第152回 勝兵塾月例会レポート
公開日:2024/2/26
塾長・最高顧問 元谷 外志雄
勝兵塾第152回月例会が、2月15日にアパグループ東京本社で開催されました。
冒頭のアパグループ元谷外志雄会長による塾長挨拶では、「日本のGDPが世界第4位に転落したというニュースがあった。かつては世界第2位であったが、中国に、そしてドイツに抜かれ4位となり、徐々に転落している。経済力と軍事力はリンクするものである。かつては日本の経済力が世界を席巻すると言われていたが、それどころか最近は反対に衰退してしまっている。近隣諸国から舐められないためにも、戦争抑止力としての軍事力を持たなければならない。例えば北朝鮮は経済力とアンバランスに軍事力のみ肥大化しているが、そうではなく、日本にはバランスの取れた軍事力の拡大が求められている。日本は地政学上、海に囲まれているが、大陸に属する国の場合は隣国と接しており、歴史的に自国の国益や領域を守るために軍事力を蓄えてきた。日本は海で隔たれており、そうした意識が希薄だが、兵器の発達により地政学的優位性が失われつつある今こそ、日本は戦争を抑止するだけの軍事力をつけてほしい」と述べました。続いて昨年12月8日に第十六回『真の近現代史観』最優秀藤誠志賞を受賞された矢野義昭様の受賞記念特別講演の模様を動画で視聴しました。
参議院議員 石井苗子様
参議院議員の石井苗子様は、「今年から参議院外交防衛委員会の理事に就任した。防衛省が作成している『なぜ、いま防衛力の抜本的強化が必要なのか』というパンフレットがある。国防について国民が安心できるような資料となってほしいという思いで作成された。まず防衛力強化の背景として、日本の隣国であるロシア・北朝鮮・中国による軍事力の増強がある。ロシアは北方領土を含む極東に改キロ級潜水艦、地対艦ミサイル『バスチオン』などの新型装備を配備している。北朝鮮は新型ICBM級の弾道ミサイル発射事案が急増しており、中国は近代的な戦艦や戦闘機の数量を増やしており、国防費において日本を上回っている。以上の事情から、厳しく複雑な安全保障環境に日本があるわけであり、諸国に対して力による一方的な現状変更は困難であると認識させる抑止力が重要である。これに対し、周辺国の軍事競争を招くのではという質問があるが、防衛省は国民の命を守る目的を持っており、平和な暮らしを守り抜くために必要なものであり、決して軍事競争を招くものではない。反撃能力については憲法違反ではなく、日本への弾道ミサイルなどの攻撃に対してやむを得ない必要最小限度の自衛措置として行使されるものである。専守防衛を堅持していくために、法理的には自衛の範囲に含まれ、憲法の範囲内で実施可能である。他の例でいうとイスラエルが、ガザ地区の地下深くの通路に対して爆撃しているという、一見するとやり過ぎとも思える例があるが、自衛措置とは国際法の中である程度認められており、その範囲内だとイスラエルは説明している。防衛省の強化7本柱として、①スタンドオフ防衛能力。スタンドオフの『オフ』とはオフショア、つまり沖合に出て攻撃されない安全な距離から相手部隊に対処する能力を強化する。極超音速誘導弾や地対艦誘導弾などの関連予算を、今後5年間で5兆円に増強(前5年間0・2兆円)。②統合防空ミサイル防衛能力として多様化・複雑化する脅威に適切に対処するため、イージスシステムやGPI各種迎撃用の誘導弾整備を中心に同3兆円、③無人アセット防衛能力。ウクライナの軍事侵攻でも専ら用いられている無人機の予算に1兆円、④領域横断作戦能力、宇宙、サイバー、電磁気といった、全ての能力を融合させて戦うために必要となる領域の能力強化に8兆円、⑤指揮統制・情報関連機能。組織体系として、内閣総理大臣、防衛大臣の下に統合作戦司令官を新設し、各幕僚長に対する指揮官として統括するというシステムを構成し、指揮統制の改変に1兆円、⑥機動展開能力・国民保護として、必要な部隊を迅速に起動して展開し、海上・航空輸送力を強化し、陸上自衛隊と海上自衛隊が一体となって、必要物資をすぐに離島へも運べるようにする計画に2兆円、⑦持続性・強靭性。必要十分な弾薬・誘導弾・燃料を早期に整備し、装備品の部品取得や修理、施設の強靱化、そして自衛官の増加に係る経費の確保として15兆円。自衛官の増加については身体障害の方や女性、60歳以上の方についてもリスキリングした上で雇用していく。これらを柱として、今後5年間の防衛費を17・2兆円から43・5兆円にしていく予定である。」と、防衛省の今後の国防計画に関して力強く発表されました。
