第122回 勝兵塾月例会レポート
公開日:2021/08/31
塾長・最高顧問 元谷 外志雄
勝兵塾第122回月例会が、8月19日にアパグループ東京本社で開催されました。
冒頭のアパグループの元谷外志雄代表による塾長挨拶では、「先日開催された東京オリンピックでは、日本選手がよく頑張り、金メダルの数はアメリカ、中国に次いで世界第3位となり、大活躍をした。パラリンピックも24日から開催される。こうした誇らしいことはもっと対外的にアピールし、語り継がれていく必要がある。日本がもし先の大戦で戦わなかったら、未だに世界の大半は植民地のままで、欧米列強、白人キリスト教徒の国々が世界支配を続けていた可能性が高い。日本の素晴らしさを多くの人々に認識してもらうのも勝兵塾の役割の一つであると考え、東京、大阪、金沢の3カ所で毎月開催してきた。」と、国の誇りの大切さを説きました。
衆議院議員 竹本直一様
衆議院議員の竹本直一様は、「PHP社から来週『企業大国をつくる』という書籍が発売される。現在、毎日二万人がコロナに感染し、いったん収まったかと思ってもまた盛り返してくる状況が続いている。さらに勢いが増しており、どのように収まっていくのか見当がつかない。コロナを経験した日本社会は、この後どのような道を歩んでいけばよいのか。国際社会を見ると、先進国でも一生懸命戦っているが勝利はまだで、アフリカなどは本当に大変な状況である。そのため、地球上のあちこちで争っていたのが、戦いをやめて協力しようという機運が出てきている。日本はコロナでの死者の数は欧米の十数分の一であり対応は悪くないが、日本より良くやっているのが台湾である。台湾はSARS、MERSを経験したため、疫病への対応の準備ができていた。私も十二月にコロナに感染し、集中治療室に十日間入った。この病気の怖いところは、ある日突然死が訪れることである。コロナの経験は後日必ず検証される。日本は死者が少ないことからもきっちり対応ができていると思う。マスコミは、日本はダメだとばかり報じているが、日本はそれなりにきっちりやっている。そのいいところを活かして、これからの社会を考えなければならない。密を避けるために分散居住をするのはいいが、分散居住と効率性をいかに両立させるか。しばらくは分散居住をしてもやがて東京に集中してくるのではないか。だから、日本の新しい生き方を示していかなければならない。日本は何だかんだ言ってもうまくやっている国だから、日本に対するリスペクトの念が消えない。これからもリスペクトの念を持ってもらうためには、我が国のスタートアップをもっと育てなければならない。ユニコーン企業はアメリカには二百数十社、中国には百社以上あるのに、日本には五社しかない。これをせめて五十社にしていかなければ、技術立国としての日本の地位が揺らいでくる。若い人達が夢を持って起業する、活力のある社会を作っていかなければならない。」と、コロナ後の生活の在り方について語られました。
第29代航空幕僚長 田母神俊雄様
第29代航空幕僚長の田母神俊雄様は、「日本は結果としてコロナの感染者も死亡者も少なく、封じ込めに成功していると言える。しかし私自身は、一年八カ月経って一万五千人しか死んでいないのに、なぜこんなに大騒ぎするのかと思っている。今日本の政治はコロナ封じ込めには成功しているが、機能していないのではないかと感じている。政治は国民を幸福にしなければならない。国民の幸せはそれぞれ違うが、それぞれがやりたいことをやれることが幸せである。そのためには、政治的に自由であることと、経済的に豊かであることが必要である。平成の30年間で日本はずっと転落を続けて、衰退途上国の状態にあるのではないかと思う。このままいけば、令和30年頃にはとても経済大国と言えない状況になるのではないか。平成の初めに日本のGDPは世界の約十八%を占めていたが、今は六%を切っている。世界の中での日本の経済力は、三分の一に低下したのである。今のまま行くと、この割合がどんどん下がっていく。我々の子や孫が我々と同じような自由な生活を営むことができなくなる可能性が高い。しかし、政治が機能不全で問題をほとんど解決できない。拉致問題、靖国問題、領土問題、憲法改正、歴史教育などの問題が全く進まない。問題を解決しようとすれば必ず摩擦が生じて問題が起こる。この摩擦を避けたい、問題を回避したいというのは人間の常ではあるが、国のリーダー達が問題を回避しようとすれば、国民は幸せにならないし、国は前進できない。