戦後処理に至る筋道が分かる内容となっている。茂徳も終戦直後の感想として、戦争に負けたことは悔しいが、終戦処理に対しては『人生最高の義務』を果たしたと回想しており、ハルノートへの対応や終戦に際しての天皇陛下のお心持についても振り返っている。一方でその終戦に至る筋道を理解せず、森本敏氏が『安保ただ乗り論を振りかざしているだけ』と批判するトランプ大統領の危うさが露呈する形にもなっている。また、単純に戦争を頭ごなしに否定し、皆が平和を望めば平和になるという安直な精神構造の言論が戦後なお現在も横行している。次に茂徳の出自について。彼の祖先である朴家は16世紀後半の文禄・慶長の役における大陸出兵の際に朝鮮から日本にやってきた陶工であり、茂徳自身は口にはしなかったものの、間接的な行動から朝鮮へのこだわりが見え隠れする。このことに関連し、私は現代の国籍とアイデンティティーの問題として、外国人の日本国籍取得に際し厳密な審査を行わず、性善説で外国人が日本のために尽くすという馬鹿げた前提で話が進んでいることに疑問を感じる。外国人がいざ日本へきたものの、自身の希望やイメージと異なることから帰国する者が技能実習生のみならず、防衛大学の留学士官でも発生しているという。日本国籍取得には、日本国への忠誠や伝統および習俗の尊重、利益に反することを行わないことの誓約は必要ではないか。最後に、近年世界でも茂徳が注目されており、Evan Thomas氏、Gary J. Bass氏から著書がいずれも23年に刊行され、私も執筆に協力した。またマンチェスターのラジオにも招かれ、トルーマン大統領と昭和天皇について私が語っており、現在でもポッドキャストで聞くことができるので、興味があればお聞きいただきたい。」と、祖父である東郷茂徳氏の生涯から現代に学ぶべきことについてお話しされました。

ベトナム人材開発センター代表 西山一郎様
ベトナム人材開発センター代表の西山一郎様は、「毎月ベトナムへ出張し、日本語と日本文化の教育、またベトナム人の日本企業での雇用仲介の仕事を行っている。ベトナムとの連携を深化発展させることをテーマにお話ししたい。ベトナムはフランス、アメリカ、中国に勝利した東南アジア唯一の国であり、ドイモイ政策を導入した社会主義国家(共産主義ではない)であり、GDP成長率は8%前後と高い水準にあり、近い将来マレーシア、シンガポールのGDPを抜き、日本に迫る勢いである。日本で活躍する在留ベトナム人は今年65万人を突破し中国に次ぐ第2位であり、ITエンジニアの採用も急速に拡大している。反対にベトナムに進出している日系企業も3,200社にのぼる。先日、高島屋によるハノイでの大規模複合ビルの出店に関する報道もあった。日本とベトナムは古くから親密な関係にある。17世紀の朱印船貿易の中心はベトナムであり、ホイアンには約1,000人の日本人が住み、精霊流しをはじめ文化交流も盛んに行なった。同地には谷弥次郎兵衛の墓があり、没後400年経った現在もベトナム人の墓守が管理している。また、大東亜戦争終結後に約800名の元日本軍将兵が残留してベトナム独立戦争を共に戦い、うち約600名が戦死したと言われている。日本についてよくベトナム人からも、なぜ日本人は自国の文化や真実の歴史をアピールしないのかと言われる。そこで、2008年から開始した『真の近現代史観』懸賞論文制度をはじめとする元谷塾長を中心とする言論活動を保存し発信する『日本創成プロジェクト』をご提案したい。先輩諸氏の調査検証について先進技術を活用しビッグデータとして保存する。さらに検索システムの構築やSNSでの発信を通じ多言語を駆使してそれらを世界中に発信していきたい。ベトナムの大手IT企業で日本企業のAIシステムの開発と活用に大いに貢献しているFPTの協力も得られることを確認している。私はFPTと日本語学校を通じてつながりがあるため、紹介することが可能である。SNSを通じての動画制作は、世界のZ世代を中心として積極的かつ大々的な発信が可能であり、日本の真の歴史、真の文化に基づく正しい世界世論が形成されるはずである。ネパール、インドネシア、スリランカ等アジア各地でZ世代を中心とした新しい革命が進行しているが、彼らは自分自身のアイデンティティーに関する答えを求めており、こうした発信が彼らに届けば必ず効果があり、諸橋事務局長をはじめとする諸氏にご協力いただきぜひ実現したいと考えている。」とお話しされました。

