第147回 勝兵塾月例会レポート

公開日:2023/9/27


塾長・最高顧問 元谷 外志雄

勝兵塾第147回月例会が、9月21日にアパグループ東京本社で開催されました。
 冒頭のアパグループ元谷外志雄会長による塾長挨拶では、「『四季報 業界地図』の2023年度版によれば、我が社がホテル業界で断トツの業績で、営業利益が358億円、2番手とは倍以上の差がある。言論活動はしっかりやっているが業績はどうなのかと言われては困るので、『二兎を追う者は二兎ともを得る』という思いでやっている。東京、大阪、金沢の3カ所で毎月勝兵塾を開催し、『アップルタウン』を毎月発行して、藤誠志のペンネームでエッセイを書いて思いを発信している。ご意見のある方はどんどん言って頂ければ幸いである。」と述べました。続いて、プレジデントオンラインアカデミーの塾長のインタビュー動画「アパグループ会長 元谷外志雄〈後編〉 『成功したかったら、「自分だけの武器」を持ちなさい』」を視聴しました。


衆議院議員 小田原潔様

衆議院議員の小田原潔様は、「私が政治家になりたいと思ったきっかけは、今から51年前の1972年に沖縄が返還されたことである。父が自衛官であり、平時であってもいざというときは自分の親が命を失うかもしれないという覚悟を持っていた。沖縄返還は、一発の銃弾も発射せず、一滴の血液も流さずに領土を取り返したため、外交と政治の力はすごいと感じた。庶民の出であり、地盤・看板・鞄の何もなかったため、15年前に自民党も候補者の公募を始め、それに応募して大分の参議院議員の候補になった。そのときは落選して3年浪人をしたが、11年前に東京で初めて公募をすることになり、『東京21区だけ空いているけどやる気はありますか?』と声を掛けられた。東京21区には長島昭久さんがいて、20年間自民党の衆議院議員がいない選挙区だった。電話を受けたときは『どうせ勝てないから火中の栗を拾うよそ者を探しているのだろう。』と思ったが、これを断ったら二度と声が掛からないとも思ったので、人生設計も損得勘定も一切関係なく判断した。その結果、今は4期目に入らせて頂き、昨年までは外務副大臣を務めさせて頂いた。武力による国境の変更のみならず、民族自決を侵害していることが21世紀にあってよいのかと思う。ウラジーミル・プーチンが考えている理想は、NATOの境界線をベルリンの壁が崩れた直後に戻すことである。しかし、衛星国は皆民主化してしまったのでそうはならない。それはロシアの自業自得である。プーチンと習近平の行動を見ていると、似ているところがある。二人とも同じ年に生まれたというだけではなく、世の中の理解が1970年代で止まっている。その頃の世界秩序が一番良いと思っているところが非常に厄介である。ベルリンの壁が崩壊した1989年に、私達は西側の勝利だと信じて疑わず、世界中が自由と民主主義に覆われて平和になると思い込んだ。しかし、現実には人権より国家の安定を重要視する国が残った。これは西側諸国が創ってしまった怪物である。イギリスは1997年に香港を中国に返還した。その時は、香港が中国人にとって自由の窓となり、自ずと民主化すると思い込んでいた。さらに2001年に中国をWTOに入れた。その時も、中国人が自由貿易の蜜の味を味わったら、自ら民主化すると思い込んでいた。しかし中国は、自由貿易のメリットを全て独裁の維持のために使った。AIやビッグデータ、ドローン、顔認証技術、自動運転などは西側諸国で開発され発展したが、現実社会に適用しようとすると、中国の政治体制の方が親和性が高い。今、中国では公表ベースで1億3千万台の監視カメラがあり、これから5億台にすると言っている。これから自立型致死型兵器が出てくる。これは人間の命令なしに機械が判断して人を殺す兵器である。日本では検討すら許されないと思うが、アメリカと米国はおそらく躊躇しないだろうし、今も造っているだろうと思う。さらに、ゲノム情報を一生懸命解析しているが、解析が終われば上書きが始まる。世界中の人たちが日本人みたいに真面目で親切で優しくて、約束したらそれを守るのが人の道だと思っている人ばかりだったら良いが、現実の世界では、地上の国境がなく、皆同じ民族で、同じ言葉を話し、殺し合いになるような宗教上の対立のない国は、ものすごく珍しい。だから話し合って解決すると思っているのは日本人くらいである。」と、政治家を志したきっかけと、世界を覆う危機について語られました。


