第148回 勝兵塾月例会レポート

公開日:2023/10/26


塾長・最高顧問 元谷 外志雄

勝兵塾第148回月例会が、10月19日にアパグループ東京本社で開催されました。
 冒頭のアパグループ元谷外志雄会長による塾長挨拶では、「先日第六回アパ日本再興大賞が決まり、井上和彦氏の作品が受賞した。懸賞論文の受賞作品はすでに発表済みであるが、本日の勝兵塾でも様々な観点の話を聴いて頂き、来年の懸賞論文に応募頂けたら幸いである。日本は本当はすごい国なのに、誇りを失っている。その誇りを取り戻したいという思いで勝兵塾を開催してきた。『本当はどうだったのか?』を知れば皆、誇りを持てる。しかし、戦後ずっと教えられてきたことや報道されてきたことはすべからく日本を貶めるものであった。この勝兵塾が日本人としての誇りを取り戻す場となってくれれば幸いである。」と述べました。


衆議院議員 掘井健智様

衆議院議員の掘井健智様は、「私は2年前の衆議院選挙で初当選して国会議員になったが、それまでは市会議員や県議会議員を務めてきた。出身は兵庫県の加古川市である。市会議員や県議会議員をやってきて様々な問題や課題を解決してきたが、その要諦は、役所の人間にどのようにして協力させるかに尽きる。国会に行けば官僚がいる。この人たちはすごい力があると言われているが、私は地方の役人と大して変わらないと思っていた。しかし、国会に行ってみて、官僚の力は非常に大きいと感じた。行政を司るのは内閣であるが、大臣になると官僚による大臣レクがあり、それですっかり官僚の代弁者になってしまう。しかも大臣の任期は平均1年くらいで、政治家はなかなか勉強できないから、官僚が思うように進んでいく。私は30年前に証券会社にいたが、当時はバブルのピークの時だった。あるとき銀行や証券会社に規制がかかり、銀行はお金が貸せなくなり、証券会社は株を売れなくなった。そのうち銀行が統合されたり倒産したりして、信用金庫までお金を貸せなくなって中小企業が倒産していった。これは財務省の責任だと思う。しかも、それに抗えない政治家がいた。そのことで30年間ずっと景気が悪かった。これで反省があるのかと思ったら、このご時世にまだ増税したい、緊縮財政をしたい、そうでないと破綻してしまう、と言っている。でも国には財産がたくさんあり、全く破綻していない。財務省はどこを向いているのかと思う。国債は60年で償還することになっていて、毎年予算を積み立てているが、そのお金は無駄ではないのか? さらに為替の資金が150兆円あるが、そのお金を他に回したらどうなのか? しかし、防衛費の増額で3兆円が議論になっているが、そこには回さない。それは財政法があるからである。財政法を調べたら、戦後のGHQが作った法律が今も生きていて、それが一つの価値観として動いている。安倍元総理がお亡くなりになって、『戦後レジームからの脱却』ということが言われなくなった。改革で大事なのは、日本の背骨は何なのか、日本の国のかたちとは何なのかを踏まえて変えていくことである。変えてはならないもの、変えるべきもの、そうしたものを精査する力が政治家にないと、この国は良くならない。日本を大事にすることを考えながら改革に努めていきたい。」と日本の課題と改革への思いを語られました。


慶應義塾大学名誉教授で公益財団法人アパ日本再興財団理事 塩澤修平様

慶應義塾大学名誉教授で公益財団法人アパ日本再興財団理事の塩澤修平様は、「財政法第4条が問題だと思うが、国会議員から財政法改正についてどのような議論が出ているか?」と質問され、掘井様は、「国会議員から財政法改正の議論が出たことはない。政治家が議員立法をしようとしても、内閣法制局や事務次官連絡会議を通らなければならない。そのため、特に財政法の改正など、財務省に関係する法案を成立させるのは厳しい。財務省は表立って反対するだけでなく、裏から大臣に根回しをしてくる。そこに過去の澱が残っている。財務省の価値観を変えるためには、そのような国民の空気をつくっていく必要がある。」と答えられました。


