第165回 勝兵塾月例会レポート
公開日:2025/3/26

塾長・最高顧問 元谷 外志雄
勝兵塾第165回月例会が、3月19日にアパグループ東京本社で開催されました。
冒頭のアパグループ元谷外志雄会長による塾長挨拶では、「先日発表したアパグループ 2024年11月期連結決算では、グループ連結売上高2,260億円、経常利益796億円と前期対比増収増益となり2期連続で過去最高売上・過去最高利益を更新し、利益率約 35%を記録した。『二兎を追う者は二兎とも得る』と常々申している通り、言論活動と事業活動を両立している。毎月10万部以上発行している『アップルタウン』に掲載している『APA的座右の銘』の6月号は、『積極果敢に 攻めれる時に 攻めろ』だが、これは勝算を持ったうえで戦いに挑むべきということである。先日、第18回『真の近現代史観』懸賞論文および第8回『アパ日本再興大賞』推薦作品の募集を始めた。引き続き言論活動を積極的に展開していくが、その一環として、本日の勝兵塾も多様な意見が出る会となることも期待したい。」と述べました。

参議院議員 同決算委員長 自民党金融調査会長 片山さつき様
参議院議員で同決算委員長、自民党金融調査会長の片山さつき様は、「第2次トランプ政権は発足以降、その評価に賛否が分かれているが、トランプ大統領が自ら発言していた『常識の革命』をアメリカで展開している。先日、トランプ大統領就任式に出席し、それに伴い参議院決算委員長・金融調査会長として訪米した。私の夫である片山龍太郎がニューヨークのジュリアーニ市長とジョイントベンチャーをやっていた縁で8年前の就任式にも参加しており、今回で2度目の参加となった。トランプ大統領に以前の就任式にも参加したことを話すと態度が大きく変わったことが印象深く、彼の懐にいかに入れるかが重要だと感じた。2016年に当時の安倍首相は、彼の当選後すぐの11月にトランプタワーに行き友好の意を表した。その甲斐もあって日本はしっかりと同盟国としての地盤を築けており、元副大統領をはじめ多くの米政府関係者から、日本は同盟国であり、ともに対中政策を強化しなければならないとの発言があった。石破首相は安倍氏のようにすぐ会談することは叶わなかったものの、先日開かれた日米首脳会談も他国に比べれば友好的な会談であったと評価できるだろう。一方でトランプ政権の関税を筆頭とする経済政策については、一定の緩和は期待できるものの、日本だけが完全に適用外となることは難しいと、私の当選同期である武藤経産大臣とも意見交換している。日本製鉄によるUSスチール買収については、共和党の議員からも州内の雇用を創出するとして肯定的な意見を聞いていたにも拘わらず、トランプ大統領はお得意のディールで様々な要求を行っている。また民主党政権で推進していたDEI(ダイバーシティ・多様性、エクイティ・公平性、インクルージョン・包摂性)を完全に否定し、既に気候変動枠組条約で採択されたパリ協定や、世界保健機関から脱退を表明している。特に公有地の石油掘削許可や、石油輸出国機構(OPEC)に原油価格の引き下げを求めることで、原油価格は就任直前の90ドル弱から20ドル以上下落した。このように自らの発言を通じ経済を動かすことは、保守政治のリーダーとしてあるべき姿なのではないかと思う。また性の多様性に関しては、米国内で徹底的な意識調査を行い、生物学上以外の性別を認めることによる問題点を炙り出し、大統領選の激戦州で共和党支持を得た背景もあり、就任後すぐに男女の生物学的な性別のみを認めるという大統領令が発令され、関連法案も下院で可決された。ここで重要なのは、社会規範は万人が満足できるものはなく、最後の一人を満足させるために過剰な議論をするケースがあることだ。トランプ大統領は、常識革命でそうした行き過ぎたポリティカル・コレクトネスを見直しているのではないか。政治において、保守政党は大衆層・中流階級の本音を把握し、そこの支持を得なければ生き残れないと私は常々主張しており、日本政府にはそれが欠けているところがあるが、トランプ大統領はそこをうまく立ち回っている。彼の言動に対し日本は色々と対応に悩まされる面はあるものの、一方でその中間層からの支持や健全な保守を目指す姿勢を見習い、日本の政治に活かしていくべきだと考える。」とお話しされました。