健康・環境デザイン研究所所長 中村恵子様

健康・環境デザイン研究所所長の中村恵子様は、「『江戸幕府の北方防衛』が、昨年の第5回アパ日本再興大賞優秀賞を頂いた。私が江戸幕府の北方防衛について書こうとした動機について話したい。一つ目は、私はクリニックの経営の傍ら循環型社会の構築を目指す活動をしていて、北海道の自治体で講演を行っていたが、各地の郷土資料館や博物館に行くと、そこに掲示されている年表には、鎌倉から江戸までの時代の北海道の時代区分を『アイヌ』、『アイヌ時代』、『アイヌ文化時代』などと表記されていた。江戸時代の蝦夷地の年表に松前藩の記載がなかったことに疑問を持ったのは、蝦夷地を守るために警備していた史跡松前城や函館奉行所跡、東北六藩の元陣屋、顕彰碑などの史跡を知っていたからである。二つ目は、2019年の文部省教科書検定で、東京書籍の6年生の歴史教科書に、江戸時代初期の対外貿易を学ぶ日本地図について、当初は日本全体が赤で塗られていたものを、北海道、千島、樺太を白くするよう修正しなさいという検定意見が付いて、世の中にこの修正された教科書が出たことである。これは北方領土を日本の領土とする政府見解と異なっており、江戸時代の蝦夷地が日本ではないとの誤解を与えるという理由で抗議したが、そのまま検定は通り、昨年の検定でもそのままだった。このままでは蝦夷地を統治していた江戸幕府や松前藩、分治警備した東北六藩のことが忘れ去られて、蝦夷地に江戸時代がなかったことにされると考え、調査を始めた。江戸幕府松前藩の蝦夷地、樺太、千島統治が明確であるのに北海道民すらその事実を認識していない。しかし、警察や外務省の資料では松前藩が統治したと明記していた。三つ目は、江戸時代の蝦夷地が日本でない、アイヌのものということを日本人の常識にし、北海道を奪おうとする超限戦が仕掛けられているが、専門家こそが日本人の歴史認識を大きく誤らせていることに気が付いたからである。専門家によって、明治維新以後の歴史は、勝者である薩長史観で語られている。特に北海道の歴史は、明治以後の開拓からという、『開拓史観』で語られる。そして、松前藩が蝦夷地、樺太、千島を守るために統治し、第一次江戸幕府直轄、第二次江戸幕府直轄を経て、江戸幕府が東北六藩に分治警備開拓を命じて北方警備に当たった事実を誰も体系的に語らない。さらに、1862年と1867年に江戸幕府とロシアが行った千島樺太を巡る国境画定交渉を知る人は非常に少ない。このように、北海道の歴史は明治以後の開拓からで、それ以前はアイヌが住んでいたというイメージが普及している。第二次世界大戦以後はGHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムに沿う、日本が悪いという自虐史観、マルクス経済学に基づく階級闘争史観で、統治者、支配者、強者が悪、被支配者、弱者は善という枠組みで、北海道の歴史を分析した説明が力を持つようになった。蝦夷地においては統治者、支配者、強者の江戸幕府松前藩の和人は侵入者、侵略者であり、アイヌは弱者で搾取された善とされた。江戸幕府のアイヌに対する方針は支援育成であり、松前藩にもそれを求めており、分治警備した東北六藩もそれを踏襲した。しかし、和人の善行には触れられない。例えば、幕末に天然痘が流行ったときに、江戸幕府はアイヌのほぼ全員である1万3千人に種痘した。小さな町に残っている副読本には全く改訂されていない歴史年表がある。それによると、鎌倉時代に蝦夷地を安藤氏に管理させるために蝦夷地管領という役職が与えられ、安土桃山時代には、秀吉から松前慶広に蝦夷地支配を認める朱印状が与えられ、第一次江戸幕府直轄、第二次江戸幕府直轄を挟んで松前藩時代が続き、1855年以降は各国への警戒から再び江戸幕府直轄となった。これが正しい年表である。本書の意義は、江戸幕府の北方防衛を知らしめ、国の構成要素は領土、領海、領空、国民そして主権であるが、それらを守ろうとしたのは蝦夷地においては江戸幕府松前藩であることを証明することである。本書の次の展開は、蝦夷地は縄文時代から日本であることを国民共有の知識にすること、江戸幕府の北方防衛の事実を国民共有の知識にすること、北海道時代年表を正常な形に戻すこと、それから教科書、副読本の改竄を改めること、北海道を奪おうとする勢力を止めること、この5つだと考えている。この5項目の実現のために力を寄せていただきたい。」と、江戸幕府の北方防衛と歴史の改竄について語られました。


