第150回 勝兵塾月例会レポート

公開日:2023/12/25


塾長・最高顧問 元谷 外志雄

勝兵塾第150回月例会が、12月21日にアパグループ東京本社で開催されました。
 冒頭のアパグループ元谷外志雄会長による塾長挨拶では、「配布資料の中にインパール作戦について書かれたものがある。先の大戦で日本は負けたとはいえ、戦ったことで白人キリスト教国が支配する世界の中で存在感を示した。今日日本が独立国家としてあるのは、戦う国だと認められたからである。立ち上がって戦った過去がないと、舐められて不条理な要求を突き付けられ、それを飲まざるを得なくなる。本当のことを知れば、もし日本という国がなかったら、白人キリスト教国家が支配する世界で、有色人種は劣等民族とされて、今より酷い人種差別が行われていただろうということがわかるだろう。日本が戦ったことによって、今日の人種平等の世界が築かれたと言える。勝兵塾は本当のことを知る機会として開催している。本当はどうなのかを、議論を通じてそれぞれが考えて頂ければ幸いである。」と述べました。続いて、12月8日に明治記念館で開催された第六回アパ日本再興大賞・第十六回「真の近現代史観」懸賞論文受賞記念パーティーの模様を動画で視聴しました。


国際歴史論戦研究所会長 杉原誠四郎様

国際歴史論戦研究所会長の杉原誠四郎様は、「『安倍晋三の黙示録としての「要説・吉田という病」』という電子書籍をKindleで出版した。『戦後レジームからの脱却』と叫んでいた安倍晋三の黙示録とは、吉田茂が占領政策を継承して創った戦後の日本の病、つまり『吉田茂という病』である。戦後の日本の歪みの原点はアメリカ占領軍の占領政策にある。しかし、マッカーサーは1951年4月11日に罷免されてアメリカに帰ると、日本が主権を回復すれば、占領軍の占領政策は直ちに日本の歴史や文化や文明に合うように修正されているだろうと述べた。マッカーサーの後任のリッジウェイ最高司令官は、就任間もなく占領政策の再検討の権限を日本政府に移譲すると声明を出した。しかし、占領末期に首相を務めた吉田茂は、占領政策の見直しをしなかった。そればかりか、主権回復後も首相を続け、占領政策をさらに悪くする方向で継承し発展させた。憲法第9条は、最初の案では日本が戦力を持たないとされていたが、芦田修正によって持てるようになり、それを占領軍が認める代わりに、憲法第66条に武官が国務大臣になってはならないという規定を設けた。だからこの憲法の正しい解釈は、自衛に関する限り戦力を持ちうるということである。しかし、吉田茂は自衛のためにも戦力を持たないという間違った解釈を日本に定着させた。そのことで、今日の日本は雁字搦めになって動けなくなった。戦後レジームをつくったのはマッカーサーではなく、日本自身であり、その中心にいたのが吉田茂であった。令和4年7月8日に凶弾に斃れた安倍元首相は、戦後レジームからの脱却をしきりに叫んでいたが、その戦後レジームとは、結局は吉田が占領政策を継承してつくった戦後の日本の病、すなわち『吉田茂の病』である。」「旧統一教会へのバッシングは法の支配を逸脱している。岸田文雄内閣の世界平和統一家庭連合に対する解散命令請求は、河野太郎消費者担当相が公正中立であるべき消費者庁の『霊感商法等の悪質商法への対策検討会』に、同教団を告発する人物を複数任命する逸脱行為から始まり、明らかに偏った審議をした。そして、文部科学省は、被害規模は204億円(約1、550人)と言っているが、その大部分はすでに教団が弁償したり、和解や示談が成立しており、誇張された数字である。さらに、宗教法人の解散命令は裁判所が決定しているがその審議は非公開となっている。これは法治主義の下での司法公開の原則に反している。そのため、憲法第32条に定める公開の裁判を受ける権利を行使できないままに解散命令を受けることになる。宗教法人法第84条に定める裁判所による解散命令は、宗教法人が刑法上の罪を犯して誰が見ても解散理由がはっきりわかっているときにのみ裁判所が解散命令を出せるという規則である。しかし、岸田首相は解散請求理由に民放の不法行為も含まれるとした。これも法の支配からの完全な逸脱である。岸田首相はテロリストと呼ぶべき犯罪者が旧統一教会への恨みを漏らしたときに、そのテロを糾弾しなければならないのに、旧統一教会へ批判を向けた。自民党は旧統一教会との接触を断つと言ったが、宗教団体がその掲げる理想を実現するために政治家と接触するのはむしろ権利である。それが違反なら、公明党は違反である。宗教団体が政治家に近づいたことが直ちに問題なのではなく、接触の中身に問題があったときに糾弾すべきである。それを自民党で旧統一教会に接触した者を全て糾弾したことで、自民党は大混乱となった。岸田政権は安倍元首相がつくった政治遺産を全て壊していっている。」と、戦後レジームの本質と旧統一教会への対応の問題点について語られました。