日本経済大学准教授 久野潤様
日本経済大学准教授の久野潤様は、「2025年は沖縄戦終結から80年となる。毎年6月23日に摩文仁の沖縄平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われる。例年、首相や沖縄県知事が参列しているが、私はこちらには伺わない。というのも、『追悼』という言葉は戦後、無宗教の儀式であることを強調するために用いられることが多く、この追悼式も政教分離原則の下に神道を否定しているからである。一方で神式の行事も同日、那覇市の沖縄県護国神社にて行われており、私も参加している。もし今年沖縄に来られるという方がいれば、護国神社の方にお越しいただければと思う。本日は、大東亜戦争において沖縄が昭和天皇に見捨てられたという言説はウソであるという話をしたい。連合軍に対し、日本は『菊水作戦』として第一機動基地航空部隊および陸軍の部隊が共同し、航空総攻撃する作戦を発動した。戦争が激化するにつれ、米軍の対空砲火が特攻隊向けに強化されており、また日本側も戦争初期にいた少数精鋭のパイロットや技術者、整備員が減少したことで戦力が低下し、沖縄へは飛行機で近づくことさえ困難になっていた。こうした事情を鑑み、集中攻撃である菊水作戦が立案されたのである。菊水一号作戦は当初航空総攻撃という計画だったが、直前に戦艦大和および第二艦隊駆逐艦の出撃が急遽命じられた。しかし第二艦隊から猛反対を受け、草鹿龍之介連合艦隊参謀長が昭和天皇から、直々に、飛行機だけでなく軍艦を向かわせられないかと御下問があったことを伝え、それを聞いた伊藤誠一第二艦隊司令長官が出撃を承諾したとされている。このエピソードは、昭和天皇によって大和が無謀な作戦に出撃したと曲解されることが多いが、これは世界最強と謳われた戦艦大和を使わず、沖縄を見殺しにしてはいけないと伊藤長官が考えたための出撃であった。宇垣纏第五航空艦隊長官はこれに呼応し、本来別の作戦に就かせるべき零戦を、命令違反覚悟で大和の上空に派遣した。宇垣纏長官は8月15日の玉音放送後、最後の特攻隊出撃を命じて戦死したが、その際に『戦藻録』という陣中日誌をまとめており、その中で日本の軍隊は勇敢に国土を守った軍隊であったと記している。菊水作戦にて陸海軍は多くの特攻隊を出撃させており、陸軍は知覧基地、海軍は鹿屋基地から出撃し、計約1,800機の特攻機が出撃し、約2,600名の搭乗員が戦死していることからも、日本軍が沖縄のために最後まで死力を尽くして戦ったことが分かる。菊水作戦の名は楠木正成公の旗印である菊水に由来している。つまり湊川の戦いに向かった楠木正成公のごとく、圧倒的に不利な状況でも戦うという意思表示である。楠木正成公は自暴自棄になるのではなく将来のことも考え、『桜井の別れ』で我が子と訣別して戦いに赴いた。戦艦大和の伊藤長官もそれを実践し、将兵候補生70名を下艦させた。その生き残った方にインタビューした際、戦艦大和の出撃が今の日米関係の土台となっていると仰っていたことが印象深い。つまりこのときの戦いぶりを見て、アメリカが日本を信頼できる同盟相手として評価してくれたともいえるのだ。最後に、1947年に昭和天皇が宮内府御用掛の寺崎秀成を通じ、米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む見解を伝えているが、このことも沖縄を見捨てたと誤解されている。しかし、その趣旨はソ連共産主義が攻めてくるという最も悲惨な事態を防ぐため、アメリカと組んで沖縄を護るという現実路線を昭和天皇が理解されたということであり、決して沖縄を見捨てたわけではない。」とお話しされました。

在日本ルーマニア商工会議所会頭 酒生文弥様
在日本ルーマニア商工会議所会頭の酒生文弥様は、「菊水作戦に長門や酒匂など、一部の戦艦が出撃していなかったのは、その先の本土決戦を見据えてのことだったのだろうか?」と質問され、久野様は「通説的な回答にはなるが、長門はレイテ沖海戦の際に直撃弾を受け、損害があったため呉に停泊していなかった。酒匂については建造されたばかりで、乗組員の練度不足があったのではないか。練度については日本軍の強さを支える大変重要な要素であり、吉田満の『戦艦大和ノ最期』にて、彼は当初『至烈ノ鬪魂、至高ノ練度、天下ニ恥ヂザル最期ナリ』であったが、GHQに検閲されてしまった。いかに戦艦大和が沖縄を護るために全精力をかけていたかということを表しており、裏を返せば酒匂はそれだけの練度を有していなかったと推測される。」と答えられました。