敬愛大学経済学部経営学科教授 藪内正樹様

敬愛大学経済学部経営学科教授の藪内正樹様は、「最先端の理論物理学では、この宇宙空間は10次元以上の空間であるとする多元宇宙論が仮説として研究されている。これが解明されていけば、これまで『天』とか『神』の摂理と呼ばれていたものが物理学で解明されるかもしれない。宗教による宇宙観として、ウパニシャッド哲学が紀元前800年頃にあったが、これは人間の本質アートマン(我)と宇宙の根源ブラフマン(梵)が、究極的には一体のものであるという世界観である。これが元になって仏教やジャイナ教ができた。神道には、私たち一人一人はもともと一つの魂の大元の存在から分け出た『分け御霊』という考え方がある。最先端の理論物理学が古代インド哲学や日本の神道と重なり合ってきている。人間は文明を発展させてきたが、先祖代々から子孫に引き継ぎ繋がっていくことによって文明が進歩してきた。世界中で日本人だけが、GHQの占領政策によって先祖先人からの繋がりが切断された。20万人の公職追放の後に要職に就いた人たちが、戦後左翼と日本式リベラルを形成して、次々と後継者を育てて今日に至っている。だから、占領期間中だけの問題ではなく、そこで育成協力した人達が後継者を育てて維持してきたところに大きな問題がある。焼け野原からの復興と高度成長の礎を創ったのは戦前生まれの人達だったが、彼らは多くの同胞が亡くなって自分が生かされたという実感を持って人生を送られていた。そういう人達の中から、利己主義だとか、保身に走るとか、そういった発想はありえないと思う。それに対して、GHQの占領政策の協力者によって切断された戦後生まれの人達、特に高学歴エリートほど、自分が偉くなった、あるいは高度経済成長は自分が頑張った手柄だと思い込んで、先祖先人への敬意も感謝もない。そういう人間が、今日本にあまりにも多くなり過ぎている。こんな有様になっては、日本が絶滅寸前だと思う。縄文人は、人類の中で唯一1万3500年間も戦争のない定住生活を送っていた。ゲノム解析の結果によると、北海道アイヌに70%、沖縄に30%、九州、四国、本州には10%くらい縄文人の遺伝子が残っている。したがって、北海道から沖縄まで縄文人の子孫であることは間違いない。さらに、弥生人は稲のゲノム解析で長江流域から渡ったことが分かっているが、この人達を縄文人たちは受容し共生して、弥生人になっていった。そして古墳時代には後漢の滅亡の頃に渡来人が来て、この人たちを倭人は受容し共生して、統一国家をつくった。神道、仏教、儒教も混交、共生して、日本の宗教観、死生観、文明、哲学が続いてきた。このような歴史を歩んできた結果、日本人は世界でも稀な利他主義の民族となった。大陸では、負ければ奴隷か皆殺しという歴史を繰り返してきた。そこから一神教が生まれ、それに反発する形で共産主義が生まれたが、いずれにしても特権階級が大衆を支配した。欧米では90年代からキャンセルカルチャーが非常に過激化してきた。これは新たなマルクス主義運動である。テーマは環境やジェンダーイデオロギー、LGBTQ+、反人種差別を名目にしているが、目的は家族や共同体を破壊し、個人個人をバラバラにして、社会の中の憎しみや敵意を煽り、故意に騒乱状態をつくって、その騒乱状態を統治するには独裁的な権力しかないというシナリオで権力を確立することである。キャンセルカルチャーは日本の糾弾闘争にヒントを得たのではないかと思われる。占領政策の協力者による自虐史観の刷り込みがまず前提にあり、左翼過激派が世論の支持を失ったときに、竹中労、太田竜らが窮民革命論を唱えた。日本の労働者は豊かになって革命に興味を失ったから、日雇い労働者やアイヌ、沖縄人、在日朝鮮人しか革命の主体になりえないという理屈である。差別をなくすことが目的ではなく、日本に対する恨み、憎しみを扇動して、彼らを利用して暴力革命を起こさせようとした。こうして反日、反天皇の種が撒かれた後、80年代から部落解放同盟の糾弾闘争が非常に過激化した。これを抑えるために共産党系の同和団体や自民党系の同和団体ができたが、行政やマスメディアなどに採用枠などを設けて妥協したことによって、利権構造が生まれ、似非同和がいまだにあちこちで活躍している。差別反対という誰も反対できないテーマを掲げて、誰かを糾弾し、既存の秩序や文化、共同体を破壊していくということが、今欧米で起こっている。一神教にしろ、共産主義にしろ、特権階級が大衆を家畜のように支配する文明であることに違いはない。すると、AIなどのICT技術を手にした一部の人たちがやることは、大衆支配である。WHOはパンデミックに関する法的拘束力のある協定案をまとめることで合意しており、来年5月の総会で合意されれば、初めて強制力のある世界政府として、WHO組織が各国の主権を超えて指示命令を出すことが実現する。宮沢孝幸という京都大学で動物のウイルスを研究している方は、4年前から活発に発信をしているが、今月の動画で、新型コロナウイルスのアルファからオミクロンまでのゲノム配列をずっと調べていったら、変異がランダムに起きず、遺伝子の端から順番に変異が起きており、人為的に起こしているとしか考えられないという結論に達し、京都大学の学長とも相談して、職を賭してこれを情報発信すると決意したと語っていた。このように、一部の人間による大衆支配があちこちで着々と行われていることを知らなければならない。保守の方が集まって内輪で『そうだそうだ』と言っても日本の絶滅は避けられない。50〜60年前の近所のおじさん、おばさんが近所の子供を見ると『嘘ついちゃいけない』『弱い者いじめしちゃいけない』『卑怯な真似をしちゃいけない』『人の役に立つ人間になれ』『お天道様が見ている』というようなことを普通に言える社会を取り戻したいと思う。」と、日本の置かれた危機について語られました。


