第151回 勝兵塾月例会レポート
公開日:2024/1/26
塾長・最高顧問 元谷 外志雄
勝兵塾第151回月例会が、1月18日にアパグループ東京本社で開催されました。
冒頭のアパグループ元谷外志雄会長による塾長挨拶では、「本年はアメリカの大統領選挙が行われる年である。おそらくトランプが圧勝して大統領になるのではないかと思っている。強い人がトップになることで全体が強くなる。『勝兵は先ず勝ちて、而る後に戦を求む』という言葉があるように、まず勝てるようにしなければならない。日本も強い国となって近隣諸国から舐められないような国造りをする方がリーダーとなるべきである。最近では隣国の中国が力をつけてきて、戦力差が相当広がってきているのではないかと思う。それに負けないように、日本も力を付けて近隣諸国に君臨するような国になるべきだと思う」と述べました。続いて昨年12月8日に第六回アパ日本再興大賞を受賞された井上和彦様の受賞記念講演の模様を視聴しました。
新しい歴史教科書をつくる会副会長 藤岡信勝様
新しい歴史教科書をつくる会副会長の藤岡信勝様は、「ジョン・マーク・ラムザイヤーというハーバード大学ロースクールの教授が書かれた論文を集めて、昨年12月13日に『慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破』という本を出版した。この中に収録されている第一論文は、『戦前日本の年季奉公契約による売春制度』で、サブタイトルは『性産業における使用できるコミットメント』で、1991年に学会誌に発表された。ラムザイヤー教授の専門は『法と経済学』で、戦前に日本の芸者や娼婦たちの契約がどのような構造で成り立っていたのかを、法経済学者としての学問的関心から取り組まれて論文を発表した。山形県の伊佐沢村で、『娘身売りの場合は当相談所へ御出で下さい』と書かれたポスターが貼り出されていた。当時は世界大恐慌の影響を受けて、東北地方の農村が大変疲弊していた。そうした中で娘を身売りすることがあり、村が相談所を作ってポスターを貼り出した。この娘達は、アフリカの奴隷がアメリカ大陸に連れてこられたときのように、奴隷主の所有物として売られた訳ではない。これをラムザイヤー教授はゲーム理論を適用して分析した。『囚人のジレンマ』と同じように、契約時の娼婦と売春業者の置かれた立場を分析してみる。娼婦になろうとする女性は社会的な評判の損失を負うため、高い給与の保証が必要である。しかしどれだけ稼げるかはわからない。さらに自己の人的資本を分散できない。一方、売春業者は性サービス市場について情報を持っており、投資を分散できるが、信用性の問題を抱えていた。そこで、年季奉公契約というものがこの問題を解決する。年季奉公契約には二つの柱があり、一つははじめに働く期間を決め、その期間が過ぎたら自由になるということである。もう一つは、業界に入る前に、その期間に働く賃金の全額を払ってしまうことである。売春業者にとって前払い制は信用性の源泉になる。娼婦は契約期間が終われば辞められるし、その前に借金を払い終わってしまえば、もっと早く辞めることができた。だから奴隷である必要はなかった。しかし、同じ1991年に奇しくも金学順がカミングアウトをして慰安婦問題が始まった。アメリカでも問題になり、議会決議などが行われた。そこで第三論文である『太平洋戦争における性サービスの契約』が発表された。年季奉公制度という点では、戦前の娼婦と戦時中の慰安婦とほぼ同じである。そこでラムザイヤー教授は慰安婦問題を見ていられなくなり、この論文を書いた。この論文が産経新聞に掲載されると猛烈なバッシングが起こった。韓国を発信源として、ラムザイヤー教授へ最初の日だけで77件のヘイトレターが来て、中には殺人を予告するものもあった。アレクシス・ダデンという活動家の教授がラムザイヤー教授に対して、『そもそも戦前の日本人は天皇の臣民だったから契約の主体になれなかった。』