慶應義塾大学名誉教授・公益財団法人アパ日本再興財団理事 塩澤修平様

慶應義塾大学名誉教授・公益財団法人アパ日本再興財団理事の塩澤修平様は、「吉田茂は戦後政策で一定の支持を得ていたと思うが、その背景にどのようなものがあったか?」と質問され、杉原様は、「吉田茂が辞める時は新聞で散々叩かれた。吉田が結んだ日米安保条約があまりにも不平等だったので、岸信介がこれを改定したが、左翼がそれを機会に反米思想を日本中に蒔き散らした。あの時は日本が分裂するくらいの激しさがあった。しかし経済がどんどん成長し、酷い敗戦から19年でオリンピックを開催できるまでになったのは、吉田が再軍備をしなかったからだという嘘が語られるようになった。分裂した日本を再統一するためには、日本経済の発展が統一の共通項となり、そのために誰かを英雄にしなければならなかったため、吉田が英雄になった。」と答えられました。


英霊の名誉を守り顕彰する会会長 佐藤和夫様

英霊の名誉を守り顕彰する会会長の佐藤和夫様は「1月25日に、先日懸賞論文で最優秀賞を受賞された矢野義昭さんの講演会を開催する。矢野さんは、『受賞論文を最も評価してくれたのは元谷会長だけれども、元谷会長のエッセイは自衛隊の高官でも書けないものだ。』と評価していた。」「私の活動を通して令和5年を振り返りたい。昨年は講演会を46回開催したが、今年は59回開催した。講演会を続けていると、様々な方から新たな講演会の開催を頼まれる。クリスマスイブにはラムザイヤー教授の訳本の訳者による出版記念シンポジウムを開催するが、これは藤岡先生から依頼されたものである。今年は高田純先生の、安倍さんの死の真相がおかしいという講演からスタートした。昨年加瀬先生がお亡くなりになり、加瀬先生の取り組みが継承されないまま残っている。軍歌を歌い継ぐ会を加瀬先生から頼まれていたものである。防衛省にあるスディルマン将軍の像は、日本がアジア開放のために戦ったシンボルであり、その献花式も継承した。大東亜会議80周年行事についても、70周年のときには加瀬先生が中心になって開催されたが、80周年を誰もやろうとしなかったので私がやることにした。加瀬先生がされていたことをこれから我々の誰が継承していくのか考えていかなければならない。また、今年の初めには、北海道の100年記念等が解体される問題を取り上げ、古くから北海道としての歴史があるのに、その歴史を潰そうとしている勢力があることに、私は大きな声を上げた。主権回復記念日には、今年はウクライナ問題を取り上げ、『本来関わる必要がないのにあえてウクライナを支援して隣国のロシアを敵に回してどうするのか』『実際長引けば長引くほどウクライナの人々の犠牲が増えるため、こうした犠牲を早く止めるため、日本はアメリカの言いなりになるな』と主張した。丁度G7サミットが広島で行われたので、このときにデモ行進を計画した。『広島の地で戦争を煽るようなことはするな』と主張したが、岸田総理はゼレンスキー大統領を呼んで頑張れと言って、戦争を煽る会合にしてしまった。LGBT法案は日本を解体する法案であり、皇室を潰す法案でもある。大変な法案が簡単に通ってしまった。それから、安倍元総理の一周忌について、誰も声を上げなかった。今裏金問題で『安倍派』と言われているが、安倍元総理は裏金に反対していたし、『安倍派』になったのも短い期間である。ところが『安倍派』と呼んで安倍シンパを潰そうとしている。裏金問題も赤旗から出た話であるが、安倍元総理が亡くなってから、やりたい放題である。また、沖縄の人々は、全国から特攻が沖縄に集まって戦ったことを知らない。そこで、そのことを伝えるために沖縄で特攻の劇が催され、それに協力した。さらに、福島の魚が放射能に汚染されているという中国からの報道があったが、これは安全なんだと言って、福島の魚を食べに行った。福島の原発の地域は太陽光発電に移っている。本日いらっしゃる小林興起先生には元旦に講演をして頂く。日本の神社仏閣が今どんどん潰れている。特に偉人を祀った神社が資金の問題でどんどん潰れている。これを何とかしたいと言う思いで小林先生に講演して頂くことになっている。また、宗教が様々な戦争の原因になっているが、日本だけが神戸で世界の宗教家を集めて平和を祈る会を開催している。これは日本ならではのことで、宗教に寛容な国である日本にしかできない。パンデミック条約は日本の主権を侵害されて、WHOの権限ですべてが行われることになる。日本が本当に危ない状況にある。先ほど元谷塾長からインパール作戦の話があったが、インパール作戦は世界で最も称賛された戦争である。世界史的に見れば、インド独立のために日本はインド国民軍と共に戦い、餓死するなど悲惨な目にあったが、村人の物を盗むことなく餓死していった。こうした日本人の高貴さ、ここまでしてインド独立のために戦った姿を見て、イギリス人は愕然とした。その結果、イギリスは本国に戻り、中東も独立した。つまり、このインパール作戦が世界の歴史を変えたと言える。負けた戦争であったが、この戦争で植民地支配が終わり、国連で人種平等が謳われるようになった。この評価を我々は忘れている。だからインパール作戦80周年鎮魂の旅を企画した。」と、今年一年の活動を振り返りながら、日本の課題について語られました。