Temple University Hospital心臓外科主任教授 豊田吉哉様

Temple University Hospital心臓外科主任教授の豊田吉哉様は、「私はアメリカで心臓外科医をしている。私はアメリカで25年暮らしていて、ハーバード大学、ピッツバーグ大学、テンプル大学の医学部で働いてきた。アメリカの死因の第一位は心臓病で、心臓外科で最も多い狭心症や心筋梗塞に対する冠動脈バイパス術の症例が、日本は1施設当たり年間33例であるのに対して、私がトレーニングをしたマサチューセッツ総合病院は年間800~900例であったので、トレーニングをするにはアメリカが一番良いと思いアメリカへ行った。最初はハーバード大学で研究フェローをしたが、ハーバードで研究をするためにはJビザを取得する必要があり、そのためには預金残高が10万ドル必要だった。アメリカに行ってお金を借りることもできたが利子は13%だった。アメリカの大学の授業料は外国人の方が高いのが一般的である。しかし、私の韓国人の友人の奥さんが関西の私立大学の文系に通ったが、当時文部省から月十数万円をもらって、健康保険料もタダで授業料もタダ、飛行機代も日本政府が負担した。マキャベリは『隣国を援助する国は亡びる』と言っている。臨床のトレーニングをするためにアメリカで医師免許を取り、マサチューセッツ総合病院で研修をした。この病院だけで13人のノーベル賞受賞者を出し、アメリカでトップの病院だったが、トレーニングが厳しいことでも有名だった。朝の回診は5時半から始まり、手術は7時半から始まった。日本でも働いたことがあるが、日本では9時頃に出勤して、手術は10時、11時から始まった。アメリカ人の方がよく働くと感じている。東京証券取引所とニューヨーク証券取引所の休業日を比較すると、東証の方がはるかに多い。アメリカの銀行は毎日6時まで開いていて、土曜日も開いている。日本人は、昔は良く働いたと思うが、働き方改革で、今はアメリカ人と比べて怠けてきていると感じている。これも過去30年間GDPが増えていないことの原因の一つではないかと思う。ボストンの後、ピッツバーグへ行き、心移植肺移植をやった。心移植肺移植が全米で最も多い施設になり、そのときに残ってほしいと言われたのでアメリカに残る決意をした。2008年に主任になると、人事権を持ち、予算を動かせる立場になったので、アメリカに残って日本の後進を育てる方が日本に貢献できるのではないかと考えた。これまで20人くらいの日本人を雇ってトレーニングをしてきたので、それらの給料を含めると、100億円くらいアメリカから取り返していると思う。75か国の人達と一緒に働いてきたが、リーダーとして働く上で、日本人だということが自分の中では一番大きいと感じていた。日露戦争で日本人が有色人種として白人相手に初めて勝ち、1919年に人種差別撤廃を初めて提案したのも日本人だった。第二次世界大戦前に白人が植民地支配していたところは、戦後独立できた。この当時戦って頂いた人々に感謝して、今日も靖国神社に参ってきた。オフィスには特攻隊の手紙のコピーを貼っている。国家に忠誠を誓うのは当たり前で、アメリカでは幼稚園でも毎朝国家に忠誠を誓ってから授業を受ける。日本と中国の軍事費の推移を見ると、日本が少し軍事費を増やすと言うだけで左翼は騒ぐが、中国の方がずっと増やしている。香港の民主主義、自由主義は失われ、日本はいずれモンゴルやウイグルのように言葉もなくなってしまうかもしれない。だからしっかり守らないといけない。日本国憲法前文には、『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し』とあるが、『平和を愛する諸国民』はどこにいるのかと思う。キッシンジャーは『アメリカの敵であることは危険かもしれないが、アメリカの友人になると滅びる』と言った。その良い例がウクライナである。東西ドイツが合併したときに、ドイツに米軍を駐留する代わりにNATOは東方に拡大しないという約束があったが、それをアメリカが破った。ウクライナは1991年に独立したが、94年にブダペスト覚書で核を放棄させられて、代わりにアメリカ、ロシア、イギリスが守ると約束したが、全く守られていない。国際条約は破られるものなので、日米同盟も注意しておかなければならないと思う。」と、アメリカでの心臓外科医としてのキャリアと日本への思いを語られました。