と驚くべき反論をした。これがアメリカで日本学の研究者として通用している人の発言であり、恐るべき状況に陥っていた。ラムザイヤー教授に対する個人攻撃は凄まじいものがあった。そこで昨年4月に我々はラムザイヤー教授を応援する集会を急遽開いた。ラムザイヤー教授はビデオメッセージで、『友達がいなければ私は絶対生き残れなかった。』と述懐している。1983年に吉田清治の噓話が出版されて、昨年が丁度40年目だった。この嘘が広まってから40年目になって国際的な決着が付いた。そして、吉田清治の息子さんは『父の謝罪碑を撤去します』と言っている。韓国ではユン・ミヒャンが不正を行っていたことがわかっていて、慰安婦の中心人物が慰安婦ではなかったこともわかったりしている。昨年9月には韓国で、慰安婦問題の日韓での共同研究集会を開いた。昨年12月から今年の1月にかけて、三つの言語で三つの国でラムザイヤー教授の論文が出版される。この三冊の出版を機に世界に大々的に公表しようと考えている。今年の7月10日には日本で、日本と韓国とアメリカの真実派の大集会を日本でやる予定である。この集会にはラムザイヤー教授もいらっしゃる予定である。」と、慰安婦性奴隷説を論破したラムザイヤー論文について解説されました。
健康・環境デザイン研究所所長 中村恵子様
健康・環境デザイン研究所所長の中村恵子様は、「『江戸幕府の北方防衛』という私の著書が第五回アパ日本再興大賞優秀賞を受賞した。本書の意義は北海道に残っている江戸幕府、松前藩、東北諸藩の史跡や文献に基づき、体系的に江戸幕府の北方防衛を知らしめたことである。そして、現在起きている北海道を奪い取ろうとする動きを伝えている。本書の執筆動機は、2019年3月の文部科学省の教科書検定で、東京書籍の小学六年生用の歴史教科書『新しい社会6歴史編』で、江戸時代初期の対外貿易を学ぶための日本地図について、当初は日本全体が赤で塗られていた地図を、児童が誤解するという理由で北海道、北方領土を白く修正しなさいという検定指示で合格したという事件である。これは北方領土を日本領土とする政府見解と矛盾しており、江戸時代は蝦夷地が日本ではないという誤解を与えることになる。蝦夷地が日本でないことにしようとする超限戦が仕掛けられていると推測された。2019年4月16日、産経新聞に『自民党が文科省を聴取へ 北海道以北領土外扱いの教科書を巡り』と記事が出ていた。それに対して柴山昌彦文部科学大臣(当時)は、北方領土が日本固有の領土であるとする政府見解とは矛盾しないと強調する一方、児童が誤解しないよう、学校現場における適切な指導を求めた。」と言った。しかし、内閣府のホームページでは、江戸時代初期の1635年に、北海道を支配していた松前藩が北方領土の調査を行ったことが明記されている。また5月10日の産経新聞には、『新しい歴史教科書をつくる会』が柴山昌彦文科大臣に対して検定意見の取り消しを求める要望書を提出したと報じている。これに対して文科省は、当時は江戸幕府の支配が北海道の全域には及んでおらず、日本の色である赤にすれば児童が誤解する恐れがあると判断したと、事実誤認の回答をしている。これに対して『つくる会』は、『北海道庁作成のパンフレットによれば、7世紀から日本国家の支配が北海道に及んでいた。北方領土を固有領土とする学習指導要領の趣旨に反する』ため、検定意見の撤回を求めた。このような経緯があるので、私は昨年3月に公表された新たな検定結果に注目した。新たな検定で合格した東京書籍の問題となった『地図』は、北海道以南の赤とは対照的に北海道以北がより鮮明な黄緑になって検定を通っている。まるで北海道以北が日本の領土でないかのように児童に誤解を与えるものである。その他にも、江戸時代の説明をする地図から蝦夷地を消して松前藩がなかったかのような印象を与える表記が散見された。