第127回 勝兵塾月例会レポート

公開日:2022/1/26


塾長・最高顧問 元谷 外志雄

勝兵塾第127回月例会が、1月20日にアパグループ東京本社で開催されました。
 冒頭のアパグループの元谷外志雄代表による塾長挨拶では、「このところ国際社会における日本の地位がどんどん低下している。中国のみならず北朝鮮においても軍事力が増強され、力のバランスが崩れそうになっている。日本は核武装をすることができず、周りを海で囲まれていることが日本の強みではあるが、中国は近年海軍力を増強しており、日本に対する軍事的圧力を強めている。今なお日本は深深度潜水艦と深深度魚雷の技術では優位にあるため、中国はうかつに日本に侵攻することはできない。こうした優位性のある装備を増強して、日本はやられたらやり返すと周囲から思われることが、バランス・オブ・パワーの維持には必要である。今日の勝兵塾でも、様々な講師の方々にご講演頂き、本当はどうなのかを知る機会として頂ければ幸いである。」と、力の均衡の維持の必要性を訴えました。


国際歴史論戦研究所会長 杉原誠四郎様

国際歴史論戦研究所会長の杉原誠四郎様は、「本日は、最近上梓した新著『吉田茂という病』について話したい。平成17年より国立公文書館でインターネット特別展「公文書に見る日米交渉‐開戦への経緯」が開設され、その参考文献というコーナーに私の著書である『日米開戦以降の日本外交の研究』が掲載紹介されていなかった。そこで、令和元年12月8日付で公文書館に対して抗議と掲載の要請を表明し、原田義昭代議士(当時)の強力な仲介で、インターネット特別展を作ったアジア歴史資料センターのセンター長と直接面会して対決した。その時のセンター長が波多野澄雄氏であり、そこでの激しい対談の内容をまとめたのが本書である。吉田茂は憲法改正議会の中で、ポツダム宣言の受諾を無条件降伏だと発言し、日本の矜持を示さなかった人物である。占領解除時に外務省の中枢を占めていたのは、日米開戦当時に在米大使館と在独大使館にいたグループだった。つまり戦争責任を一番負うべき人物達が外務省の中枢を占めていたのである。外務省はその責任を隠すために戦争責任をすべて旧陸軍に押し付けた。その結果、あの戦争は悪かったという歴史認識ができ、外務省は戦後一貫して自虐外交しかできなくなった。吉田茂は外務省の責任を隠したらどのように日本が曲がっていくか想像できなかったし、想像しようという責任感がなかった。そのような人物を大宰相と祭り上げる保守も堕落している。もうひとつ憤慨すべきことは、憲法第九条の解釈である。芦田修正によって自衛の限りにおいては戦力も交戦権も持てるようになったにもかかわらず、吉田茂は持てないと言った。そしてダレスが来日した時に、再軍備しろと言えば日本が喜ぶと思ったのに、吉田が自衛のための軍備を持てないという憲法解釈を持ち出したため、ダレスは激怒した。そのため、最初の日米安保条約は不平等なものになり、未だに制空権の一部がアメリカに握られている。そのような人物が大宰相として祭り上げられた理由の中に、敗戦利得者の存在がある。公職追放で21万人が公職追放されたが、そのポストの後釜に就いた人々の中には、通常であればそのような能力がなかった敗戦利得者もいた。占領終了直後の日本人は、占領政策によって思想的に侵されていなかった。例えば、占領終了後には戦争犯罪者の釈放を衆参両院で4回も決議した。しかし吉田は、日本を再軍備ができない構造にして、日本全体をアメリカに売り渡したのである。また、東大法学部の教授のほとんどは戦時中に政府と結託していたのでパージされる可能性があったが、そうした人々が皆転向して敗戦利得者となった。法学協会の『註解 日本国憲法 上巻』には、天皇は象徴であるから元首ではないと書かれている。マッカーサー自身は『天皇は象徴であるから元首である』というつもりで草案を作ったにもかかわらず、学者は『天皇は元首ではない』と解釈した。美濃部達吉という硬骨の学者は、『天皇は元首である』とはっきり言ったが、この解釈が消えていったのは、吉田が集めた法制局が法学協会の解釈を政府の解釈としたためである。また、芦田修正の議事録が公開されたのは平成7年であり、50年間封印されていた。昭和31年に政府が憲法調査会を作ったときにも、その議事録を正式には見せなかった。それは、芦田修正が広まらないようにするためだった。占領軍の占領政策を継承し、拡大していったのは敗戦利得者達であり、彼らが吉田茂を大宰相にしたのである。」と、吉田茂の政策の問題とその背景を論じられました。