岡崎研究所特別研究員で「月刊日本」客員編集委員 稲村公望様

岡崎研究所特別研究員で「月刊日本」客員編集委員の稲村公望様は、「私は、茂木弘道さん、加瀬英明先生、藤井厳喜さんと共に、『日米戦争を起こしたのは誰か』という本を書いてベストセラーになった。この本は、ハーバート・フーバー第31代米国大統領の回想録について書いたものである。スタンフォード大学にはフーバー研究所というものがあるが、フーバーが創った研究所で、共産主義の研究を今でもやっていて、中国に関するレポートを毎週出している。フーバー回想録は945ページある分厚いものであるが、その内容を47年間アメリカは隠していた。フーバーは亡くなる前に出版しようとしたが、家族が反対したため、47年経ってショージ・ナッシュという歴史家が編集して出版した。その本を私が最初に日本で紹介した。日本では草思社から、翻訳本が上下2巻で『裏切られた自由』というタイトルで出版されている。この内容を私が3人と分かりやすく書いたことでベストセラーなった。フーバーは、『1941年の経済制裁は日本に対する宣戦布告である。アメリカを戦争に誘導していたのは外ならぬルーズベルト大統領その人である。それはこれまで明らかにされた冷静な歴史の光に照らすと、1938年から41年の期間を客観的に観察すれば自ずと明らかである。』と書いた。先ほど千島列島の話が出たが、あの時の上陸作戦の船はアメリカの船だった。『日本との戦争の全ては戦争に入りたいという狂人の欲望であったと私が言うと、マッカーサーは同意した。』『私はさらに次のように言った。「1941年昭和16年の経済制裁は明らかに挑発行為だった。たとえ自殺行為だとわかっていても、あらゆる戦争の悲惨さを日本に強制しようとしたため、誇りのある国ならとても忍耐できるものではなかったからだ。」と私が言うと、マッカーサーは同意した。』とも書いている。それから近衛公が和平提案を出したが、グルー駐日米国大使はクレイギー駐日英国大使と祈るような気持ちで実現を期待したにもかかわらず、ルーズベルトは拒否した。細かい話をすると、近衛の提案した条件は満州の返還を除くすべてのアメリカの目的を達成するものであった。しかも、満州についても交渉して議論の余地を残した。こういうことであったから、満州をソ連に与えようとしたのではないかという勘繰りも書いている。さらに重大な事実は、『天皇陛下は1941年11月に、駐日米国大使を通じて3カ月間のスタンドスティル(冷却期間)を置くことを提案されたが、ルーズベルトはこの提案を拒否した。』『アメリカの軍事担当も冷却期間の提案を受け入れるべきだとルーズベルトに言った。』とも書いている。90日の冷却期間があって戦端開始の遅れがあれば、太平洋で戦争する必要が無くなったかもしれない。当時アメリカには、戦争への介入に反対する孤立主義的な世論が強く、ルーズベルトは欧州戦線に参戦するために、日本を戦争に引きずり込んだのである。日米開戦に向かわせようとする工作員が2人いた。リヒャルト・ゾルゲや風間章という日本人のスパイもいた。ゾルゲはそれほど重要なスパイではなかったのではないか。もっと日本人でつながっていた者もいた。スパイに関しては、宣伝になるが、私は8月13日に『ラストボロフ事件』という本を出した。この本には戦後の大スパイ事件を書いている。今日は『戦後の誕生』という本を持ってきた。これは戦後出た本で最も素晴らしい本である。なぜなら、テヘラン、ヤルタ、ポツダムの全ての会議の議事録が日本語で書かれているからである。世界で、テヘラン、ヤルタ、ポツダムの議事録が全部公表されていることはない。ロシアも一部秘密にしておりアメリカもすべては公表していないが、4人の外務省OBが集まってこの本を出した。これには、原爆をなぜ落としたのかという資料まで出ている。ご案内の通り、ルーズベルトとスターリンが結託して進め、原爆を落とす前にはトルーマンが大統領になったが、そのまま原爆を落とし、アメリカが船まで用意していたのでソ連が上陸作戦をやった。この本はもっとすごいので全部お読みいただけると良い。」「フーバーは、『日本は繰り返し和平を求める意向を示している。命乞いをしているということである。満州だって全て返すと言っている。それにもかかわらず行った原爆投下は、アメリカの歴史において未曾有の残虐行為であった。これはアメリカ人の良心を永遠に苛むものである。』とも書いている。だからと言って日本が報復するというわけではない。フーバー大統領がいたということは素晴らしいことで、日本人にとって顕彰されてもよい人物であると言える。」と、フーバー回想録に書かれた歴史の真実について解説されました。