さらにコラムには、『江戸時代北海道は蝦夷地と呼ばれていました。ここではアイヌの人々が狩りや猟で得たものを日本や中国の商人と取引していました。(中略)17世紀半ば、シャクシャインに率いられたアイヌの人々は不正な取引を行った松前藩と戦いました。』と、蝦夷地はあったが松前藩を含む和人は悪という枠組みで書かれている。その他にも、アイヌの土地や言葉を奪い、差別を強め、和人の北海道開発は悪であるとの事実誤認の記述があるが、これらも子供たちに誤解を与え、日本人の開拓の誇りを奪うものである。この教科書では蝦夷地について触れるのはアイヌのことのみで、和人の立場の記述がない。これでは一体どこの国の教科書かと思う。子供たちに何を教えたいのか? 何よりもアイヌの人達は日本人である。このような教科書で学び続けたら、江戸時代の蝦夷地はアイヌのものだったと思ってしまうだろう。では次の展開をどう進めるかであるが、教科書副読本の改竄を改めなければならない。自治体が賢明な教科書の採択、そして国会議員の方々には国会で再度教科書検定のあり方と制度の再設計を議論して頂きたいと思う。」と、教科書を通して行われる、蝦夷地は日本でないかのような刷り込みについて語られました。
議員立法研究所代表 宮𥔎貞行様
議員立法研究所代表の宮𥔎貞行様は、「私は新日本連邦を創るという初夢を見たので、少し夢のある話をしたい。大英連邦というものがある。イギリスは女王陛下の下に、ニュージーランドやオーストラリア、カナダといった国々と緩やかな共同体として今も続いている。私は日本も広い視野で新日本連邦というものを創れないかという夢を抱いている。戦前には大日本構想と小日本構想があった。石原莞爾は大日本構想を掲げ、満州に五族協和の楽土を建設し、これは満州人が主体で日本人はこれを手助けするだけであると考えていた。東條英機は大東亜戦争を開戦するに当たり、大義名分が必要であったので、大東亜共栄圏という構想を唱えた。これは日本が盟主としてアジア諸国を主導していくという考えであった。こうした大日本構想に対して、石橋湛山は小日本構想を唱えていた。日本は同胞としてアジア諸国に協力していけば、アジア諸国は日本を尊敬し、日本の立場が強くなるという考えだった。今日の日本にはこうした議論すらない。私の新日本連邦の構想は、日本の理念に賛同する国々を共同体として支援する、というものである。新日本の理念は、①覇権を求めない、②自然界との和合、祖先への感謝、地球環境を守る、③個人主義ではなく共同体主義、④縄文精神を共有、⑤その象徴としての天皇を共通の権威とする連邦、の5つである。ではこれに参加する国があるのかということであるが、パラオなど親日的な、戦前の日本を高く評価してくれている太平洋島嶼国は、真っ先に新日本連邦に参加してくれるだろう。中国がソロモン諸島やキリバスなどへ経済支援をして一帯一路の中に入れようとしているので、日本が率先して安全保障や警察訓練の面で支援をして中国から切り離していく必要がある。将来はフィリピンやインドネシアも入ってくるかもしれない。台湾にもいずれ入ってほしい。ロシアが弱体化した後、サハリン共和国や北方領土は中国やロシアよりも新日本連邦に参加して経済的、軍事的支援を受けた方が良いと考えるだろう。さらに、キルギス、アゼルバイジャンといった親日的な国も入ってくるだろう。中国はいずれ分裂すると思われるので、その時にはウイグルやチベットも参加するよう誘導していく。では、それにどういったメリットがあるかであるが、資源の確保とともに軍事的、経済的結びつきを深めることで、我が国の安全保障にも寄与するだろと考えている。」と、新日本連邦という新たな構想について語られました。
一般社団法人シベリヤ抑留解明の会理事長 近藤建様