日本経済大学経済学部准教授・歴史学者 久野潤様
日本経済大学経済学部准教授・歴史学者の久野潤様は、「本日、横須賀の船越地区に行き、自衛艦隊司令部にて以前からお付き合いのある護衛艦隊司令官の福田達也海将を表敬訪問してきた。護衛艦隊司令官とは昔で言えば連合艦隊司令長官。自衛隊の役割は、日本を守るだけではなく、建国以来の日本の国体を保つ役割もある。横須賀には『てるづき』という護衛艦が停泊しており、戦前には同名の防空駆逐艦があった。軍艦には艦内神社というものがあり、別の神社から分霊されている。『てるづき』は埼玉の調神社(つきじんじゃ)から分霊されている。艦内神社は戦前戦後を問わずいずれの軍艦にもあり、ある意味で海軍から海上自衛隊への連続性の象徴であるが、当時と違い、自衛隊は神事との関わりについて大っぴらにできず、内々でやっているという点では、断絶を示す象徴でもある。昨年2023年は大東亜会議にて大東亜共同宣言が出されてから80年の節目であった。大東亜会議は世界史上初めての非白人諸国のみによる、アジア諸国のみによる国際会議であった点で革新的である。また、同じ年に学徒出陣が開始されており、学生が戦争に駆り出されて可哀想といった誤解が多いのだが、実際には日本では学生は戦争開始から2年間出陣を猶予されていた一方、アメリカでは開戦からエリートだったら戦争に行くのが当たり前であり、ジョージ・H・W・ブッシュも学生志願兵の一人であった。一方で今年2024年は何の節目かというと、少し古いが元寇から750年。元寇という言葉は、水戸光圀が大日本史という歴史書の編纂に当たり作った言葉であり、最近は常用漢字でないなどという理由で蒙古襲来などと言い換えられたりしている。元寇で日本はモンゴル帝国を追い返しているが、これは当時の各国の中で随一といっていい戦果であり、誇るべきことである。それゆえに日清戦争の直前に『元寇』という軍歌も生まれている。また、昭和19年から80年でもあるが、この年は日本海軍の大型軍艦が一番沈んだ年である。1944年6月にはマリアナ沖海戦があるが、これは世界史上最大の空母決戦であった。サイパン島に上陸してきたアメリカ艦隊に対して反撃のために日本の機動部隊が総力を結集して組織だった作戦を行い、日本側空母9隻、アメリカ側空母15隻が参戦した。複数の空母による決戦を行ったのは日本とアメリカだけであり、ドイツやイタリア、他の連合国はできなかったということを知らなければならない。また、10月にはレイテ沖海戦があった。マリアナ沖海戦で空母に大損害を被った一方で、連合国がレイテ島に上陸するとフィリピン北のルソン島、南のミンダナオ島が分断されることから、これを食い止める目的で最後の総力をかけて出撃した。レイテ島の戦いはシブヤン海海戦、スリガオ海峡海戦、エンガノ岬沖海戦、サマール沖海戦という4海戦の総称であり、フィリピンを囲む全海域で戦ったような世界史上最大戦域の海戦であった。結果として日本は敗れたが、神風特別攻撃隊の敷島隊が関行男(出撃時は大尉)指揮により、わずか5機でアメリカを心胆寒からしめる戦いを行った。特攻隊に関しては、アメリカは日本をこれ以上敵に回して戦えないと思わせた。特攻隊の恐ろしさが日本を護ってくれている、と考えるのがよいと思っている。しかも、自分の国ではなく大東亜共栄圏の一角であるフィリピンを守るために敷島隊は出撃したのである。また、敷島隊五軍神のゆかりの神社として、愛媛県の楢本神社がある。