第128回 勝兵塾月例会レポート

公開日:2022/2/24


塾長・最高顧問 元谷 外志雄

勝兵塾第128回月例会が、2月17日にアパグループ東京本社で開催されました。
 冒頭のアパグループの元谷外志雄代表による塾長挨拶では、「今朝の日経新聞の『安保の急所』というコラムで、中距離ミサイルの保有が、アメリカは0発で、中国は1、250発とあった。これは、INF条約に基づき米ソで中距離核ミサイルを廃棄してきたのに対して、中国はその中に入っていないためである。日本は中国から中距離弾道弾ミサイルが十分に届く範囲にある。これらのミサイルにはすべて核弾頭を搭載できるので、日本にとってはかなりの脅威である。迎撃態勢と言っても、同時多発的に攻撃を受ければ、必ず被弾して大変な惨事を招くことになる。迎撃ミサイルがあれば安全なのではなく、日本も抑止力としての攻撃力を持ち、やられたらやり返す能力があるからやられない、ということを考えていかなければならない。中国は経済を肥大化させることで軍事力を増強してきている。人口でも日本の10倍を超え、経済力で日本を凌ぎ、日本に対して必ずしも友好的でない国が隣にあることに対して、日本はどう対処するのか考えておく必要がある。憲法第9条があるから大丈夫だなどと言う人もいるが、バランスオブパワー、すなわち力の均衡が平和をもたらすのであり、そのための軍事力を持つことを考えておかなければならない。」と、中国の脅威に対して警鐘を鳴らしました。


参議院議員 有村治子様

参議院議員の有村治子様は、「私は初当選から21年目で、しっかりとした国家観と地に足の着いた生活観を持って、命の重みと地域や家族の絆と国家の尊厳を守ることを政治活動の軸足としてきた。昨年、国会質問で孔子学院や慰安婦問題について取り上げた。国政においてはじめて孔子学院の危険性を指摘して文部科学大臣の答弁を頂き、慰安婦問題についてはなぜ慰安所を設けなければならなかったのか、戦時における性のマネジメントという視点から日本軍だけが責めを負うことがいかに歴史の評価に耐えられないのか、という質問をさせて頂いた。これは女性議員だからこそ真摯に取り組める問題だと思う。テレビ中継のない国会の常任委員会で真面目な議論をして、それをYouTubeで公開すると、例えば孔子学院の問題は66万回再生され、慰安婦の教科書記述問題も40万回を超える再生となった。主権者たる国民の皆様は、政治にパフォーマンスを求めているのではなく、本当に良い答弁が出てくるのであれば、地味な国会質問でも関心を持って見ている層が確実にいることがわかった。国会議員である私達ができることは、議場に入って政府の答弁を引き出すことであり、歴史の評価に耐えうるような答弁をしっかり引き出して議事録に残し、少しずつでも政策を動かしていくことである。」「天皇皇后両陛下が他の公務を入れられず皇居で静かにお過ごしになる日が年間4日ある。8月6日、8月9日の広島、長崎への原爆投下の日、8月15日の終戦の日、そして沖縄の組織的な戦闘が終了し、現在の沖縄の慰霊の日である6月23日である。平成6年に当時の天皇皇后両陛下がアメリカを訪問された際に、日本時間で6月23日の正午の黙祷の時間がサンフランシスコ市長による晩餐会の時間と重なることとなったため、晩餐会の時間を移動させて、滞在先のホテルで黙祷をされてから晩餐会に臨まれた。戦中は大田実中将が『沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』と東京に打電して、沖縄県民がどれだけ戦闘に協力し、どれだけ被害を受けたかを記録に残している。戦時中だけでなく、戦後もなお27年間の長きにわたり他国の統治を受けなければならなかった沖縄に対して、どれだけの国民が思いを馳せているかというのが私の問題意識の始まりだった。今年の5月15日は、昭和47年に沖縄が祖国に復帰して、丁度50年になる。吉田茂首相(当時)がサンフランシスコ講和条約に署名をして、日本が主権を回復して国際社会に復帰した。その主権回復の日を保守政治家として私はとても大事な日だと思っている。自由民主党も民主党政権の後、政権奪回を目指した安倍総裁の下で選挙公約には主権回復の日を政府の主催として催行すると掲げて第二次安倍内閣が発足し、天皇皇后両陛下ご臨席の下で、主権回復の日の催事を行った。しかし、その時沖縄県は複雑な気持ちを持っていた。サンフランシスコ講和条約が発効した主権回復の日で沖縄以外の46都道府県は主権を回復することができたが、この日によって沖縄県と小笠原諸島、奄美大島は日本から切り離されてアメリカの統治下に置かれた。そのため、沖縄県はこの催事に知事ではなく副知事を出席させて複雑な気持ちを明らかにした。こうした沖縄県民の複雑な気持ちを、私達は理解しておかなければならない。だからこそ5月15日を大切にしていきたい。この50年は、県政と国政がぶつかることもあり、分断の歴史でもあったが、沖縄戦では他の46都道府県からも多くの死者を出しており、46都道府県の全てが沖縄の返還を望んだという絆を皆で感じて沖縄の未来をしっかり応援していく年にしていきたいと思い、一昨年から活動してきた。そしてそれが総理を動かし、自民党の沖縄振興調査会の小渕会長を動かし、沖縄の日本復帰50年の記念事業に向けた委員会が発足した。これからも日本全体の絆を深める行動と発信をしていきたい。」と、沖縄復帰50周年の意義と取り組みについて語られました。