千葉県議会議員・『維新と興亜』発行人 折本龍則様

千葉県議会議員・『維新と興亜』発行人の折本龍則様は、「私は浦安市選出の千葉県議会議員で、今年の4月の統一地方選で県議に初当選した。それまでは市議会議員を無所属という立場でやっていたが、今回も無所属という立場で当選させて頂いた。一般的には、県議会議員は大きな政党に属さないと当選が難しいが、今回無所属で当選させて頂いたのは、既成政党に対する諦めや怒りが大きかったからだと思う。投票する党がないという民意の現れであると受け取っている。私は議員活動と同時に『維新と興亜』という言論誌を発行している。『道義国家日本を再生する』を標榜して活動している。最近特に国民が既成政党への諦めを感じていると思うのは、LGBT理解増進法に対して、自民党をはじめ保守を自称している政党が悉く賛成してしまったことである。私は本当に『ふざけるな!』と思っている。仮初にも日本の伝統文化を守ると言っている政党がなぜあんな法律に賛成してしまったのか。私は本当に許せない。自民党はほとんど議論しないであのような法案を通してしまった。個々の国会議員の先生とお話しすると立派な見識を持たれているのに、党という組織になると途端に口をつぐんであのような売国的な法案を通してしまう。これはLGBT法案に始まったことではなく、郵政民営化などアメリカが様々な構造改革を要求してきて、それに悉く屈服してきた内政干渉の歴史だと思っている。今回のLGBT法案にしても、きっかけはエマニュエル駐日大使が岸田首相にLGBT法案を通せと言ったからであり、自民党の中では反対意見が多くあったにも拘わらず、ほとんど審議もしないまま通してしまった。これはエマニュエル大使の内政干渉によるものだと私は見ている。ただ、それに屈服してしまった自民党もだらしない。ただ根本の問題は、日本に主権がないことである。国家主権の独立があって初めて民主主義が機能する。しかし、今の日本には主権がなく、真の独立国になっていない。先日バイデン大統領が来日した時も、横田基地から入ってきた。これは独立国に対する態度ではなく、植民地総督の態度である。本来であればそういうことに対して政府が厳重に抗議しなければならないが、自民党は全く言えない。他の野党も全くそういうことを言わない。私は地方議員という力のない存在ではあるが、7月8日のアメリカの独立記念日にアメリカ大使館へ、エマニュエル大使宛の抗議文を持って行った。事前に予告をして言ったが、残念ながら完全に無視された。その後ショックだったのが、私のいる浦安選出の英利アルフィアという自民党の国会議員が、エマニュエル大使とにこやかに懇談している写真がネットに上がっていたことである。こういう方が自民党にいること自体がおかしい。日本はアメリカから自立していかなければならない。LGBT法案の問題の本質は、日本の国体に対する破壊工作だということである。日本は天皇陛下を中心とした一大家族国家である。天皇陛下は天照大神の子孫として万世一系の皇統を繋いでこられた。国民も子々孫々皇室に対して忠義を尽くしてきた。日本は忠孝一致の家族国家であり、これが日本の国体である。LGBT法案はそれらを根本的に破壊する思想に基づいてできた法律である。戦後GHQが国体を破壊するためにまずやったのが天皇条項と家族条項の改定である。日本に伝統的な家督相続などを根本的に破壊してきた。その最後のなれの果てがLGBT法案だと思う。男女平等を超えて性差そのものをなくしてしまい、家族というものを根本的に否定して廃絶してしまおうという考え方に立っている。私はアメリカの内政干渉に反対しているからといって、反米主義ではない。LGBTの思想はアメリカ社会をも根本的に蝕んでおり、深刻な文化破壊や対立を引き起こしている。私は抗議活動の中で、アメリカ国民に対しても連帯を訴えていく。我々の敵はグローバル全体主義、グローバリストである。だからアメリカ国民と連帯しなければならないと強く感じている。千葉県議会においても熊谷知事が多様性尊重条例を通そうとしているが、これが第二のLGBT法案になってしまうのではないかと危惧している。」とLGBT法案の問題の本質と反対への取り組みについて語られました。