新党やまと代表 小林興起様

新党やまと代表の小林興起様は「私は子供の頃から政治家になりたいと思っていたが、私は天才ではないので、東京大学を出た田中角栄になりたいと思った。だから東京大学から通商産業省に入り、アメリカのウォートン・スクールに留学した。これだけ勉強すれば政治家としてやっていけるだろうと考え、自民党で何度か落選した後にやっと当選した。当選してみたら政策を考える政治家がほとんどいなかったので、それなりに評価を得て順調に上がっていった。私は最近政治活動をせずじっと生活していた。時代が動かなければ何ともならない。その時代が、昨年あたりから動き始め、今年大きく動いた。残念ながら日本人が本当に貧乏になったことを庶民が知るようになった。では日本人はいつから貧乏になったのか?それは、小林興起が自民党を追放されたときからである。小林興起がなぜ自民党を追放されたのか。それは郵政民営化である。どこの国でも郵便事業は国営である。郵便料金は東京から東京に出す料金も東京から北海道に出す料金も同じである。これで郵便事業をやってみたいと思うか? アメリカが欲しかったのは郵便貯金である。日本では前島密が郵便制度を創ったときに、税金を使わないために郵便制度に儲かる事業を付ければよいと考え、郵貯、簡保をくっつけた。民営化して、郵貯、簡保をアメリカに取られたことで、郵便料金は来年から封書が84円から110円へと大きく値上げされる。政府から見れば、郵便貯金は税金と並んでもう一つの財源であり、財政投融資というかたちで政治家が使うことができた。田中角栄は高速道路を、郵便貯金を使って道路を造り、その代わりに利用料金を取ろうという事業化的発想で造った。戦後政府が住宅金融公庫を創ってお金を貸したから国民は家を建てることができたが、これも郵便貯金が原資である。政治家になったら、税金と財政投融資、すなわち郵便貯金を握ることが、仕事をするために重要なことだった。これをアメリカに言われて平気で渡すのは、全く仕事をしていない政治家である。しかしそれが、我々が応援した小泉純一郎という総理大臣だった。しかも、彼の郵政民営化法案を日経新聞といういい加減な新聞が良いことのように書いて、郵政民営化が実現し、財政投融資がなくなった。その結果、日本は全く経済の成長しない国になった。アメリカは属国日本から金を巻き上げてどんどん戦争をした。アメリカが国債を発行し、それを日本に買わせて、その金でウクライナに武器を送っている。ウクライナの戦争は皆さんの郵便貯金でやっていて、日本人が一番戦争に貢献しているわけである。これが日本の姿である。それで本当にいいのかと思う。テレビも新聞も本当のことを報道しない。日本は戦後成長してきたのに、なぜダメになったのか。全部アメリカにやられている。アメリカは米ソ冷戦構造が終わった後、これからは経済の戦争だと考え、日本を叩いた。世界の産業の基本である半導体について、世界一だった日本の半導体は、10年かけて日米半導体協定を結ばされ、見るも無残に打ち砕かれた。アメリカは占領しながら被占領国から尊敬された、世界で初めての国である。吉田茂はサンフランシスコ平和条約に調印した後、一人呼ばれて日米安保条約に判子を押した。その結果、占領が終わったら米軍が去るのは当然なのに、これによって米軍がいつまでも日本に居ることができる。アメリカ軍がいなければ日本を守れないとアメリカから教えられ、そのような教育が施されてきた。しかし、アメリカ軍に帰ってもらえばよい。アメリカ軍はアメリカのために日本にいるのであって、日本のためにいるわけではない。小林興起は郵政民営化で自民党を追放されたが、新党を創り、日本の魂を持つ『新党やまと』が政権を取って、日本が経済発展し、世界の日本に再びなることを目指す。私が書いた『日はまた昇る』という本は、1、300円のところ、2、000円で販売している。うち700円は政治活動費にさせて頂く。この本には郵政民営化の本当の話が書かれているので、これを読んで同情するだけでなく、応援してほしい。」と、郵政民営化の問題点を指摘されました。