ここは関行男の出身地であるが、慰霊碑があり、出撃の10月25日に毎年、海上自衛隊の儀仗隊が出席して大慰霊祭が行われている。陸戦として、3月にインパール作戦があった。40年前にベストセラーになった『失敗の本質』の中で、インパール作戦が酷評されている。確かに補給の面での失敗はあるが、極東国際軍事裁判にて日本を弁護してくれたパール博士の献花式にてインド総領事と話をすると、『インパール作戦で日本が多大な犠牲を払いインドに侵攻してきたからこそ、イギリスの支配に屈していたインド人が戦後に独立するモチベーションを得た』と言ってくれた。それにも拘わらず、日本では批判ばかりである。リデル・ハートの『第二次世界大戦』でもインパール作戦は大変巧みな作戦で、独断撤退した第31師団があと数日持ち堪えていれば、イギリス軍は全面撤退をせざるを得なかっただろうと評価されている。また、エリック・ホブズボームというマルクス系の歴史家も、インドの独立の試金石は5万5千のインド人兵士が敵方、つまり日本へ逃亡し、国民会議左派の指導者スバス・チャンドラ・ボースのもとで、インド国民軍を結成したことだったと著している。日本ではよくインド独立の立役者はガンジーの非暴力不服従の精神であり、憲法9条に通じるものだという誤解があるが、チャンドラ・ボースの武力闘争によって、インド人も奮い立ったことがインド独立の真の要因であることを知るのと同時に、インパール作戦を指揮した牟田口廉也司令官も再評価、再顕彰する必要がある。また、今年は自衛隊発足から70年である。警察予備隊・保安隊と経て昭和29年に自衛隊が発足したが、彼らは陸海軍の武器・装備・精神性とともに、戦前の日本軍に対する反省、悪い戦争をしたという誤った認識も受け継いでしまっている。その呪縛から解き放たせられるのは国民だけである。最後に、日本軍が始まった場所として、皇軍発祥の地が宮崎市にある。神武天皇が大分、福岡、広島、岡山、大阪、和歌山と回り橿原で即位された神武東征の出発点となっている。神武東征は海路であり、船の発着地も同じく宮崎県の日向市の美々津という所で、ここが日本海軍発祥の地となっている。皇軍発祥の地の石碑は昭和15年、皇紀2600年記念に建てられており、大東亜戦争は、建国の際の皇軍の精神をもって日本陸軍・海軍が戦っていたことの証左である。しかし一方で、戦後に戦没者を追悼するにあたり、神道を排除して無宗教で献花だけ行うという、日本の国体を否定した形で追悼されることが多いのだが、追悼の意義として慰霊顕彰、特に顕彰を行うにあたり、戦前の陸海軍がどのような存在だったかということについて、今後ともしっかりと問い直す働きかけをしていきたい。」と、戦前の功績や国体を否定する戦後の流れに対し改めて警鐘を鳴らされました。
石清水八幡宮権宮司・日本国際連合協会理事 田中朋清様
石清水八幡宮権宮司・日本国際連合協会理事の田中朋清様は、「石清水八幡宮は私から数えて46代前の行教という、神仏習合としてお坊さんと神主さんを兼ねている方から代々継がれている。私の父が神社本庁の総長という、全国の神社を統括する宗教法人の代表役員を務めている。私自身は石清水八幡宮の権宮司を務めているが、同時に日本国際連合協会の活動を通じて世界の改革を目指している。国際連合による国連機関が世界で99あるが、それらが今の世界のガイドラインを作っている。そこには既得権益を保持している側面もあり、そこを本質的に改革しなければ、世界中の人たちが頑張ったところで不幸になる人がなくならない。国連はSDGsを2016年から推進しているが、私に言わせれば哲学が何もない、思想がなく、誰かの得や損しか考えていない代物である。外務省で当時国連大使を務めていた南博さんが、SDGsの設立後、同会議に7年間参加をされていた。この中に何とか日本の哲学を入れたいと考えていたが、結局出来上がったのは妥協の産物であって、目標はたくさんあり一つ一つ項目も定められているが、それは形骸化されてしまっており、達成したからといって戦争もなくならないし、経済的な格差もなくならないということを、南さんご本人が地球システム倫理学会という学会で仰っており、是正できるのは日本人だけだとも指摘されていた。