一般社団法人シベリヤ抑留解明の会理事長の近藤建様は、「新日本構想に北方領土を含めるという話があったが、北方領土はもともと日本の領土だから含めるも何もないのではないか?」と質問され、宮𥔎様は、「北方領土は日本の領土ではあるが、それをロシアから取り返すには軍事力が必要である。単に返してくれと言っても絶対に返ってこない。現在ロシア人が住んでいることを考慮すると、むしろそれを独立させて、日本連邦に加えていくのも一つの選択肢ではないかと思う。」と答えられました。
著作家 宇山卓栄様
著作家の宇山卓栄様は、「私は昨年9カ月に亘って、欧米を中心に合計18ヵ国を周遊してきた。近年、イタリア、フランス、ドイツなどのヨーロッパの都市では移民問題がクローズアップされているが、この2、3年でヨーロッパはすっかり変わってしまった。移民によって街は汚くなり、治安は悪化し、貧困者が街に溢れる状況になっている。昨年の7月にはフランスの移民暴動について大々的に報道されたが、ヨーロッパでは日常茶飯事に小規模、中規模レベルの暴動が地方都市で起こっている。私もこのような暴動に各地で遭遇した。ドイツの経済の中心地であるフランクフルトは特に移民が多い都市であるが、街にドイツ語を話すドイツ人がいなくなった。バスや電車に乗ってその車両の中を見回しても、金髪碧眼のドイツ語を話すドイツ人を探してもいない。移民の中でも比較的裕福な人達もいるが、そうした人達が、必ずと言っていいほど男性であるが、金髪碧眼の綺麗なドイツ人女性を従えて街を闊歩しているのをよく目撃した。移民と現地の白人との混血が今ヨーロッパで進んでおり、ほんの数世代でドイツならばドイツ人がいなくなるというような計算報告も出ている。これはヨーロッパだけではなく、日本でも同じことが起こると私は思う。もし日本人が周辺移民との混血を進めていけば、日本人であることを守るということができなくなってしまい、日本人の民族のアイデンティティが失われてしまうことになりかねないと思う。日本人のアイデンティティがなくなると国家が崩壊する。日本は周りを敵対国に囲まれている。そのような周りから移民が大量に来れば、日本は簡単に乗っ取られてしまうのではないかと危惧する。しかし、このように血統主義のようなことを申し上げると、人種差別や排他主義と混同視されてしまい、社会的に抹殺されてしまうリスクもある。そのため、この問題に誰も触れたがらない。アメリカのような移民国家は別として、民族のアイデンティティは国家を守るために必要な意識だと私は思う。そのことを人種差別というかたちでない公正なかたちで若い人々にどのように教えていくのかということが問われているように思う。何でも平等という訳にはいかないし、保つべき民族のアイデンティティというものがあるのではないか。ただし、私も教育の現場に長く身を置いた者として、学生たちに効果的に民族のアイデンティティについて教えていくのは難しい課題であるように感じる。排外主義や民族主義に結び付けられれば、教員は教職から追放されてしまう。正当公正に現在の道徳理念に適合した形で教えていくことはできないのか、その理念や方法論、枠組みについて、至急合意形成をしていく必要があると思う。ポリコレ圧力に決して屈してはならない。岸田政権は外国人労働者の受け入れ枠を拡大しようとしている。岸田総理は外国人と共生をする社会が重要であるということを述べながら、特定技能2号の受入れ枠拡大を昨年6月9日の閣議で決定した。少子化による働き手不足の解消に繋げるという狙いがあり、経済界もこれを非常に歓迎しているが、私は事実上の移民政策に繋がっていくのではないかと懸念している。厚生労働省の将来推計によると、現在のところ2%の外国人の割合が、数十年後には10%に高まるという。外国人労働者がいなければ、日本経済はもたないとする経済界の危機感も確かに理解はできる。単純労働を日本人が嫌がりやりたがらず、人手不足を補っていくためには、どうしても移民に依存せざるを得ないということは理解できる。これは先進国共通の現象かなと思う。