第137回 勝兵塾月例会レポート
公開日:2022/11/26
塾長・最高顧問 元谷 外志雄
勝兵塾第137回月例会が、11月17日にアパグループ東京本社で開催されました。
冒頭のアパグループの元谷外志雄会長による塾長挨拶では、「今朝の新聞に、外交評論家の加瀬英明さんご逝去の記事が掲載されていた。加瀬さんは毎年懸賞論文の審査委員長して頂いていた。それだけに残念な思いである。年齢順に亡くなるのは仕方のないことで、私も避けられないことである。だからこそ、命ある限り、生きている間に精一杯生きることが大切である。勝兵塾は、『本当はどうなのか』を知る機会として開催している。メディアの報道は、必ずしも本当のことを伝えていない。多くの講師の方々から意見を聞く方が良いと考え、講演時間を約10分間に制限させて頂いている。その時間の中でお話頂き、それに対して質問等をしたり、自分の考えとの違いがあればその旨を語って頂ければと思う。」と述べました。続いて、故加瀬英明先生のご冥福をお祈りして、出席者全員で黙祷を捧げました。
「新しい歴史教科書をつくる会」副会長 藤岡信勝様
「新しい歴史教科書をつくる会」副会長の藤岡信勝様は、「札幌市と江別市の中間あたりに、北海道100年記念塔がある。地元の放送局の番組を見た道民は、塔は残してほしいけど危険だから仕方がないという意見に誘導される。私が調べたところ、17の学校の校歌で塔のことが歌詞にあり、そのうち8つの学校で校章に塔がデザインされていた。これらの学校では、この校歌や校章を通じて開拓者魂を教え、子供の人格形成を図ってきた。塔の破壊はそういう教育の破壊でもある。9月14日の産経新聞に書いたが、住民が100年記念塔保存提訴という訴訟を行った。しかし道は老朽化を口実に、11月7日から解体工事を始めている。アイヌの人が、『私達は開拓によって土地を奪われた』と話していたが、明治時代に政府は、アイヌの人たちに土地を分け与えている。江戸時代にも江戸幕府がどれだけ北海道を大切にしたかを調べた人がいる。それが中村恵子さんで、今年の2月に出版された『江戸幕府の北方防衛』を読んで、この本をぜひ普及させたいと思い推薦したら、アパ日本再興大賞優秀賞に選ばれた。チラシの左上の絵は、幕府が2名の医師を国後に派遣してアイヌ人のほぼ全員に種痘を施した様子が描かれたものである。このように、この100年記念塔の問題は、過去の開拓の歴史を否定し、壊すものである。アイヌの文化を保存することは大事だが、やり過ぎであり、誤った歴史が今教えられている。二つの県を除いて全ての都府県から北海道に入植し開拓して北海道の開発に貢献している。だからこれは全国民の問題だという立場で取り組んでいきたい。」と、北海道の歴史の破壊について警鐘を鳴らされました。
山元学校学長 山元雅信様
山元学校学長の山元雅信様は、「中国はウイグルと同じようなことを日本でやろうとしているように思う。中国は、日本を分断して、土地や水源を買い占めているが、どの様に思われるか?」と質問され、藤岡様は、「津軽海峡が国境線になると既に言われている。中国は伝統的に太平洋に出たかったので、釧路や苫小牧を押さえた。苫小牧の大学は中国資本に変わり、中国人が日本の教師になるためのコースができた。教員の採用について、国籍を問わないという自治体が既に出てきている。これらを組み合わせることで、中国人が日本の学校の教師にどんどんなっていく。中国はありとあらゆる形で内部から日本に浸透している。そして、記念塔を解体して開拓の歴史を抹消しようとしている鈴木知事は、夕張市長時代に市の施設を中国資本に2億円で売り、それが15億円で転売された。にもかかわらず、良い人だというマスコミが作った幻想が広がっている。その鈴木知事が中国を引っ張り込むために大いに宣伝している。日本を破壊し、分断し、そしてどこかの国に差し上げるプロセスが着々と進んでいると私は捉えている。」と答えられました。