一般社団法人空の神兵慰霊顕彰碑護持会代表理事 奥本康大様

一般社団法人空の神兵慰霊顕彰碑護持会代表理事の奥本康大様は、「大東亜会議八十周年記念大会を計画したが、七十周年のときは、加瀬英明さん、渡部昇一さん、ヘンリー・ストークスさんといった錚々たるメンバーが実行委員に名を連ねたが、八十周年ではやる人がいなくなって、やむを得ず私がやっていた。私も77の喜寿なので、折本さんのような若い人に引き継いでいかないと本当に終わってしまう。だから、若い人たちにバトンタッチをしていけるような体制を作れないと日本は危ういと思う。」とコメントをされました。


山元学校学長 山元雅信様

山元学校学長の山元雅信様は「折本さんのお話しにはすごく納得いくところが多かった。一番大切なのは、若い人たちへのアプローチだと思うが、どうしているか? この『維新と興亜』という本はかなりレベルが高すぎるので、もう少し若者向けの本を出されたら良いのではないか?」と質問され、折本様は、「若者たちを集めるということに苦心しているが、私の選挙は後援会という組織がなかったので、浦安の地元の方々ではなく、私の思いに賛同する若者たちが集まって、一緒に選挙戦を戦ってくれた。いかにそういう若者を集めるのか、日々考えながらやっている。元々『維新と興亜』は、江戸時代の山崎闇斎の崎門学を仲間と学んでいて、その機関誌として出していたものと、頭山満の大アジア主義の思想と運動を仲間と学んでいてその機関誌も兼ねて出していたものである。そのような性格なので、どうしても難しくなってしまう面はある。最初は一般世間に受け入れられるものを目指して書いてきたが、頑張っても売れないので、開き直って我々にしかできない言論をやろうということにした。」と答えられました。


一般社団法人シベリヤ抑留解明の会理事長 近藤建様

一般社団法人シベリヤ抑留解明の会理事長の近藤建様は、「私は『シベリヤ抑留解明の会』を5年前に創り、昭和20年にソ連によってシベリアへ何人連れて行かれたのか、そこで何人亡くなったのか、その責任者は誰なのか、亡くなられた方々の慰霊はできているのか、ということを究明しようと活動してきた。活動する中で、テーマが増えた。北方四島がわが国固有の領土であることを多くの日本人が忘れかけている。今でも北方四島近くで拿捕される船があり、それに対して政府は抗議をしない。北方四島が我が国固有の領土であるということを国民の共通の理念として持ってもらうための運動も併せてやっている。そして、関東軍はソ連が攻めてきたときにバラバラになって日本人を守らずに逃げ出したと教えられた人が多いと思うが、よく調べてみれば、関東軍は、武装解除されるまで日本人を守るために戦っていた。活動を始めて5年が経つが、会員はまだ325名しかいない。これから多くの方に力を借りたいと思っている。私の運動を、『ツインバッヂ運動』と呼んでいる。このバッヂは、日本の抗議をする思いを込めたもので、下の青い部分は北朝鮮による拉致、上の白い部分はシベリア抑留を意味し、白い部分の4つの島が北方四島を表している。鈴木宗男氏のロシア訪問について、彼は全く悪かったという顔を見せない。彼の姿を見て、百才あって一誠なしと感じた。100の才能はあるのかもしれないが、真心が全く感じられなかった。ロシアに行ったときに、『北方四島は我が国の領土である。いつまで占有しているのか。』といった怒りを表しただろうか? 彼はロシアに行って、『ロシアは戦争に勝つ。』と言っただけである。彼の『話し合いが大事だ』という言い方についても、話し合いの裏に何かあったら戦うぞという意思がなければ、口だけでは通らないのが国際問題であると思っている。9月28日に都市センターホテルでシベリア抑留関係者中央慰霊祭が法務省の後援で開催された。この慰霊祭で追悼の言葉が読まれたが、遺族代表として読まれた蔭山勝代さんの言葉があまりに素晴らしくて、聞きながら体がジーンとした。これからもシベリヤ抑留解明の会の活動を通じて、ロシア、ソ連の理不尽なことに対して勇気を持って意見を言えるような関係にしていきたい。」とシベリア抑留をはじめとする抗議活動への取り組みについて語られた後、蔭山勝代様の追悼の言葉を読まれました。