公益社団法人国民文化研究会理事・筑波大学日本語日本文科学類非常勤講師 伊勢雅臣様

公益社団法人国民文化研究会理事・筑波大学日本語日本文科学類非常勤講師の伊勢雅臣様は、「私はメールマガジン『国際派日本人養成講座』を25年間やっていて、アメリカ留学中の読者から『異国でくじけそうな心を支えてくださいました。日本人の誇りを思い出させて下さり、自信を持ってアメリカ人と付き合うことができました。』というお便りをもらった。このように、国際社会で生き抜くためにも歴史教育が重要である。今年から高校の新教科として、世界史と日本史を融合した近現代史中心の『歴史総合』という教科が必修となる。教育指導要領では、目標に『主体的・対話的で深い学び』を掲げている。7社の教科書が検定で合格し、その見本本を比較した。これらの教科書は、思想誘導型、社会科学型、歴史物語型の3つに分類できる。具体的に日露戦争の意義について比較してみるが、まず、思想誘導型教科書は特定の思想を詰め込もうとしており、例えば日露戦争の意義として『民族運動の進展に影響を与えた』としつつ、説明も根拠もなく、『しかし実際には韓国・満州利権をめぐる帝国主義国家どうしの争いであった』と書いている。次に、社会科学型教科書は歴史の因果関係を教えようとしており、日露戦争の影響として日比谷焼き討ち事件を取り上げている。歴史の中の因果関係を説明しており合理的ではあるが、心には響かない。先人の足跡を辿り、その声に耳を傾ける必要がある。これが歴史物語型教科書である。日露戦争の勝利に関して、インドやベトナム、トルコ、エジプトでの反応を取り上げており、豊富な史実をもとに先人の生き様を描いている。日露戦争を報じるインドの『サメイ新聞』や『ヒタバテイ新聞』の記事から、日本の勝利にインド人たちも自由と独立への希望を抱いたことや自由と独立を守ることの大切さを感じることができる。7社の総合判定では思想誘導型の点数は低く、その上に社会科学型の教科書が並び、唯一の歴史物語型の明成の教科書に最高点を付けている。しかし、明成の教科書の採択率は1%もないので、採択校を増やしていくための活動をするとともに、他の教科書を使っている生徒や父兄に市販本を買っていただき、読み比べをして今の歴史教育のおかしさを分かって頂きたい。」と、高校で新たに導入される歴史総合の教科書を比較し、正しい歴史教育の意義について語られました。

一般塾生より「素晴らしい教科書なのに採択率が低いのは、何が問題か?」と質問があり、伊勢様は、「特定の勢力からの妨害と認知度の問題である。良い教科書だと皆にわかってもらう必要があり、努力がもっと必要である。」と答えられました。さらに諸橋茂一事務局長から、「高校の教科書に『従軍慰安婦』という記述が復活したが、その点についてご意見を伺いたい。」と質問があり、伊勢様は、「閣議で『従軍慰安婦』という言葉は誤解を招くから使わないようにと決定されたが、政府の文書で『いわゆる従軍慰安婦』という表現を使ったものがあり、それを引用するかたちでこの言葉を教科書に残している。物凄い執念であり、そういう人達を相手に戦っていかなければならない。」と答えられました。