アメリカでは移民の数を抑えるという仕組みになっているが、実際には数を抑えることはできていない。誰が不法移民か誰が合法移民か把握できておらず、なし崩し的に人道支援のもと、移民の受け入れが行われている。移民の抑制的な運営と簡単に口では言うものの、実際には非常に難しく、いつもどこの国でも崩されている。一度移民コミュニティが形成されると、移民が移民を呼び、必ず財界の声に政治が押されて移民依存政策に陥ってしまうのが欧米の現状だろう。移民政策ありきの議論ばかりが日本でも先行している。これに反対する者に対して偏狭な排他主義者、民族主義者、差別主義者だとレッテル貼りがなされているが、安易な移民政策は、長期的に国を崩壊させるものだと思う。この問題にどのように向き合っていくのかということの国民的議論が今必要なときである。」と、移民問題の課題について語られました。
勝兵塾事務局長 諸橋茂一様
勝兵塾事務局長の諸橋茂一様は、「昨年11月26日から12月1日まで硫黄島慰霊の旅に行ってきた。東京の竹芝桟橋より、父島に向かって一路約1、000㎞の大海原を南下した。東京から父島まで24時間の長旅だった。硫黄島の戦いは1945年2月19日という説もあるが、実質上2月16日から米国海軍は艦砲射撃を激しく始めているので、2月16日からとすべきではないかと思うが、同年3月26日まで戦われた。日本軍の兵力は2万933人、米軍は11万1308人、総兵力では25万という大軍で硫黄島に攻撃を仕掛けてきた。その結果、日本軍の戦死者は1万9900人、米軍の戦死傷者は2万8686人と、戦死傷者という捉え方をすると米軍の方が日本軍より1万近く多かった。日本軍が最後の最後まで死力を尽くして、必死の思いで戦った結果であると思う。日本軍の総司令官は陸軍の栗林忠道中将、その下に海軍の市丸利之助少将がいた。米軍は、レイモンド・スプルーアンスを総司令官として、航空母艦16隻、艦載機1、200機、戦艦8隻、巡洋艦15隻、駆逐艦77隻、他の艦艇を含めて計800隻という大艦隊で硫黄島に攻撃を仕掛けてきた。硫黄島は縦約8㎞、横約4㎞、総面積約21㎢という大きさで、父島から280㎞南に位置している。硫黄島には上陸できないため、父島まで行って、父島から硫黄島に向かって慰霊祭を斎行した。父島の中にもジャングルの中を歩くと、多くの塹壕やトーチカ、坑道、トンネル、戦闘機や戦車の残骸等がまだ生々しく残っている。硫黄ガスの噴き出す中で、栗林忠道中将は硫黄島全島で18㎞の坑道を完成させた。防護された敵陣地への肉弾攻撃、万歳攻撃は厳禁された。1945年2月16日、米軍は硫黄島に対して激しい艦砲射撃を開始した。米国太平洋艦隊総司令官のニミッツは、『硫黄島の戦いは、アメリカ海兵隊の歴史始まって以来、168年の中で最も激しい戦いであった。』という言葉を残しているが、これは決して硫黄島だけではない。その前年に戦われたペリリュー島やアンガウル島の戦いにおいても同様だった。ペリリュー島の戦いにおいて、日本軍戦死傷者は1万468人、米軍の戦死傷者は1万3286人で、ここでも戦死傷者の数では日本軍より米軍の方が大きかった。1945年3月16日、栗林忠道中将は大本営に対して、訣別電報を打った。『戦局最後の関頭に直面せり。今や弾丸尽き水涸れ全員反撃し、最後の敢闘を行わんとする。只管皇国の必勝と安泰とを祈念しつつ。国の為 重き努めを 果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき』日本軍は最後の最後まで死力を尽くして戦い、3月26日に玉砕した。その玉砕の前に、市丸利之助少将が『ルーズベルトに与うる書』を和英両文で作成した。日本文は村上治重海軍通信参謀が、英文は赤田邦夫第27航空戦隊参謀が懐に入れて突撃玉砕した。そして市丸少将の思い通り、同書面が米軍を通じて米国本土に渡り、同年7月11日にアメリカで新聞に大きく掲載され、米国国民に大きな衝撃を与えたが、日本人は残念ながらそういうことを知らない。