2018年に当時の安倍首相から自民党の外交調査会にお呼び頂き、日本の宗教概念や信仰概念が宗教宗派や、国境の多様性を超えて世界平和を構築するということを、日本政府が前向きに世界に向けて発信すべきだという話をした。その後、当時の国連大使から依頼があり、SDGsの本部会議へ赴くこととなった。発信する内容として宗教者・神主として話をしたいというと、どうしても神風特別攻撃隊の柱となっていた宗教の指導者が来るとして色眼鏡で見られてしまう。戦前の神道というものに対する恐怖は、西洋の方々は未だに強く、国連からもやはりまずいと言われ、中国・北朝鮮・韓国は抗議のために欠席すると主張し、北朝鮮は当時ミサイル問題で、それこそ安全保障理事会が頻繁に開催されていた時期であったが、それにも拘わらずなぜか日本側が批判されるという状態だった。そこで、私は当時京都大学で人文社会科学関係の研究員、関西大学の大学院で非常勤講師をしていたので、文化人類学における日本人の信仰精神について学術的に話をするということで参加が認められた。以下はそこで発信をした内容であるが、神社仏閣は全国で17万あり、これはコンビニの約3倍である。形態は多岐にわたるが、最も古い形態だと大神神社や那智の滝。あるいは宗像大社であったり、磐舟神社といったものが挙げられる。縄文時代がはじまったのは今から16、500年前。狩猟採集や豆・粟の栽培から集落が形成され、縄文中期(紀元前5、800年~)には神柱・御柱信仰として、特に三内丸山遺跡が有名であるが、集落の岩や木に神様を招き、お祭りをする習慣が全国各地で見られた。弥生時代に入り稲作が伝来し、定住するようになると、岩や木ではなく居住地の近くに柱を立て、そこに神様をお招きするようになる。やがて、柱に屋根をかけて、いつでも神様がお越し頂けるように、依り代となるように屋根をかけた御霊代、すなわち社が建設されるようになる。神柱は木が元であるので、やはり樹木を植えようということで、社と杜がセットになった。そこで日本人は多神教の極みにあるので、山川草木だけではなく言葉や文字といった事象事柄にすら神様が宿るとして信仰していく。信仰の理由はいつでも共通であり、何かしら大きな力を持つ素敵な存在からお守りをいただいてみんなが幸せに暮らしたいと、そのために一緒に祭りをしていた。その祭りこそが集落のコミュニティの始まりであった。その後、欽明天皇の宣化3(538)年に百済の聖明王から仏教が公伝されるが、当初から仏は日本古来の神々と同質の存在であると言われており、『蕃神』として、海外から来られたありがたい神様として受け入れられる。そして、用明天皇が『仏法を信じ神道を尊ぶ』として、586年即位の際に宣命を出した。これが神道という言葉の初出であり、日本の各地でお祭りを行い、人々がそれぞれの地域の安寧を願い合うことが神道だという認識が生まれた。日本全国を治めるために税金や法律の制度を作るにあたり便利だということで、仏法が大陸から伝来したわけだが、先ほど述べた通りあくまで神様として入ってきたため、日本人の信仰に合う形で悟りを開くための仏教というより、国家の守護神として入ってきて、その後貴族から庶民に伝わるころには、民衆の願望に応えて個人的な魂の救済・往生を叶える性質に変化していく。石清水八幡宮のお祭りを見ると御神楽や放生会といった仏教由来のものがあり、また聖武天皇の御妃の経典や弘法大使空海の宝鏡も伝わっているように、全国の神社は神仏習合している。神仏両方のご利益をいただくことで、コミュニティ全員の幸せを多様な形で祈り合っていた。芸術・芸能・産業・生活文化もこういった信仰文化を根底において、そうして日本の地域文化は保たれていた。地域の生活文化である地域文化の集合体が日本文化であり、その中心が天皇陛下であって、国民、そして地球宇宙全体の平安をお祈りになられているのが2684年前から滅ぼされずに我が国が続いているわけである。