産経新聞論説委員・前ロンドン支局長 岡部伸様

産経新聞論説委員・前ロンドン支局長の岡部伸様は、「2022年2月22日に『至誠の日本インテリジェンス』という本を上梓する。十数年前に、ストックホルムの陸軍武官の小野寺信の事を調べた。私は当時ロシアで北方領土問題について取材していたが、彼は非常に立派な方で、北方領土問題の元になったヤルタ密約をスクープしたが、残念ながら日本はそのスクープを活かすことができなかった。この会場におられる樋口隆一さんは樋口季一郎中将のお孫さんであるが、何度か話をするうちに、小野寺信、藤原岩市らと共通点があると思った。それは誠実な真心、日本精神という、至誠の心を持ったインテリジェンスである。この3名について、資料に基づき、現場を訪ね、人に会って実際に得た情報をここで紹介したい。日本軍のインテリジェンスの手本は、日露戦争を勝利に導いた明石元二郎の工作だったと思う。圧政に苦しむ国民、そしてロシア領だったフィンランドやグルジアなどの民族の反体制運動を支援して帝政ロシアの専制から解放し、日露戦争を背後から勝利に導いた。小野寺はポーランドやバルト三国などソ連の侵攻で国を失った小国の民族復興を支援することで彼らから情報を入手していたが、それらの情報の中で最高のものがヤルタ密約だった。樋口季一郎は占守島を防衛したことで北海道を守り、日本の分断を防ぎ、有名な杉原千畝の2年前にオトポールでビザを発給してユダヤ人を救った、もう一人の『東洋のシンドラー』である。藤原岩市はF機関を率いてアジアを白人植民地支配から解放した。小野寺は機密費を使ってポーランドやバルト三国、ハンガリーなどの情報士官を家族ぐるみで支援した。米戦略情報局(OSS)によれば、小野寺は数千万クローネ(現在の数百億円)の資金を持ち、全欧を把握しており、枢軸国諜報網の機関長と警戒されていた。当人は、『情報活動で最も重要な要素の一つは、誠実な人間関係で結ばれた仲間と助力者』(回想録)と語り、『人種、国籍、年齢、思想、信条』を超えて多くの国の情報士官と『情』(なさけ)のつながりを築いていた。最も関係が深かったのがポーランドであり、1941年4月、ドイツの保安警察(SIPO)報告書によれば、小野寺は満州国と日本のパスポートを渡したポーランド情報士官を武官室で匿い、外交クーリエで報告書や資金をロンドン亡命ポーランド政府と全欧支所を往復させ、その見返りにソ連やドイツ情報を得ていた。その最大の『公式』情報がソ連対日参戦のヤルタ密約情報だった。1941年4月にドイツは、日本の対ソインテリジェンスの責任者がストックホルム武官の小野寺信で、ケーニスベルグの杉原千畝領事代理とヘルシンキの小野打寛武官がその補佐だと分析していた。杉原は半年前の1940年9月、カウナスで命のビザを発給し多くのユダヤ人を救出した。その2年前の1938年3月にオトポールでハルビン特務機関長の樋口季一郎がユダヤ人を救出した際、その部下が小野寺だった。事実上、陸軍情報士官だった杉原は、樋口が主導したユダヤ人対策を知っていたのではないか。そうすると、ユダヤ人救出は陸軍インテリジェンスとして行われた可能性がある。樋口は、1938年3月、日独関係悪化を懸念して入国を認められず、ソ連国境オトポールで立ち往生するユダヤ難民を、『欧州で家貸してくれた恩義ある』と、ハルビン特務機関長としてビザを発給してユダヤ人を救った。