著作家 宇山卓栄様
著作家の宇山卓栄様は、「今年1月のNHKの世論調査で、旧皇族の男系男子を養子として迎えることについて、賛成が41%。反対が37%と、賛成が4%上回った。2、3年前までは女系天皇の容認に7、8割の人たちが賛成していたので、この世論調査の結果は大変なものだと思う。このことは、日頃から懇切丁寧に訴え続けていけば、必ず世論が変わり、政治の風向きも変わってくることを示している。昨年の12月22日に、政府の有識者会議が答申書を出した。この中で、現在は皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系男子を皇族とすることが盛り込まれた。男系の皇統維持のための第一歩になったと喜んでいる。ただこの骨子案の付帯文に、『養子となって皇族になった人は皇位継承資格を持たないということも考えられる』というこの一文が入っている。私はこの一文そのものはバランスが取れていると思うが、問題はその子孫はどうなるのかである。このことについて、政府の有識者会議の答申書には全く書かれていない。旧宮家の男系男子の方々は、我々と同じ一般国民として生活をしておられる。その一般国民としての生活を捨てて皇籍に復帰をするのは大変なことである。それでも皇籍に復帰をするのは、男系の皇統を繋ぐという重大な使命をお感じになられるからこそである。だから、『自分たちのことはいいとしても、子供にはきっちりと皇位継承資格を持たせてほしい。でなければ男系の皇統を繋いでいくことにならないではないか。』と、旧宮家の方々がお感じになられるのではないかと思う。政府の有識者会議の答申がこういう不完全なものであるならば、法整備の段階で皇籍に復帰した旧宮家の男系男子の子孫に皇位継承資格を認めることをしっかりと書いていくべきである。そして、そのような法整備を急がなければならない。しかし、政府は一向に動こうとしない。国体を維持する、男系の皇統を維持することは国家の背骨であり、これ以上に重要な課題はない。まず政府の責任で法整備を行い、その上で、国民の代表者たる総理大臣が三顧の礼を尽くし、この旧宮家の男系男子の方々に、膝詰め談判で皇籍への復帰を訴えていくべきである。しかし、岸田総理にそこまでの覚悟があるとは思えない。これには大変な労力と政治的コストがかかる。それが故にみんな嫌がって逃げている状況だと思う。安倍元総理の長期政権の中でも実現することができなかったくらい大変なことだからこそ、私達保守が政治家の尻を常日頃から叩き続けていかなければならない。この皇統の問題を、票にならないからといって放置するわけにはいけないと思う。我々保守が訴えていけば、世論は必ず変わっていく。日本人の賢明さということについても私は信じている。」と、男系の皇統維持のための取り組みについて語られました。
イスラム評論家・国際ジャーナリスト フマユーン・ムガール様
イスラム評論家・国際ジャーナリストのフマユーン・ムガール様は「日本の歴史は2600年もあるので、元皇族の方々はたくさんいると思うが、その方々を皇族に戻した場合、天皇の候補が物凄く増えるように思えるが、その点はどうか?」と質問され、宇山様は、「今は11宮家の子孫に限定しているが、江戸時代にまで遡って子孫を数えると男系男子は200人くらいいると言われている。だから男系が途絶えるという状況では全くない。仮に11の旧宮家の方々が皇籍に戻ることをお受けにならなくても、皇統の証明ができれば江戸時代まで遡って男系の方に来て頂くことは可能であると思う。現在は旧宮家全体で5名の方が皇籍復帰の候補としてノミネートされていると言われている。」と答えられました。
台湾独立建国聯盟日本本部委員長代行 王明理様