計画哲学研究所所長・工博・元早稲田大学客員教授・新しい日本を創る会代表 三輪真之様

計画哲学研究所所長・工博・元早稲田大学客員教授・新しい日本を創る会代表の三輪真之様は、「私は『新しい日本を創る会』の代表をしているが、新しい日本について知人たちと議論し始めたのは、もう三、四十年前である。55年体制が後1年半で70年になる。少なくとも令和の時代になったときに戦後とは何だったのかを総点検して、新しい日本を創るためには何をするべきかという話にならないといけなかったが、残念ながらそうならなかった。勝兵塾でここ数年、多くの方々のご発表をお伺いして、その情熱に本当に頭の下がる思いだった。しかし、残念ながら日本が動かない。これだけ皆が頑張っているのになぜ動かないのか? 特に問題なのが自由民主党である。55年体制の歴史的使命はとっくに終わっているはずなのに、なぜ自由民主党がまだ存在し続けるのか? 元々は自由党と民主党が合併してできた。だから、政治思想がはっきりして立ち上がった政党ではない。問題はこの体制がこれから何年続くのかということである。まず、新しい日本を創る、すなわち自由民主党が創ってきた55年体制に代わる新しい日本の体制は、どういう観点で何をすればできるのかということである。日本が今、世界でリーダーシップを発揮できるとしたら、それは日本人の倫理観の高さである。別の言い方をすれば、日本の人間哲学が極めて優れているということである。日本人の倫理観に世界の人々は一目も二目も置いている。したがって、日本の人間哲学に21世紀の世界を救う力があることを、若い人たちにも伝えていきたい。日本国憲法について、自由民主党は党是として憲法を改正するとずっと言ってきたが、何も変わっていない。誰が首相になっても、憲法改正の議論について国民が関心を持てる話題が何もない。しかし、多くの人が日本国憲法に関心を持たないと日本は変わらない。日本の上院と下院の意識はどうなっているのか? 政治で二院制を取る場合、外交をはじめ、国民全体に関わる問題について、大所高所から長期的な視点に立って正論に基づいて判断していくのが上院の役割である。下院の役割は、多くの人々に欲があるので、地域の利害、業界の利害を調整することである。そして、日本の上院は明らかに参議院であるので、衆議院を上院扱いしていると日本は変わらないだろう。日本を大改革するためには、まず参議院を変えなければならない。さらに言えば、参議院が日本を変えなければならない。日本を悪くしてきた人たちは圧倒的に衆議院に多い。一部の方々には『新しい日本を創ろう』という分厚い本をお配りした。新しい日本を本気で創ろうとしたらどのくらいの準備が必要かを、この本から感じて頂きたい。