困った人に手差し延ばすのは当然のことで、これが気高い『日本精神』である。これは樋口の個人的な判断だったが、その後、松岡洋祐満鉄総裁が救援列車を走らせ、関東軍参謀長の東條英機大将もその決断を理解し、ドイツの抗議を一蹴して、1941年6月の独ソ戦勃発までの3年間で約2万人のユダヤ人が上海などに逃れた。関東軍のユダヤ人を差別しないという決定を元に、参謀本部第二部長に転出した樋口中将がとりまとめて、1938年12月に5相会議で、国策としてユダヤ人対策要綱ができた。当時は、世界中に反ユダヤ主義が広がり、米英はじめほとんどの国がユダヤ人に扉を閉ざす中、日本だけがユダヤ人難民を受け入れた。その元になったのが陸軍である。さらに樋口は、1945年8月15日後の18日に占守島に侵攻したソ連軍に対して、大本営の命令に背いて独断で自衛のために反撃命令を出し、ソ連軍を一旦は撃退、勝利して、スターリンの北海道占領、東北占領、東京分割支配を阻止した。樋口中将の手記に、『ソ連参戦数カ月前に参謀本部から密使がソ連参戦を伝えに来た』『終戦1カ月前の7月に阿南陸相が来て密談した』とあった。ここからソ連侵攻撃退の背景に、小野寺のヤルタ情報があった可能性がある。中枢で抹殺された小野寺情報が、日本分断防止に活かされたとすると、日本の対ソインテリジェンスが日本を救ったと言えるのではないか。開戦からわずか70日でシンガポールを陥落させた『マレー作戦』の成功の背景には、藤原岩市率いるF機関の活躍があった。F機関はハリマオなどマレー人を敵の中の味方の『第五列』として、英軍内に反乱を起こさせることに成功した。英国立公文書館にある公文書には、『完璧な日本のインテリジェンスに脱帽した』と書かれていた。さらにインドでは、『民族の解放、独立を理解し、支援』するためにインド国民軍(INA)を設立して、チャンドラ・ボースと共に、インパール、コヒマで英軍と戦った。2年前にインパールのコヒマを訪れた際に、そこの住民は、『独立できたのは日本が勇敢に戦ってくれたから』『日本軍が身をもって独立のため戦ってくれた』と感謝し、『日本兵は厳格で、残忍で卑劣な兵士はいなかった』と言っていた。日本は侵略ではなくアジア解放のために戦ったというのは、単なるスローガンではなく、本当だったのだと感じた。ボースについて日本の公刊資料では、ミャンマー司令部で待機していたとされているが、コヒマ最前線で、住民に『英国人は、肌が白くて顔はきれいだが、腹の中はどす黒い』と日本との協力を訴え、陣頭指揮を執り、それが独立起爆剤になった。ドイツ在住のボースの娘にもインタビューをしたが、『父は日本に最も親近感があった』と話していた。インパールの近くにインド国民軍(INA)の戦争博物館があるが、そこにINAを創設した機関長として藤原中佐の肖像写真が掲載されており、独立の立役者として称えられている。至誠と信念と愛情と情熱で反英インド独立工作を成功に導いたのである。これだけ素晴らしい日本陸軍のインテリジェンスがあったのであるから、普通の国としてのインテリジェンスを早く取り戻すべきだと思う。そのためには、日本陸軍DNA呼び戻し、『日本精神』高め、諜報大国の復活を目指していくべきだと思う。」と、戦時中の日本のインテリジェンスに共通する精神について説かれました。