衆議院議員 鬼木誠様

衆議院議員の鬼木誠様は、「2年前に防衛副大臣を務め、昨年から衆議院の安全保障委員長を務めた。そしてこれから1年間は自民党の国防部会の部会長を務めるので、3年連続で日本の安全保障に関わることになった。2021年10月に防衛副大臣に就任したが、その時はコロナの真っ只中だったので、ほぼ1年間全く海外に出られなかった。副大臣になって間もない頃に硫黄島に行く機会があり、視察した。摺鉢山が艦砲射撃で山の形が変わるほど撃ち込まれ、そこで戦った日本の旧軍人の皆様は本当に大変な思いをしただろうという思いを抱いて赤坂の宿舎に戻った。食事をとろうとした瞬間に頭が急に重くなり、気分が悪くて食べられなくなった。その日はすぐに寝て、夜中の2時頃に目が覚めたので、Facebookに硫黄島で見聞きしたことをアップしたが、朝起きて見直してみると、たくさん上げた写真のうち2枚が真っ黒になっていた。硫黄島では不思議なことが起こると言われているが、日本に帰りたいと思いながら戦って亡くなった御霊が私について帰ってきたのではないか、私に何かを訴えているのではないかと思い、その魂を靖国神社にお連れしようと、靖国神社に直行した。それから1年間、海外に行けない状況で副大臣を務めたが、その間私は防衛省に慰霊に行きたいと言い続けた。2022年のゴールデンウイークは、私は東京にいなければならなかったので、何か本を読もうと思い、たまたま行った本屋に『ペリリュー』という漫画が平積みされていたのが目に飛び込んできた。可愛い画の漫画だが、読むと凄惨なペリリュー島の戦いをとてもリアルに描いた作品だった。それを読んでから、私はペリリュー島に行きたいと防衛省に熱烈にリクエストをした。しかし防衛省からは、『慰霊は副大臣の仕事ではない。副大臣の仕事は今の自衛隊を率いて日本国民の命を守ることが役割だから、慰霊に行くことは公務ではない。』と言われた。コロナで海外に行けずに悶々としていたら、ガダルカナル島から日本政府にガダルカナルの戦い80周年の慰霊式典への招待状が届いた。総理も防衛大臣も行かないので、私がガダルカナルでの慰霊式典に行くことになった。この式典に日本が呼ばれたのは初めてだった。80年間日本は敵国であり戦った相手であり、共に慰霊をする仲間ではなかった。それが80年の時を経て、南洋地域に中国がやってきてソロモンの首相と中国政府が軍事密約を結んだタイミングだったこともあり、日本は80年前は戦ったが、今では太平洋を守る仲間であり、共に慰霊をしようということで、初めて日本政府が招待された。入間からガダルカナルへ自衛隊機を飛ばすと途中で給付が必要になる。行きはグアム島で給油をしてガダルカナルに着いたが、帰りの給油地をパラオにした。パラオからは船をチャーターしてペリリュー島の慰霊塔にお供え物を持って行き、慰霊をすることができた。また、私は日本パラオ友好議員連盟の事務局長をしていて、24年振りにパラオ議連がパラオを訪れ、ペリリュー島にも行ってきた。そして、ペリリュー島から日本に戻ると、成田から靖国に直行して、御霊を日本にお届けした。」と、防衛副大臣時代の慰霊の活動について語られました。

最後に塾長は、「本日の勝兵塾も、講師の方々から素晴らしいお話を伺った。本当はどうなのかを知る機会として、勝兵塾を開催している。内容のある月例会にしたいと思っているので、この場で講演をしたいという方は、事務局に申し出て頂ければ、私の方で選んでお願いしたい。」と述べて会を締め括りました。