第十四回「真の近現代史観」懸賞論文社会人部門優秀賞受賞者でジャーナリスト、欧州・カナダの歴史学者 ミロスラフ・マリノフ様

第十四回「真の近現代史観」懸賞論文社会人部門優秀賞受賞者でジャーナリスト、欧州・カナダの歴史学者のミロスラフ・マリノフ様は、「私はブルガリアのソフィア大学で中国語を学んだ。中国語の教師はジャン・ソンファンという中国出身の素晴らしい女性で、彼女の夫はヤンコ・カネティという、周恩来とも友人で中国共産党軍の軍医だった。彼女は夫と、カナダ人外科医のノーマン・ベチューンと共に、中国共産党軍の看護師として従事した。ジャン・ソンファンは私が孔子の本を中国語からブルガリア語に翻訳、出版した時の監修者で、北京で開催された孔子の国際会議に出席できるよう尽力してくれた。彼女は中国共産党軍に従事していたので、もし南京大虐殺があったのならその話を聞いていたはずであるが、彼女からそのような話は聞いたことがなかった。1989年10月、天安門事件から4カ月後に孔子の国際会議が行われた。西側の学者のほとんどは欠席したが、私はどうしても中国を見てみたいという思いが強かったため、会議に参加した。江沢民は出席した外国の学者をプライベートのレセプションに招待し、私もそれに招かれた。そこで江沢民はとてもフレンドリーに話しかけてくれた。その江沢民は、外交では日本の支援を受けながら、国内では求心力を高めるため愛国教育を実施した。ここで、1982年10月9日に密かに日本を訪問中だったソ連のアレクサンドル・ソルジェニーツィンのスピーチを紹介したい。『日本には2つの弱点がある。戦後の日本は二度と武器を取らないと決めた。今、日本人は命取りとなるほどの危機の前に無力なまま立っているだけである。日本の比類ない経済的繁栄は、砂上の楼閣に過ぎず日本を救うことはできない。このような状況下で、日本人は、自分自身で守るのではなく、外部の力に守ってもらうことを求めている。そのような誤った希望のひとつが、米国の保護に頼ることである。もう一つの致命的な日本の弱点は、温厚でやさしそうな中国を巧妙に演出する共産主義中国を通じて、共産主義から日本を守ろうとすることである。共産主義に良い悪いの区別はない。中国を強くすることが世界平和を保障するわけではない。中国は400万の軍隊を有し、チベットを侵攻し、カンボジア、マレーシアに絶えず圧力をかけている。共産主義を過大評価も過小評価もしてはいけない。彼らは困ったときは西側から援助を求める。中国の真実は報道されていない。後25年経てば、中国のソルジェニーツィンが誕生して、真実を明らかにするだろう。』これは40年前の発言であるが、今でも全く変わっていない。ソ連や東欧の共産主義は崩壊したが、中国や北朝鮮は今でも日本の直接的な脅威になっている。同時に共産主義思想が欧米の価値観を侵食していることを忘れてはならない。」と、共産主義の本質と日本の弱点について語られました。