フリーランス翻訳者 マリノフ利江様

フリーランス翻訳者のマリノフ利江様は、「カナダの現状について話したい。最近日本でも報じられているが、フリーダムコンボイという、オタワにトラックの運転手が集結し、ワクチン接種義務に反対するデモ活動が行われている。アンバサダーブリッジはアメリカとカナダの物流の四分の一を担う物流の要所であるが、そこをトラックがブロックしているため、オンタリオ州のダグ・フォード首相が非常事態宣言を発令してデモを排除した。ダグ・フォード首相はロブ・フォード元トロント市長の弟である。ロブ・フォード元市長は素行が悪いなどとメディアに徹底的に叩かれたが、強い信念を持った政治家だったので保守からは厚い信頼を得ていた。2012年にトロント市で12月13日を南京虐殺75周年追悼記念日とする宣言が採択されたが、これに最後まで反対したのがロブ・フォード市長(当時)であった。フォード元市長の一番弟子とも言えるモンテ・マクノートンはオンタリオ州の首相選に出馬した際、フォード元市長も支持したので保守的な考えを持っていると考え、私はモンテにアプローチした。当時南京大虐殺記念日をオンタリオ州として制定の動きがあり、これを強烈に進めたのが中華系の団体である。私はモンテに会った際に、この採択に賛成したのか反対したのかを問うたところ、彼は『自分は棄権をして投票していない』と答えたので、彼はこの法案に反対していると期待した。しかし、オンタリオ州議会の前でこの法案を進める大きな集会があり、彼が議事堂から出てきたときに集会のメンバーと握手をするのを見て私は激怒して彼を非難した。翌日彼の秘書から電話があり、私は『日本の歴史について何も知らないのなら、こうした問題にカナダ人が関わらない方が良い。』と伝えた。しかし、この問題を人権問題と捉えて賛成するカナダ人も少なくない。2016年11月にはトロント大学でユン・ミヒャンと元慰安婦のキル・ウォンオクを招いてシンポジウムが開催された。ユン・ミヒャンは北朝鮮との関係が囁かれている人物である。そこでモンテに対して、『トロント大学にこうした人物を呼んで良いのか。』『北朝鮮は日本人を拉致してまだ5人しか帰ってきていない。あなたの娘が拉致されたらどう感じるか。』と問い質したら、彼は絶句した。オンタリオ州には中国系カナダ人が90万人を超えているのに対して日本人は10万人程度である。そのためどんなに頑張っても日本人が勝つことはできない。そこで彼に、『カナダに居る日本人はずっと頭を下げて生きていかなければいけないのか、これがカナダの多文化主義なのか。』と言った。日本の皆さんにはカナダでどのようなことが起こっているかを知ってほしい。2017年にトロント大学に日本センターができた。これは安倍総理とトルドー首相との約束で、日本が5億円を拠出してできた研究機関である。そこで様々な講演が行われているが、そのほとんどは左派系である。問題は日本センターだけでなく、コリアセンターもあるが、そこで問題となったのが『つくる会』であり、『日本の恥ずべき過去の歴史を歪曲しようとしている』と非難した。前回の月例会で塩澤修平先生からの『日本人は何からやればよいか?』という質問に対して、マックス・フォン・シュラー・小林様が『日本人はもっと自信を持つべきだ』と答えられた。私もカナダでつくづくそう思う。しかし、自信を持つためにはきっかけが必要である。私の友人を含め何人ものイスラエル系カナダ人が講演で『イスラエルは日本のような国民国家を目指すべきだ』と話すのを聞いた。こうしたことをもっと知ってほしいと思う。私の夫はアパの懸賞論文で優秀賞に選ばれたというメールを受け取ったときに、『これまで保守言論を続けてきてカナダでは認められなかったが、日本で認められた』と喜んでいた。カナダでは言論弾圧が本当にひどい。フリーダムコンボイについても真実はほとんど報じられていない。本当のことを知りたければYouTubeを見るしかない。ここにおられる皆様が発信し、日本人が自信を持つきっかけとなれば、日本にはまだまだ希望があると思っている。」と、カナダの日本人社会を取り巻く現状を報告されました。