内容について少し触れたい。『日本軍が真珠湾攻撃をせざるを得なかったのはなぜなのか? 米国が日本を政治的経済的軍事的に追い詰め続けて、やむなく日本が立ち上がらざるを得なくなったのだ。そのことをあなたはよくわかっているはずだ。』というような始まりである。そして、『畏れ多くも日本天皇は、養正(正義)重暉(明智)、積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇の精神をもって恒久的な世界平和の確立を唯一の念願としておられる。このことはあなたもわかっているでしょう。このことは日本国民の多くも同じ気持ちである。あなたもチャーチル君も残念ながらよくわからないのではないか。よりにもよってスターリン、ソ連と組むとは一体何事か。』と厳しい指摘をしている。日本が大東亜戦争に入っていかざるを得なかった歴史的背景に簡単に触れたい。1928年12月7日に米国ケロッグ国務長官は、米国上院で『経済封鎖は実質戦争行為である。』と答弁した。そして1939年7月26日、米国は日本に対して日米通商航海条約の一方的破棄を通告してきた。つまり経済断交である。すくなくとも1939年の段階で米国は日本と戦争するという決意を固めていたと見るべきである。1940年9月26日、米国は日本に対して屑鉄の禁輸に踏み切った。当時我が国は鉄鋼の製造工程において大量の屑鉄を必要としていた。そして、その多くを米国から輸入していた。その屑鉄の輸入をストップされ、我が国は鋼鉄を造ることができない状況に追い込まれた。日本軍が狂ったように真珠湾攻撃をしたと思い込まされているが、そうではない。戦前戦時中の日本人は戦後の日本人が思うほど馬鹿ではなかった。その後米国はイギリス、オランダ、中国と組んでいわゆるABCDラインによる経済封鎖をかけ、様々な鉱物資源等が我が国に入ってこないという状況に追い込まれた。1941年7月25日、米国は日本の在米資産を一方的に凍結した、そして同年8月1日、米国は我が国に対して石油の完全禁輸に踏み切り、その後オランダとイギリスも追随した。当時我が国は、アメリカから約8割の石油を買い、後の2割はオランダとイギリスからであった。つまり、日本に石油が全く入ってこない状況に追い込まれた。そのような状況の中で、我が国はどうすべきか悩み苦しんだ。しかもその後とどめを刺すように同年11月26日、米国は実質上の宣戦布告書であった『ハル・ノート』を日本に突き付けた。日本は何とか戦争を避けたいということで必死の外交努力を続けたが、米国はもう戦争する決意を固めてしまっており、日本は自存自衛のためと、長期間欧米の植民地となっていた東南アジアを開放するという大義のもとに立ち上がり、我が国は甚大な犠牲を払って大東亜戦争を最後の最後まで各戦地において死力を尽くして戦った。そのことにより直接間接に世界の植民地は解放された。日本が世界の植民地を解放したということを、日本人はもっと良く認識するべきである。また、マッカーサー証言というものがある。マッカーサーは米国の上院軍事外交合同委員会において、昭和26年5月3日から5月5日まで3日間にわたって証言をした。その第1日目で、『・・・。したがって、日本が戦ったその多くは日本の自衛の為であった。』と証言した。現在に生かされている我々は父祖の方々に対して深甚なる敬意と感謝の念を捧げなければならない。あわせて、日本は何としても真の独立国家の姿を早く取り戻さなければならないと思う。」と、硫黄島の戦いと、日本が大東亜戦争を戦った背景について語られました。
最後に塾長は、「本日も講師の方々から大変参考となるお話を頂いた。本当はどうなのかを知る機会として勝兵塾を開催している。非常に内容のある講演を聴くことができ、大変良かったと思う。」と述べて会を締めくくりました。