歴史家・徳島文理大学教授 八幡和郎様

歴史家・徳島文理大学教授の八幡和郎様は、「私は以前通産省に勤めていて、歴史関係を中心にこれまで150冊の本を出版してきた。本日は韓国史について話をしたい。私はフランスの国立行政学院に留学し、中国や韓国の担当課長をした経験もあるが、その中で感じたのが、他国は自国の歴史を世界に向かって自分達の利益になるように説明できるものをきっちり持っているのに対して、日本はそういうものを持っておらず、世界に向かってアピールすることもしていないことだ。日本人自身が韓国の歴史についてほとんど知らないので、十二のポイントを簡単に説明したい。第一は、稲作や弥生人は朝鮮半島から伝わったのではなく、中国の江南地方から半島沿岸地方を経由して素通りしただけで日本に来た。第二は、皇室の先祖が半島から来ているという話もありえず、日中韓のどの史書にも伝承にもそのような話はなく、戦後初めて出てきたものである。第三に、神功皇后が朝鮮を侵略したと思っている人が多いが、朝鮮半島は7世紀に新羅が統一するまでは様々な民族が入り乱れており、むしろ新羅が日本固有の領土である任那や友好国だった百済を滅亡させた。第四に、日本に技術や文化を伝えた止利仏師や王仁博士、秦氏は百済から来たが、全て中国人であり、朝鮮人ではない。第五に、元寇のうち半分以上は高麗であり、高麗がモンゴルをけしかけたものである。第六に、秀吉による慶長の役は負け戦で秀吉の死によって引き上げたと教えられているが、良く調べてみると、秀吉の死の時点では完全に勝ち戦であり、春になったら最後の総攻撃をかけて朝鮮を屈服させる段取りになっていた。第七に、江戸時代の朝鮮通信使は対等の国交ではなく朝貢使節だったが、戦後になって在日朝鮮人が対等の関係だったと言い出したことに騙されている。第八に半島は大国の争いの犠牲になったという考え方があるが、むしろ韓国内部の政争でそれぞれの勢力が各国に支援を求めて騒動を起こしてきたのである。韓国が変なことをしなければ、日清・日露戦争は起こっていなかった。第九に、日本は韓国から言語を奪ったと言われるが、明治以前には書き言葉としての韓国語、朝鮮語は存在していなかった。日本語には漢字書き下し文があるが、韓国では中国語をそのまま読んでいた。日本人が日本語と同じように漢字ハングル文字交じり文を作って教えてあげたのである。第十に、韓国が立派な文化の国で日本に文明を伝えたという考え方は、明治時代には日本にも韓国にもなかったが、朝鮮総督府が日韓併合後にあまりにも日本人が朝鮮人を馬鹿にするので、朝鮮人に誇りを持たせるように宣伝した。第十一に、南北分断はアメリカとソ連が分けただけで、日本に責任はない。最後に日韓基本条約は、本来なら韓国にある日本人の財産について賠償請求できたし、日本人が追放されたのだから在日韓国人を帰すこともできたのだが、特別の気持ちで韓国を助けた。韓国がちゃぶ台返しするのであれば、日本は財産の弁償を求め、在日韓国人に帰ってもらうことができる。その事を日本人は知っておくべきである。このような歴史観が広まった背景には特殊事情があり、それは日本で朝鮮語ができるのがほとんどは在日朝鮮人であり、日本における韓国歴史学会の主流は在日朝鮮人であることだ。」と、朝鮮半島の真実の歴史を明らかにされました。


朝鮮近現代史研究所所長 松木國俊様

朝鮮近現代史研究所所長の松木國俊様は「韓国はハングルだけにして漢字をほとんど廃止してしまった。このままいけば韓国の文化は劣化し、言語において自滅するのではないかと思うが、どのようにお考えか?」と質問され、八幡様は「もともと韓国でハングルは、日本人にとってのローマ字のような感覚で使われていて、正式な言葉は中国語だった。それをハングルだけにすると無理が生じる。しかし、現在の朝鮮語は漢字の言葉がハングルに置き換えられており、実質的には漢字ハングル交じり文が継承されている。ただ、韓国人は漢字を知らないので、昔の文書を読むことができなくなった。漢字について言えば、中華人民共和国の『人民』も『共和国』も日本語であり、さらには『革命』も『社会主義』も日本語である。そのことを日本人は知らなくても中国人は良く知っている。近代の漢字文化圏における中心は日本であることを中国人はよく知っているので、日本のことを尊敬する理由になっていると思う。」と答えらえました。