しかし、つい最近まではその信仰文化が根底にあったからこそ信頼関係があり、玄関を開けっ放しでも外に出られたのだろうと思うが、今はそうした信仰文化が失われており、信頼関係ができていない。その意味において、世界の平安を築くためには、一神教的な考え方を排斥して、宗教という既得権益と繋がっているものを排除しなければならない。宗教戦争は今なお無くなっていないし、キリスト教を名指しして恐縮だが、キリスト教的世界観に基づく世界支配が戦後、特にグローバリゼーションとして世界を侵食している。今後ここを変えていくために、国連に人類の英知と良心を集め、日本文化が世界平和のために有用であるということを発信していきたい。」と、世界平和を実現するために日本古来の文化を浸透させるべきと語られました。
アジア自由民主連帯協議会事務局長 三浦小太郎様
アジア自由民主連帯協議会事務局長の三浦小太郎様は、「アジアにおける分断国家とは朝鮮半島だけではなく、モンゴルもそうである。一般に内モンゴルと言われる地域だが、内モンゴルは『中国の内側』という意味があるため、ここでは南モンゴルと統一して呼称する。南モンゴルの半分くらいは、戦前は満洲国であった地域である。満洲国において日本が様々な教育を施していたが、専門の軍学校を作ったのは南モンゴルだけである。そこでは近代的な軍事教育を行い、そこで使われた言葉は日本語とモンゴル語である。また、南モンゴルには沢山の日本人が流入し、私塾を開いた人たちもいる。しかし、ある私塾を開かれた日本人女性はモンゴルの女性たちに、『皆さんは日本のいいところを学んでほしい。しかし、私は日本人になることは望んではいない。モンゴル人として過ごしてほしい。』と説いていた。モンゴル人が最も優れていたのは騎馬能力であり、満州国軍は騎馬部隊を主力として作られた。特筆すべきは日本刀をもとにした軍刀による戦いを得意としていた点である。日本人にも優るほどの腕前を持つ部隊であったが、のちに悲劇的な運命を辿ることになる。大東亜戦争の終結後、これらは全て中国共産党に編入されてしまう。南モンゴルの人たちは、日本人の教育に感謝をしつつも、中国に編入されるのは嫌だ、いわゆる外モンゴル(当時のモンゴル人民共和国)とともに一つのモンゴルを作りたいという強い意思を持っていたが、ヤルタ会談によって独立意識の強い東トルキスタン・ウイグル・南モンゴルは中国に組み入れられた。モンゴル人民共和国はソ連の影響下に置いたまま、引き続き独立させると決定した。この会議の場にそれぞれの民族は一人もおらず、それぞれの民族の意志を全く無視して領土が決められてしまった。日本は全く問題がなかったとはいわないが、日本が東南アジアの国々を独立に導いた一方で、連合国がやったことは独立したい民族を中国に併合させたのだ。その後、中華民国に併合された南モンゴルに対して、中国共産党はソ連の力を得て、延安から共産主義者のモンゴル人エリートを送り込み、彼らはソ連のような連邦国家になれるよと嘯く。当時の抑圧された民族にとって、共産主義は解放の象徴であり、南モンゴルは無理に独立せずとも、民族の権利がちゃんと守られる連邦国家になる道があるのだと誤認してしまい、そうしてかつて日本人が鍛えた騎馬部隊は、中国国民党との戦争に駆り出された。中華人民共和国建国の際の行進の騎馬部隊は全てモンゴル人である。次にチベット戦略の尖兵として、騎馬部隊のゲリラへの対抗策として派遣された。そして、彼らが武力を失った後に起きたのがモンゴルのジェノサイドである。このあたりは清水ともみ氏著の『墓標なき草原』という漫画が詳しいが、中国がした残虐な行いや、モンゴル人の独立への強い思い、モンゴル人の日本への強い愛情が分かる。今、モンゴル国の中には南モンゴルに同情し彼らの人権を守ろうとし、統一も考える人たちもあるが、彼らは中国共産党の圧力でモンゴル国政府から弾圧を受けている。