台湾独立建国聯盟日本本部委員長代行王明理様は、「私の両親は、戦後、台湾から日本に亡命してきた台湾人である。終戦後、中国軍が国際法に反して台湾を自分のものとして統治し、日本人と台湾人とが50年間で築き上げた財産や社会インフラの全てを独占し、台湾人を虐殺した。私の伯父は東京帝国大学を出た検事だったが、1947年の2・28事件で殺された。そのとき1ヶ月間で殺された台湾のエリートは3万人である。幸い李登輝さんは生き残り、民主主義国家を創ってくださった。私の父も命を狙われ、日本政府に亡命が認められて、日本で台湾独立運動を始めた。62年前に父が始めた台湾青年社が現在の台湾独立連盟で、私も去年まで10年間委員長をしていた。加瀬先生はずっと私達の活動を応援してくださった。今年は1972年の日中国交樹立から50年、逆に言えば日台断交から50年である。50年経ってみれば、日本のODAのおかげで巨大化した軍事大国中国が目の前にある。正式な外交関係は断たれたが、台湾と関係は現在大変良好である。台湾は、50年前と今とでは全く政治体制が違う。50年前は、蒋介石が率いる中国国民党の一党独裁体制の下にあった。そのときの台湾人は言論の自由も行動の自由もなかった。そんな状態のまま中華民国が国連から追放され、各国から国交断絶された。しかし李登輝先生が民主化に舵を切り、私の父たちのような海外に出た活動家が外からアメリカの国会議員を動かして蒋経国に働きかけて、台湾は自由で民主的な国になった。台湾人ほど日本人を理解している民族はない。安倍元総理がおっしゃったように、台湾有事は日本有事である。これはもう避けられない目の前にある危機である。中国が台湾、尖閣、沖縄を取りたいと考え、中国からそれらを守るためにアメリカが出てきてくれている。南シナ海、東シナ海、太平洋の三つのポイントを中国に取られたら、日本にとっても大変なことになる。逆に言えば、今は台湾が日本を守っているとも言える。台湾は孤立無援の中で頑張ってきた。そしてやっと台湾人のことを理解してくれて、アメリカは台湾関係法で台湾を守ってくれている。日本の場合、有事のときに自衛隊は動けないだろう。今日本がやるべき一番現実的なことは、日本政府からアメリカに台湾と日本を見捨てないで欲しいとお願いすることである。習近平は、台湾統一は中華民族の悲願であると言っているが、これは嘘である。中国と台湾は全く別の歴史を歩んできた。台湾と中国が紐付けられたのはたった1度、清朝の時だけである。しかも清朝の雍正帝は、『台湾は古より中国に属せず。』と言っている。台湾人は一緒になりたくないと思っているのに、中国はいつも脅しをかけてくる。台湾人はそれでも中国を怒らせ過ぎないようにしながらも妥協はしないという、難しい対応をしてきた。台湾を応援していただきたい。」と、台湾の歴史を日台関係について語られました。
朝鮮近現代史研究所所長 松木國俊様
朝鮮近現代史研究所所長の松木國俊様は、「日本は戦後GHQによって誇りを全部奪われたので、台湾に日本の本当の良さが残っているのではないかと思う。台湾人の日本への思いについて教えて頂きたい。」と質問され、王様は、「日本の教育を受けた世代は、日本のことを先生のように思っていて、自分の孫に日本の教育を受けさせたいと思っている。ただ、台湾で日本の教育を受けた世代はもう80代になっている。その人たちがいなくなると、日台関係はこれまでと同じようにはいかなくなるだろう。ただ日本は良い国だったという教えはその下の世代にも引き継がれている。」と答えられました。
作家・軍事評論家 マックス・フォン・シュラー小林様