前横浜市立大学理事 元横浜市教育委員長 今田忠彦様
前横浜市立大学理事、元横浜市教育委員長の今田忠彦様は、「今の日本社会における状況は、日本人が武士道精神を失ってしまったこともその大きな原因ではないか。約160年前の慶應4年3月14日、幕府の代表として勝海舟は田町にあった薩摩藩邸へ向かい、一方の西郷隆盛は官軍の大総督府参謀として、両者の思いが武士道精神である、人と礼と誠を尽くして一致したことで翌日の江戸総攻撃が中止となり、100万人の命と財産が救われることとなり、百田尚樹氏の言葉を借りれば『日本史に燦然と輝く奇跡のような出来事』であった。しかし、よく塾長が仰るように『本当はどうだったのか』を考えてみたい。実はこの両者の談判の前段階に、山岡鉄舟という人物の活躍があった。彼の命がけの行動と覚悟についてお話したい。徳川慶喜は戊辰戦争の後、恭順謹慎を決意する。この意思を大総督に伝えるため、慶喜側近の高橋泥舟から、その義理の弟である山岡鉄舟が任命された。鉄舟は慶喜へ自ら厳しく問い質した上で覚悟を固め、慶喜に対し『拙者の目が黒い限りご心配は無用である』と伝えた。自分の決意を上司の前でこれだけはっきりと言う人は現代には少ない。その後、赤坂氷川町の勝海舟宅を訪ね、慶喜の意思を伝える。海舟から、どのように官軍を潜り抜けて西郷隆盛の待つ駿府まで行くのかと尋ねられると、鉄舟は『大総督に謁見できるなら斬られても縛られてもよい覚悟で参る』と話し、鉄舟の強い決意に打たれた海舟は、西郷への親書と助言を授ける。そして両サイドに鉄砲隊が並ぶ物々しい中を鉄舟は、『朝敵徳川慶喜の家来、山岡鉄太郎が大総督へまかり通る』と自分自身を鼓舞し、慶應4年3月9日に駿府へ到着する。ただむやみに人を殺しているのではなく、反逆を図るものを鎮定するために行動していると話す西郷に対し鉄舟は、『慶喜公は恭順謹慎の意を表している。その意を貫徹するため、慶喜公の命を受けて命がけで推参した次第である。』と伝えた。鉄舟の裂帛の気合に西郷もほだされ、駿府城内に入り大総督と面会したところ、以下の条件を言い渡される。『江戸城を明け渡すこと、城中の人間を全て向島に移すこと、軍艦や兵器を一切引き渡すこと、そして徳川慶喜を列藩に預けること。』鉄舟は最後の徳川慶喜の引渡しだけは強い決意で反対した。このような強い決意を見た西郷隆盛は、かの有名な『命もいらず、名もいらず、官位も金も要らぬやつは、始末に困るものなり』という言葉を残し、鉄舟と勝海舟、そして高橋泥舟は幕末三舟として讃えられた。明治33年に新渡戸稲造が著した『武士道』にて、『義・勇、仁・礼・誠、名誉・忠義』を七つの徳目とした。日本人はいま一度この七つの徳目をしっかりと呼び戻すことで、新しい誇れる日本を創っていくことができるのではないか。」と現代日本に欠如している武士道精神についてお話しされました。