一帯一路に含まれる国では、経済が中国に握られるだけでなく、政治的な中国批判すらもできなくなり、中国国内の民族圏の連帯もできなくなっていく。大東亜戦争によって日本は敗れたとはいっても、大東亜共栄圏の理想のもとに多くの南アジアの国が独立できたことは誇るべきことである。一方で、日本が敗れたことによって北朝鮮と中国という最悪の独裁国家が生まれてしまった。そして今、欧米以上のジェノサイドがアジアで発生しているが、人種平等の精神を最初に広めたのが我々日本人の祖先であるなら、日本人はこうした問題に対して目を背けてはいけない。さらに、こういう各民族の運動を日本が背後から応援しても良いのではないか。国防とはもちろん日本を守ることだが、同時にこの中国の共産党政権という、歴史が生んだ最悪のジェノサイド体制における少数民族を支援することも重要ではないか。」と、モンゴル民族を例に中国の孕む民族的問題、および日本人がとるべき態度について話されました。
江東区児童家庭支援士・公益財団法人日本国防協会普及委員 近藤倫子様
江東区児童家庭支援士・公益財団法人日本国防協会普及委員の近藤倫子様は、「様々な事情や課題を抱えた子どもたちとその家庭へのアプローチ支援を行っている。また、子どもたちへ国防の意識を持ってもらうべく、例えば日本を守る色々な職業の絵本、図鑑を読み聞かせするなど、絵本やカルタといった身近なものを使ってアプローチをしている。私の活動のテーマは、内なる国防は家庭にありとして、家庭の中から子育てを通して、子どもたちに日本を守る意識を育んでいこうとしている。こうした意識は学校では教わらないため、親が子どもに伝えるのが最もよいと考えている。また、児童家庭支援士として子どもたちを見ていると、事情や課題によって寂しさや不安を抱えている子どもたちが本当に増えており、中高生の自殺も昨年度最多を更新している。現在問題になっているトー横キッズも、私のような立場の人間から見ると、あれは問題はあるが、子どもたちにとっては家庭、学校に次ぐ第3の居場所であり、それを大人の事情で介入し、居場所を壊しているような状況になっている。根本的な解決としては子どもの持つ寂しさを解消することであり、そのためには親子の関係性が大切となる。その関係性を前提として、私たちの国を愛する気持ちが育つのではないだろうか。神武天皇は建国の詔において、一つの家として家族のように暮らしていこうという精神であったが、まさに八紘一宇の精神に通じるものである。家庭というのは社会の最小単位であり、子どもがこの世に誕生して最初に出会う他者は母親である。それゆえ、母親との信頼関係を築くことが本当に大切であると考えている。『三尺の童子を拝す』という言葉があるが、幼い子どもたちが神様と同じような存在であると考え、常日頃から子どもたちと接している。子どもを大切にしてその信頼関係や愛情のある関係の中で、国防意識をこれからも深く伝えていく。」と、家庭を始点とした国防意識の醸成について話されました。
イスラム評論家・国際ジャーナリスト フマユーン・ムガール様
イスラム評論家・国際ジャーナリストのフマユーン・ムガール様は、「キリスト教主義の世界はグローバライゼーションや支配主義によって成り立っており、私に言わせればキリスト教ではなく『キリステ教』である。インドの独立についても、ガンジーの思想で独立したわけではなく、日本国民が行動を起こしたことで、我々インド人も独立する勇気が出て独立したのである。日本人も今後は日本を自分自身で守るようになってほしいし、もう一つの問題点として日本にCIAのようなインテリジェンス機能がないため、ぜひ創設するべきである。そして宗教についてだが、私の母がお祈りをしているときに何故お祈りをするか聞くと、神様に命を与えてもらい生かされていることへの感謝の気持ちであると。そして神様は見えるものではなく、信じるものである、一生懸命に信仰するものであると答えた。私は日本も神様の信仰をひたすらに信じることで救われる、未来があると思う。」と話されました。