在日本ルーマニア商工会議所会頭 酒生文弥様
在日本ルーマニア商工会議所会頭の酒生文弥様は、「私が生まれた寺は福井市にある酒生精舎浄福寺であり、753年に国分寺として建立された。近くに福井出身の継体天皇の左大臣末裔である生江臣東人が創建した国分寺の遺構が存在する。私の両親と兄弟を見ると、私の父以外はみなアメリカに開教使として渡った。彼らの中には徴兵されベトナム戦争へ出兵した者もおり、彼から当時送られてきた年賀状を見て、世界中の宗教も世界平和という目標は同じだと思うようになった。私が代表を務める光寿院には二つの信条があり、宗教の本質を大宇宙・地球自然に対する畏敬と感謝を基調とする霊的な直知とすることと、すべての宗教は善であれと説いており善とはいのちに叶うことという信条である。私の松下政経塾での経験を踏まえ、目標としてすべての宗教と精神文化の和合、AIを中心とした地上浄土たる文明を築くこと、すべてのいのちとモノが生かされ抜くように努めることを掲げている。宗教は大きく分けて3つのタイプに分類できると考えている。一つ目は砂漠・遊牧民の二元論的一神教で、砂漠では物が少なく、自分自身とそれを超越した神的な存在の二元論となる。二つ目はそれに対する、森林・狩猟採集民の多元論的多神教である。森では花・木・生物と多くの要素があることから、多神教的な世界観となる。三つ目に農地・農耕民の一元論的宇宙教があり、農耕社会で生産性が向上した人類には瞑想する時間ができ、自身がダルマと言われる宇宙の一部であると考えるようになる。人間の脳についても興味深い研究があり、大脳新皮質で理性を、大脳辺縁系で感情を、脳幹脊髄系で本能を司っているが、ヘビの心のような脳幹で、発達した理性をコントロールすることでエラーが生じている。ブルースリーが『燃えよドラゴン』の中で、言葉はこころを伝える手段に過ぎないと弟子に教えるシーンがある。月に例えるならば、きれいな月の位置が伝わるならば、その手段である指はもう下ろしてもよく、言葉そして宗教も同じことである。私の大好きなダライ・ラマ法王は、仏教の教えは量子論と同じであるとして、科学者と対話している。私も多くの宗教者との交流を通じ、目指すところが同じであると確信している。昨年、私のための出版社MJGをアメリカに創ってくださったMarjorie Janesさんと塾長に面会する機会があったが、そこからアメリカ人向けに英語で出版を予定している。世界の様々な宗教は大きな宇宙への感謝という点で和合し、世界単位の平和繁栄を考えていくべきである。私の好きな言葉として、一期一会、先憂後楽、従流志不変というものがあり、今の出会いに感謝しながら自らの志はぶれることなく活動していきたい。」とお話しされました。

参議院議員 石井苗子様
参議院議員の石井苗子様は、「10月4日に控えている自民党総裁選について、報道では高市氏と小泉氏がクローズアップされているが、議員内の意見としてはそれ以外の候補を含めどうなるか分からないといった状況である。また、国会で論点として最も注目されているのは日本在住の外国人に対する法整備等をどう進めていくのかということ。労働力不足解消や紛争からの避難を目的に、急速に高まる外国人の流入需要、供給に対応しなければならない。その他の論点としては憲法第9条第2項がある。自衛隊を英語でいうとSelf-Defense Forcesであり、自国の人命・財産・国土が侵された場合に自衛するものであるが、このSelfを取って国防軍とする議論があり、その先にはアメリカだけでなく、オーストラリア、フィリピンといった国と四海同盟を結び、中露朝に対抗する同盟を結ぶ構想がある。この場合、同盟国の危機に際しどこまで国防軍を派遣するかという点について議論が進んでいる。またそれ以外にも社会保険制度や自衛隊の定員割れ対策など多くの論点があるが、勝兵塾のご意見を参考にして日本のよりよい将来に向け行動していく。」とお話しされました。