株式会社日本成功学会 CEO、元JAL国際線乗務員 黒木安馬様
株式会社日本成功学会 CEO、元JAL国際線乗務員の黒木安馬様は、「日本航空の国際線で約30年間働き、総フライト時間は約2万時間、日数にして7年半ほど飛行機の上で生活していた。飛行機というのは不思議な空間で、現在ヨーロッパまでファーストクラスだと大体150万円ほどかかる。一方でエコノミークラスはひとケタ違う15万円程度で行けるが、所要時間や墜落のリスクもクラス間に違いはない。私は責任者として、ファーストクラスの方と貴重な話をする機会があった。本田技研工業の本田宗一郎氏が搭乗されていた際、『君は色々と世界中を飛び回っていると思うが、牛の角と耳はどっちが前にあるか分かるか?』と聞かれた。分からなかったので答えを尋ねたところ、『君はバカかね、見ればわかるじゃないか』と言われた。彼の言う通りであり、つまりただ漫然と見るだけでなく観察眼を持って見ることが大事だということである。また、安藤忠雄氏とハーバード大学の学長が同乗していたこともあった。彼は独学で海外に渡り、ハーバード大学の客員教授になった。そこで日本でも評価され、東京大学の建築学科教授になる際にたまたま飛行機で居合わせた。その際にハーバード大学の学長が、『君は自分自身を最高の部下として使いたいと思うか?』と質問してきた。聞くと、ハーバード大学の卒業生に同じ質問をしたら、そう思うと答えたのが3%しかいなかったようだ。しかし、世界中の成功者の多くはこの質問に自信を持って首肯できるようだ。また、オードリー・ヘップバーンが乗っていて、禁煙席に座っていた彼女が喫煙を希望し、乗務員用の狭いスペースで喫煙しながら1時間半ほど色々な苦労話を聞く経験にも恵まれた。さらには松下幸之助氏が乗っていた際には器の大きさに驚かされた。まず『暇なときでいいから水一杯くれないかな』と気を遣ってくださった。また、ワインについて乗務員がどうやって見分けているのかと質問され、ワインボトルのシルエットでボルドーやドイツワインなど種類を見分けていると答えたら、なるほどなるほどと得心したように話を聞いてくれ、さらに私の話をメモ、それも絵に描いてメモしていた。『しかし』という言葉は使わず、『なるほど』という言葉を使うということの大切さ。そして絵に描くことの大切さを松下氏から学んだ。成功の秘訣は、文字に書くのではなく絵に描くこと。そしてやるべきことを声に出して読むことである。」とお話しされました。

グリーンネット予備校代表、攻玉社高等学校講師 鈴木勝明様
グリーンネット予備校代表、攻玉社高等学校講師の鈴木勝明様は、「今まで15校ほどの高校や予備校で教鞭を執り、現在も高校と自身で経営している予備校等で教えている。学校は日本の文化や伝統を守る最前線だと考えているが、教科書採択の現状をはじめこの学校教育が危機に立たされている。現在講師を勤めている攻玉社は、日露戦争で『軍神』と呼ばれた広瀬武夫海軍中佐の母校であり、勝兵塾への参加も快く送り出してくれた。一方で、これまで教えてきた学校の多くはそのような環境になかった。実際の教育現場における教育内容を見ても問題が多い。VUCAと呼ばれる不確定性の多い時代と言われる中で、答えの出ない問いに向き合うために現在多くの教育現場で採用されているのが、『幸せや自由とは何か?』といった特定の答えのない問いについて学生同士でグループを作り、話し合わせる方法である。この教育手法を過度に用いすぎ、グループワークではなく単なる雑談に終わってしまうケースが非常に多くなっている。特に小学生は学問の道に足を踏み入れたばかりで、道に迷っている迷い子である。論語にも『不如学也』とあるが、これはあれこれと思索するよりも先人の知恵に頼る方が勝っているということである。私は特に漢文の中にこうした先人の知恵が豊富にあると考えているが、一方で漢文教育の機会が学校から失われてきており、難関大学でも漢文の出題頻度や配点が減少している。国文学系の学部ですら、漢文を出題しない大学が増えている。日本と漢文の出会いは1500年以上前に遡り、応神天皇の時代に王仁が百済から論語を持ち込んできた。和魂漢才という言葉があり、和の魂と漢文の知識が結びつくことで美しい日本の文化が形成されてきたのである。この和魂漢才の完成点が教育勅語だと私は主張したい。しかし、現在の教育現場では教育勅語と言っただけで危険人物扱いされるような極端な状況に置かれている。これは私が極右なわけではもちろんなく、教育現場が極端に左傾化しているゆえにそのような状況になっているのだ。漢文の教育機会が失われていることに伴い、漢文の心も日本人から失われている。これもまた論語の中に、『信無くんば立たず』という言葉がある。信義は時として命よりも重要であるが、それを理解する人が少なくなり、軽薄な日本人が増えてしまっている。漢文の力を取り戻すことの重要性をぜひ皆さまにご認識いただきたい。」とお話しされました。
最後に塾長は、「『勝兵塾』の名は『孫子の兵法』の中から、先に万全な戦略を立ててから行動に移すという意味の言葉から取っている。その意味で、この月例会ではさらに積極的な議論が交わされることを期待したい。講師だけではなく、参加者からもより多くの質問や意見が飛び交う議論の場となってほしい。そうした発言の機会を可能な限り与えたいと考えている。」と話し、会を締め括りました。