総理や大臣は満身創痍になっても戦わなければならないが、戦う気が感じられない。多くの政治家が問題回避症候群という病にかかっているのではないかと感じる。だから日本は問題を解決できず、進歩できない。靖国問題についても、総理を辞めた人が靖国を参拝しても全く意味がないどころか、総理は靖国に行けないことを強調しているようなものである。総理が靖国を参拝してこそ意味がある。そうすると問題になり叩かれるが、そこを乗り越えないと日本の戦後は終わらない。傷だらけになっても将来のために頑張るという、強い意志を持った総理大臣が誕生してほしい。中国が尖閣にどんどん来ている。中国は確かにこの二十年間で軍事力を強化してきた。明日にでも攻めて来るようなことを言う軍事評論家がいるが、すぐには来ない。戦争には準備が必要であり、中国が尖閣を獲りに来るときには必ずその兆候がある。自衛隊は毎日監視しているので、必ず事前にわかる。防衛省から必ず警報が出るので、それまでは安心して経済活動に励めばいい。」と、問題を先送りにする今の政治に警鐘を鳴らされました。
東京国際大学学長・慶應義塾大学名誉教授 塩澤修平様
東京国際大学学長・慶應義塾大学名誉教授の塩澤修平様は、「これからの経済活性化のために、どのような政策が望ましいか?」と質問され、田母神様は、「問題は緊縮財政にあると思う。アメリカや中国と比べて日本の財政支出は少ない。経済が発展している国は、財政支出が拡大しており、国が公共事業をもっと積極的にやるべきではないかと思う。竹中平蔵先生などは供給能力を高めると国民が期待をしてお金を使うようになると言ってきたが、実際には景気が良くなり将来の心配がなくならなければお金を使わない。今まで財政破綻論やプライマリーバランス論を言っていた人達は引退して、これからは反対の意見を言ってきた人達に任せるべきではないか。特にMMT(Modern Monetary Theory)という理論が二年前に日本にも紹介されたが、変動相場制で自国通貨を発行できる国は、インフレが極度に高まるまではいくら借金して公共事業をやっても大丈夫だという理屈であるが、その方が正しいのではないかと思う。日本政府はもっとお金を配ればいい。」と答えられました。
また一般塾生から、「北方領土は戦後七十六年経っても返ってこないが、今後この問題を解決していくためにはどのようにすればよいか?」と質問され、田母神様は、「ソ連が崩壊した時がチャンスだったと思う。あの時であれば金を出して買い戻すことができた可能性があったのではないか。そういう状況にならない限り、なかなか難しいと思う。この先、そういう時が来るかもしれないし、日本はそうなるように作為しなければならない。さらに、四島一括返還はロシアもできない。国後、択捉はロシアの民間人がたくさん住んでいる。小さい島である歯舞、色丹に住んでいるのは公務員だけだから返還することは可能だろう。ソ連崩壊時には、金を払って買い取ることはロシア領と認めることになるから駄目だという日本人がいた。アメリカやドイツもそう言うが、彼らは実は日本とロシアが仲良くなるのを邪魔したいだけだから、その様な意図を持ってアメリカもドイツも一括返還を支持すると言っている。」と答えられました。
大阪観光大学国際交流学部講師 久野潤様
大阪観光大学国際交流学部講師の久野潤様は、「私が歴史について話すときには、連続性を意識している。大東亜戦争について話すと、ヘイトスピーチと言われることがあるが、靖国神社の御英霊方は、中国、朝鮮が嫌いだから戦争をした訳ではなく、二千六百年の歴史を背負い、その間に受け継がれてきた日本という国を守るために命を賭して戦場に向かわれたのである。幕末の志士達もそういう歴史を受け止めて、あれだけの命懸けの戦いができたのである。幕末の志士達はいきなり現れたわけではなく、このようになりたいというモデルがあった。その一人が楠木正成である。楠木正成がお仕えした第九十六代後醍醐天皇の政治が『建武中興』と呼ばれ、元々の流れに戻すという意味であったが、今の教科書では武家社会の常識を踏みにじって勝手な政治をやったから引きずり降ろされたかのような書かれ方をしている。しかし、『太平記』の冒頭には、鎌倉幕府は『ある事件』からずっと日本の国体を危うくしてきたため、後醍醐天皇があえて兵を挙げられた、と書かれている。その『ある事件』が承久の変である。今年はその承久の変から800年目となる。鎌倉幕府の初代将軍は源頼朝であるが、その時の天皇が後鳥羽天皇だった。