作家・軍事評論家マックス・フォン・シュラー小林様は、「最近アメリカで中間選挙があり、友人からアメリカが分裂するのではないかと聞かれるが、共和党は思ったほど勝っておらず、下院で過半数は取ったもののギリギリだった。選挙より大きな問題について話したい。この大きな問題がバイデン政権の2年間で本当に酷い状況になった。問題の一つ目は、インフレと燃料の問題、二つ目は犯罪、三つ目は教育である。まずインフレについて、アメリカは日本と違い、ほとんどマイカーで仕事や買い物に行っているため、燃料がないととても大変なことになる。アメリカには石油の戦略的な備蓄があり、ルイジアナ州の地下のドームに1ヶ月分の石油の備蓄がある。バイデン政権は選挙の前に民主党が勝つために備蓄の3分の1を使った。それでもインフレ率は高くなっている。スーパーの棚が品切れで空になっていることが珍しくない。アメリカではディーゼルで荷物を運ぶため、ディーゼル燃料がなくなると、物資を運べず国が死んでしまう。大都市のほとんどは民主党が握っており、黒人をはじめマイノリティの犯罪に対して緩い。カルフォルニアに万引法があるが、950ドル以下なら盗んでも犯罪にならない。この前、シカゴで暴行事件があった。黒人と車が防犯カメラにはっきり写っていたが、警察本部からの指示で犯人は捕まらなかった。教育もおかしくなっている。例えば数学は、私の時代には4年間で学んだが、今はそれを2年に短縮している。数学は差別主義だと言われ、数学を教える代わりにトランスジェンダーについて教えている。さらにCRT(Critical Race Theory)も教えられている。学校では白人が生まれながらにして悪だと教えられ、親がこれに抗議すると、バイデン政権の法律ではドメスティック・テロリストとされて、逮捕される場合もある。こうしてアメリカは分裂の方に進んでいる。テキサス州では、来年3月に独立を問う住民投票がある。テキサス州が独立すると、11から20の州が一緒に独立するだろう。そうなると合衆国は終わりである。来年3月には燃料が無くなる。その危機が迫っているが、バイデン政権は全く動いていない。バイデン政権は、すでにディーゼル燃料が不足しているのに選挙の前にやったことは、トランスジェンダーで有名なYoutuberをホワイトハウスに呼び、トランスジェンダーの権利を守ると言ったことくらいである。日本はアメリカに頼っているところがあるが、これからアメリカ国内の混乱が酷くなる。日本人は目を覚ましてほしい。アメリカはもう与えることができないので、自分で自分の道も作るしかない。」と、アメリカが直面する問題について語られました。
公益財団法人アパ日本再興財団理事・慶應義塾大学名誉教授の塩澤修平様は、「本来であれば潜在的にアメリカには生産力があるはずなのに、現在食料などの物がない原因は何か?」と質問され、小林様は、「燃料不足に加えて旱魃があるからである。ミシシッピ川は浅すぎて3ヶ所ぐらいで船が動かなくなっている。トラックや鉄道は燃料が高過ぎて動かない。今は新しいシェールオイルを掘ることが禁止され、グリーンエネルギーが宗教の様になっている。」と答えられました。大阪市立大学名誉教授・経済学博士の山下英次様は、「カリフォルニアで毎年大規模な火災が発生しているが、どうしてなのか?」と質問され、小林様は、「それは旱魃のせいである。アメリカ大陸では旱魃が酷くなっている。段々旱魃の期間が長くなり、全土に広がって、ミシシッピ川の水位もそれで低くなっている。」と答えられました。日本安全保障フォーラム会長の矢野義昭様は、「最近沖縄の嘉手納基地の空軍が撤退をするという話がある。CRTについて米軍内で教育をするということも聞いているが、米軍の内情についてもう少し詳しくお話し頂きたい。」と質問され、小林様は、「2年ぐらい前から、沖縄からグアムに段階的に撤退するという計画がある。軍隊では、今はマイノリティが昇進し、白人は辞めていっている。私も元米海兵であるが、昔は割と平等だった。オバマ政権になったときに197人の白人士官をクビにした。私の想像ではあるが、バイデン政権は白人がたくさんいる軍隊を信用していない。クーデターや革命を心配している。アメリカ軍はそれで腐っている。」と答えられました。