元環境大臣で弁護士 原田義昭様

元環境大臣で弁護士の原田義昭様は、「稲村君は官僚として後輩になるが、郵政民営化では体を張って反対の論陣を張り、職を賭して頑張り抜いた。中村恵子さんが北海道のことを話されたが、私も小学校の4年間、北海道に住んだので道産子の誇りだけは持っている。中村さんが立派な賞を受賞されたときには私もとても喜び、爾来親しくさせて頂いている。北海道はアイヌの地域と言われているが、実は江戸時代から松前藩を中心にしっかり管理、保護してきた。一方、アイヌ民族に対して先住民としてどのように接していくべきか、難しい問題ではある。ヨーロッパ諸国がどこの大陸に行っても原住民を殺して植民地をつくっていったのとは訳が違う。江戸時代に松前藩がアイヌと共存しながら今日の北海道があると思う。私も道産子の一人として中村さんの歴史観をしっかりサポートしていきたい。8月24日に福島県の処理水が大洋に放流されるようになった。4年前、私が環境大臣だった時に、福島を視察した。高台から原発の施設を見てびっくりしたので、東京電力の役員に『このタンクは何だ』と聞いた。当時920個のタンクがあったが、原発施設を通った雨水や地下水をタンクに貯めていると説明していた。当時原子力規制委員会の委員長が、私にこっそり『全然心配は要りません。』と言っていた。そこで私が記者会見で、『処理水を外に出しても問題ないんじゃないか』と言ったら、これが大騒動になった。今回、韓国の尹大統領が韓国国民をしっかり説得してくれたことと、IAEAが大丈夫だと太鼓判を押してくれたことで、政府は処理水の放流を決定したと思う。個人的に勝兵塾は私にとって最も知的なトレーニングの場であると思い、元谷塾長には大変感謝している。」とコメントをされました。

最後に塾長は、「今日も講師の方々から素晴らしい話をして頂いた。現在『真の近現代史観』懸賞論文の募集をしている。8月末が締め切りなので、こぞって応募頂ければ幸いである。」と述べて会を締め括りました。