鎌倉幕府では、源頼朝はよくわからない死に方をし、その息子の第二代将軍頼家も北条時政に寺に幽閉されて殺され、第三代将軍も頼家の息子に殺された。こうした酷いことをしてきた北条時政を追放したのが北条義時であり、この間、物凄い権力闘争が行われていた。鎌倉時代に武家社会になると、御家人が奉公するとそれに対して御恩として土地の支配権を与えるという、御恩と奉公で成り立っていた。鎌倉幕府が誕生すると、朝廷の権威から武士を引き剥がすために、実利を与えて幕府の権力基盤を築いたのである。後鳥羽上皇は、天皇が任命する将軍が次々と殺され、天皇から見れば家来の家来に過ぎない北条家やその他の御家人が政治を勝手にやることは許せないということで、『流鏑馬揃え』を口実に兵を集めて挙兵した。その直後に幕府に上皇挙兵の知らせが届くと武士たちは動揺したが、そこで北条政子が頼朝に対する恩義を訴えたことで、多くの武士たちは鎌倉幕府に付き、上皇方二万騎に対して幕府方十九万騎と兵力で圧倒して大勢が決した。敗れた上皇側は、後鳥羽上皇が隠岐に身を寄せられた。この事を教科書は『流罪』と書いたりするが、戦前の教科書では『遷行』と書かれていた。上皇はその地で崩御されて、御陵が営まれ、明治時代には後鳥羽上皇を祀る隠岐神社が建てられた。順徳上皇は佐渡に遷行され、その地で崩御された。土御門上皇は挙兵に反対していたので、自ら土佐へお移りになったが、幕府の意向で阿波に移されて、その地で崩御された。天皇であった方々が流罪同然にお移りになったということは、大変な事件だった。こんなことは二度とあってはならないと、後世の心ある日本人が思ったのは当然のことである。後鳥羽天皇を支えた忠臣たちは、捕まって鎌倉に護送される途中で非公式に殺された。この五名の忠臣を祀る神社が静岡県御殿場市の藍澤神社であるが、昭和五十五年に当時の浩宮殿下がご参拝された。後鳥羽上皇の御製に『奥山の おどろが下も 踏み分けて 道ある世ぞと 人に知らせむ』というものがあるが、混迷する政治の中で本来の日本の正しい政治の道を、後世を含めた日本民族に伝えなければならないという強い意志を表したものである。戦前まではこういうことを歴史の知恵、教訓として行動していたが、今の我々には800年前からのメッセージが届いているか、節目の年に自問自答したい。私の大学院時代の指導教官が、『上手い政治と正しい政治は違う』と言っていた。正しい政治とは何かを今の日本人も考えていなかければならない。」と、承久の変と正しい政治について語られました。
一般社団法人シベリア抑留解明の会理事長 近藤建様
一般社団法人シベリア抑留解明の会理事長の近藤建様は、「今から七十六年前にたくさんの日本人がソ連に拉致され、その人数もわからない、その墓がどこにあるかもわからない中で、厚労省は五十七万五千人が拉致されたと言い、帰国したのは五万七千人と言われているが、これらの数字は出鱈目である。私はシベリア抑留がどういうものであるかを多くの人に訴えたいと思って活動している。まず、皆さんにお配りしたツインバッジは、白の部分はシベリア抑留解明の会の『ホワイトバッジ』、青の部分は北朝鮮拉致問題に取り組んできた『救う会』の『ブルーバッジ』、四つの点のような模様は北方4島を表している。先日、ロシアの首相が択捉島を訪れ、加藤官房長官が抗議をすると言っていたが、抗議なんかして何の意味があるのかと思う。シベリア抑留でどんなことがあったか、本日お配りした資料を後で読んで頂きたい。昭和二十年八月九日に日ソ中立条約を一方的に破って突如満州や北朝鮮にソ連軍が日本軍相手に戦争を仕掛けてきたのが発端である。そして、その後、日本がポツダム宣言を受諾し、十七日には完全に戦闘を停止したが、ソ連はそんなことは関係なく、九月五日まで日本を攻め続けた。世界の戦争の中で、二十八日間でこれだけのものを奪った戦争はなかっただろう。日本人の兵士や民間人を、東京へ連れて帰るぞと騙してシベリアやモンゴルに連れて行き、強制労働をさせた。そして、千島、樺太を獲り、日本固有の領土である北方四島を奪い獲った。安倍元総理はロシアの口車に乗って資金を出して、一つか二つ戻ってくるかもしれないと思っていたかもしれないが、歯舞、色丹は北方四島の数%の面積しかない。日本の漁船が漁に行くと拿捕され、今年の六月一日に拿捕された栄宝丸が返ってきたが、それが千三百三十隻目であった。拿捕されれば日本は多額の罰金を払っている。日本は自分の国は自分で守るだけの気構えがなければならない。