東京国際大学学長・慶應義塾大学名誉教授 塩澤修平様

東京国際大学学長・慶應義塾大学名誉教授の塩澤修平様は、「小野寺中将はヤルタ密約以外にどのような情報を掴んでいたか?」と質問され、岡部様は、「独ソ戦の情勢については、ポーランドの情報士官のリビコフスキーからソ連バルバロッサ作戦が間近だという情報を得ていた。参謀本部がドイツはイギリスに向かうと言っているときに、小野寺はドイツがソ連に行くという情報を取っていた。さらに1941年12月8日にはすでにドイツが負けかかっていた状況であり、小野寺は『日米開戦不可なり』という電報を打っていたが、無視された。開戦前の情勢判断の方がむしろ正確だった。」と答えられました。


在日本ルーマニア商工会議所会頭 酒生文弥様

在日本ルーマニア商工会議所会頭の酒生文弥様は、「私は『AIR文明』と呼んでいるが、今後AI(脳)、IoT(神経系)、Robot(筋肉)が階層的に連なって全てを最適制御する時代がくるだろう。AIが人知を超えるシンギュラリティは人によって幅はあるものの、2029年から2045年の間に実現すると言われている。AIR文明の下では、人間は組織的・従属的労働の一切から解放され、潤沢なベーシックインカムで衣食住を十分に享受でき、史上初めて全員が古代ギリシャ・ローマの自由市民となることができる。」と、シンギュラリティ後の世界について自説を論じられました。


諸橋茂一事務局長

諸橋茂一事務局長は、「AIとロボットが人間のやる事の全てをやるようになる時代が本当に来るとすれば、それは人間にとって不幸なことではないか。苦しいこと、辛いことを乗り越えてはじめて人間は成長していくし、人間はその節目節目で本当の喜びを感じることの出来る素晴らしい生物だと思う。」とコメントをされました。


古代史研究家 畑アカラ様

古代史研究家の畑アカラ様は、「私はこれまで数字の8を切り口として歴史を探求してきた。高松塚古墳は今年発掘50周年となる。石室内部はとても狭いが、天文図、四神図、日月図が存在しており、天皇でもないのになぜ天文図が描かれているのかが謎である。さらに壁面に8人ずつの男女が描かれている。そして最大の謎が、北斗星(八星)が描かれていないことである。これらの謎については、私が長年に亘って探求してきた『8の呪術』によって解けると考えている。北斗星が描かれていないのは、高松塚古墳そのものが北斗星とされているという説がある。この説によれば、高松塚古墳は永遠に天皇を守護していくことになる。高松塚古墳の200m北に中尾山古墳がある。昨年調査され、八角形であることがわかった。故秋山日出雄先生の陪塚説によれば、高松塚古墳は北斗星として中尾山古墳(文武天皇)を守護していることになる。高松塚古墳の壁画の八人ずつの男女は出行図を表しており、北斗八星は帝車を表している。壁画の人物をつなぐと見事に北斗八星になっており、八人ずつの男女は北斗八星帝車を表現していると言える。これらのことから高松塚古墳は北斗八星となって天皇を守護するという天皇尊崇の美学を示したものと言える。」と、高松塚古墳を巡る謎について自説を披露されました。

最後に塾長は「本日も大変素晴らしい月例会となった。」と語り、会を締め括りました。今回は講演された講師の方々以外にも、衆議院議員の櫻田義孝様、衆議院議員・関西勝兵塾支部長の和田有一朗様、参議院議員の石井苗子様をはじめ、多くの講師特待生の方々にもご出席頂きました。