作家・軍事評論家 マックス・フォン・シュラー・小林様

作家・軍事評論家のマックス・フォン・シュラー・小林様は、「アメリカは間もなく崩壊するだろう。テキサス州では議会で独立宣言が議論されている。フロリダ州ではFlorida State Guardが組織されている。アメリカには自然災害や暴動などの際に州知事が使えるNational Guard(州兵)があり、これは連邦軍の予備兵であるが、Florida State Guardはそれとはまったく別のもので、フロリダ州知事のみに属している。また、オレゴン州は分裂しており、オレゴン州の7つの郡がオレゴン州から離脱してアイダホ州に入ろうとしている。軍や警察が持っている銃の数が4百万であるのに対して、国民が持っている銃の数が310百万で、その9割は保守である。バイデン政権は現在軍を浄化しており、保守の白人を排除している。軍の6割は保守であるが、将校クラスには左翼が多い。有能な人がクビになり、顔色を窺う人が昇進している。今の状況ではアメリカ軍は戦争をすることができない。ロサンゼルスで貨物列車の荷物を狙った強奪事件が急増し、毎日コンテナが90個くらい襲撃されている。ユニオン・パシフィックはこの状況に怒っている。カルフォルニア州には万引き法があり、被害が950ドル以下の場合、犯罪にならない。左翼によって、貧しいマイノリティが万引きをしてもいいじゃないかということになっている。しかも検察官に左翼が多く、警察が逮捕しても翌日には釈放される。だから略奪集団が増えており、だんだん規模が大きくなっている。最近シカゴの州知事の自宅の前の芝生に盗まれた商品が並べられた。このメッセージの意味は、『あなたはこの地域を支配していない。我々が支配している。』ということである。白人の警官はマイノリティを逮捕すると自分が刑務所に入るかクビになるかもしれない。ジョージ・フロイド事件があったが、彼は麻薬で死んだのであって警察が殺したわけではない。だから警官は何もしない。このような状況なので、ユニオン・パシフィックはロサンゼルスから撤退した。また、供給問題では、トラック運転手が8万人足りないため、スーパーの商品棚が空になっている。アメリカ社会が崩壊しつつある。今は寒いが、春になったら皆が外に出てどうなるかわからない。」と、アメリカの現状について語られました。


新しい歴史教科書をつくる会副会長 藤岡信勝様

新しい歴史教科書をつくる会副会長の藤岡信勝様は、「本日、『つくる会』創立25周年のチラシを配布した。私は創立から関わり、10年くらいで10%を超える採択を取って後は教科書会社に任せようという構想だったが、25年経っても採択率は1%に満たない。これでは失敗だったと総括されても仕方がないが、25年前の毒々しい内容の教科書の記述が、『つくる会』の活動によって今は一掃された。歴史観の根幹は変わっていないが、それでも大きな成果だと言える。『つくる会』の教科書には、通州事件や『社会主義』も『革命』も日本人が中国人に教えた言葉であることも書いてあるが、いかに画期的なものであるかを十分宣伝できていなかったと反省している。」とご挨拶をされました。


東京国際大学学長・慶應義塾大学名誉教授 塩澤修平様

東京国際大学学長・慶應義塾大学名誉教授の塩澤修平様は、「日本の危機を指摘されたが、我々日本人は何からやればよいか?」と質問され、マリノフ様は「まず憲法を改正すべきである。さらにスパイ防止法を作るべきである。また、国連が腐敗していて現実の問題を解決できていないので、日本はもっと独立して、国連に対する拠出金を減らす措置も必要ではないかと思う。」と答えられ、小林様は「日本人はもっと自信を持つべきだ。日本人は優秀な民族である。日本の純粋なところを守り、外国人に頼るのではなく、日本の問題は日本人で解決しなければならない。日本はアジアのリーダーであり、いつまでも眠っているのではなく目を覚ますべきだ。強い軍を作り、強い心を作り、正しい歴史を知り、日本の中心である天皇陛下を守るべきだ。」と答えられました。

最後に塾長は、「本日の月例会も素晴らしい講師の講演があり、活発な質疑応答があった。勝兵塾は本来議論する場として、議論を通じて本当のことを見付けていこうという場としたいと思っていたので、だんだん良くなってきた。次回以降も問題意識を持って参加して、活発に意見を出してもらえればと思う。」と述べて会を締め括りました。