諸橋茂一勝兵塾事務局長は、「特にバイデン政権になってからのアメリカは酷いという話であったが、にもかかわらず先日の選挙で、どうして民主党が思っていた以上の議席を取ったのか?」と質問され、小林様は、「選挙の投票については、いろいろと謎はある。共和党の集会には多くの人々が集まっているが、民主党の集会にはほとんど人がいない。それでも民主党が勝った。学校や就職ではトランスジェンダーのことばかり言っているが、これを支持しているアメリカ人は1万人もいないだろう。一番の問題は食料がないことである。民主党はグリーンエネルギーやトランスジェンダーの事ばかり考えている。このような問題ばかり言っていても、どうしようもない。」と答えられました。
陽明学研究家・作家 林田明大様
陽明学研究家・作家の林田明大様は、「今日私の人生を変えた陽明学と日本陽明学についてお話ししたい。王陽明は良知以外のものに依存するなと説いている。今年は王陽明生誕550年に当たる。そのためか、私のデビュー作『真説「陽明学」入門』の中国語版が発売される。王陽明が登場する前までの儒教は、あくまでもエリートだけのための学問だった。王陽明の実践的な教えが現れて、儒教が初めて大衆化した。そこで儒教で身を律する商人が現れ、これを儒商と言う。これが中国思想史上の革命である。日本でも同様に、儒教は貴族が独占していたが、次第に大名クラスの人たちが学んでいった。日本陽明学では、中江藤樹が現れて、江戸前期に儒教が大衆化した。『文事ある者は必ず武備あり、武備ある者は必ず文事あり』は、史記の孔子世家にある孔子の言葉で、文と武は両者を兼ね備えなければならないという意味である。日本では文武両道と言うようになったが、江戸時代は文武合一、文武不岐と言った。この孔子の理想を中国で実践したのが王陽明である。朱子学に崇文軽武という、文人を崇め、武人を軽んじるという思想である。王陽明は文人でありながら武人としても超一流だった。崇文軽武が常識の国では、文武合一の王陽明は異端だった。ただ、江戸期の武士にとっては理想的な人物だった。我が国では陽明学ブームが過去4回起きている。第1次は江戸前期で、中江藤樹とその門人たちの活躍によるものである。中江藤樹は熊沢蕃山と淵岡山という偉大な弟子を育てた。忠臣蔵を調べると、赤穂浪士や赤穂事件の関係者たちの中にも陽明学者が多い。第2次は江戸中期に起きた。代表例の一つは、仙台藩での実話を描いた映画『殿、利息でござる』である。原作は磯田道史の『無私の日本人』である。その一篇に『穀田屋重三郎』があり、日本陽明学を学んだ商人の話である。良知について陽明学では知行合一と言うが、実は良知を致すというのが一番の神髄である。私達の中には葛藤が起きる。葛藤が起こるということは、2人の私がいるということである。二人の私のうちその正しい判断力を持っている方を良知と名付けた。ゲーテは、『全ての人間に生まれつき与えられている、神によって創造された道徳的なもの』と言っている。シュタイナー教育のルドルフ・シュタイナーは、『人間の内なる神、内なるにある本性、高次の人間』と表現している。さらに、『自分の現在の判断力よりももっと正しく自分を導いてくれる何かが私の内部に存在している。』とシュタイナーは言った。王陽明の言行録の中には良知には物事の兆しをキャッチする働きがあると書かれている。大きい善をする場合には、私は善行をしているという意識があるが、小さい善には意識はない。王陽明は、これこそが真の善であり、善であることを意識してやっている善行は偽善であるとはっきり言っている。だから、生活の中で小善を積むことを心掛けていけば、私欲が減り、その分だけ良知の働きが活発化していく。」と、陽明学について解説されました。
最後に塾長は、「本日も様々な話をして頂き、非常に良かった。できるだけ多くの方の話を聞くために時間を10分程度に制限させて頂いた。今後も申し出て頂ければ、登壇の機会を与えたいと思っている。」と述べて会を締め括りました。