新党の話は以前からあるが、どの新党も準備が足りないのではないか。そんな思い付きで国政を左右するような政党をどんどん作られても国民は迷惑である。新党にはそれだけの覚悟と情熱をもって先輩方の知見を纏めるだけの努力が必要である。そのような観点から、日本で信頼できる保守政党ができるとすれば、『日本公和党』以上の党はまず考えられない。日本公和党がどのくらいよく準備をしているのかを1人でも多くの方に知っていただきたい。自由民主党がこのままあり続ける限り、新しい日本はできないと断言できる。自由民主党はいずれ消えていくが、その消え方は二つしかない。一つは選挙で自由民主党が惨敗して下野し、総バッシングを受けながら消える、もう一つは、自由民主党の一部の良識ある人が新しい保守政党を認め、そちらに移って若い人たちに活躍の場を譲っていくというものである。日本人であれば誰が考えても後者の方が良いだろう。長年、どうすればハッピーなシナリオで自由民主党の幕を引けるのか議論をしてきた。しかし、自由民主党はなかなか割れない。お互いにリスペクトするようなかたちで党を割るには憲法しかない。憲法について議論が全く進まない一番大きな原因は、保守主義者の中にも日本国憲法はそこそこ良い憲法だと言う人がいることである。『護憲派と改憲派が議論を戦わせる』とよく言われるが、これは間違っている。今の日本国憲法をよく読めば突っ込みどころだらけである。第九条もそうであるが、主権の制限についてはノーマークである。だから図々しい奴がやりたい放題できてしまう。しかし、今の状況ではそれに正面から切り込めない。自民党の若い人たちにも、私の知る範囲では相当憂慮している。憲法の欠陥によって、現場で様々な問題が起きている。皆さんにはぜひ護憲派でも改憲派でもない、一旦現行憲法を廃止する廃憲派が出てきていることを記憶しておいて頂きたい。護憲派と廃憲派が本来対決すべき論点である。新しい憲法を創る前提で一旦憲法を廃止したらどうだろうか、というのが廃憲派である。両者が議論する中で改憲が良いのではないかという結論が出るかもしれない。ただ、私としては憲法については廃憲という立場、すなわち一旦憲法を廃止し、もう一度日本の国体や歴史を振り返りながら新しい憲法を創るということに皆さんの関心が移って頂けると嬉しい。」と、新しい日本を創るための論点と取り組みについて語られました。

最後に塾長は、「本日の勝兵塾でもいろいろ参考になる意見を頂いた。皆さんが自分の頭で考えて、本当はどうなのかということを理解する場として勝兵塾を開催している。いろんな考え方があって然るべきであり、時間があればもっと議論を深めたかった。皆さんの中で本当はどうなのかを考えて頂くためにも、現行憲法をもう一度読んで頂きたいと思う。」と述べて会を締め括りました。