樋口季一郎中将は当時第五方面軍の司令官で志布志島におられたが、ソ連が日本を攻めてきたときにこれは単なる戦争ではなく北海道を獲ろうとしていることを見抜き、武器がほとんどない中でソ連軍と戦いながら九月五日まで引き延ばして、北海道に一歩も足を踏み入れさせなかった。だから北海道を守ることができた。同じ日本人として、今後は通すべき筋を通し、喧嘩すべき時は喧嘩すべきだ。今の自民党を見ていてこれはダメだなと思う。中国があれだけのことをしても、中国反対の意見を堂々と通す人間がいない。私自身は日本という国の誇りを守るために、ソ連がいかにひどいことをしたかを末代まで多くの日本人に知ってもらうための活動を続けていく。」と、シベリア抑留問題ヘの取り組みについて語られました。
詔勅研究家・みことのり普及の会副会長 佐藤健二様
詔勅研究家・みことのり普及の会副会長の佐藤健二様は、「山鹿素行は儒学者として出発し、十六歳で兵学を学び、二十歳で山鹿流兵学という一派を築いた。山鹿素行の名前が今日に伝わっているのは、國體論の名著として知られる『中朝事実』という書物があるからである。みことのり普及の会は素行会から派生して平成六年に設立された。そのきっかけとなったのが、『みことのり』という本である。その本には約二千二百の詔勅が収められているが、その詔勅を読みながら日本の歴史を研究することを目的としている。私共の考え方は、詔勅を理解せずして日本の歴史を正しく理解することはできないというものである。國體を研究することで敗戦後の日本精神の解体から自らを守るのである。日本はポツダム宣言を受諾して降伏した。多くの教科書には無条件降伏と書かれているが、とんでもない間違いであり、有条件の降伏だった。その条件が國體の護持である。このことは終戦の詔書にはっきりと書かれている。したがって、戦後は護持しえた國體を中心に日本国が復活していかなければならないはずだった。國體を英訳すればconstitutionであり、この単語は憲法とも訳される。つまり、憲法は國體の表明でなければならない。戦前の大日本帝国憲法は、その意味で憲法の名にふさわしいが、現在の憲法はGHQが素案を作ったものであり、当然憲法の名に値しない。國體について全く考えられていない憲法だが、かろうじて天皇条項が維持されていて、天皇は国民統合の象徴とされている。戦前は天皇が統治権者、統帥権者、元首とされたが、現在の憲法には天皇の地位は象徴としかなってない。この事を海外に説明しても誰も理解しないだろう。國體をもう少しわかりやすく訳すとnational identityとなるが、これは国家としての存在証明である。戦後はこれを一切考えずに進めてきた。國體の究明とは、日本人として日本がどういう国であるかをきちっと説明できることである。しかし、戦後知識人もマスコミも國體という問題から目を逸らしてきた。きちっと説明するためには、どうしても神話にまで遡らなければならない。戦後は天皇の地位が護持されたことで、國體が護持されたかのように錯覚している人が多い。確かに天皇が護持されたことで戦前と戦後をつなぐことができたが、天皇の在り方は全く異なっている。では象徴天皇をどのように説明すればよいのか? 日本国の象徴であるという意味をどう説明するか? それは、今上陛下おひとりの事を考えてもわからず、神武天皇以来の皇統を考えなければならない。天皇が國體を顕現されているということがわかりにくい理由の一つが、戦後になって詔勅が失われたからだと思う。詔勅は元首が発するものである。戦後も『お言葉』はあるが、『詔勅』という国家意思の表明は戦前で終わった。グローバリズムは国家否定の思想であり、共産主義思想の変形である。その背景にはディープステートがあると言われているが、グローバリズムでは人、モノ、カネの移動によってその国固有の精神を侵略し、秩序を破壊し、国民国家を解体する。オーストラリアは『サイレント・インベージョン』という本にあるように、いち早くそれに気付いた。アメリカも国家解体の危機にある。National identityの根底にある古事記、日本書紀の神話を理解しないと天皇の存在が説明できない。歴代天皇のお言葉が『みことのり』に収められている。詔勅を学ぶことは國體を学ぶことであり、日本人であることの誇りと自信を持つことができる。」と、詔勅を研究することの重要性を説かれました。
参議院議員 石井苗子様
参議院議員の石井苗子様は、「私は維新の会に所属し、これまで教育の無償化や、現在も東日本大震災の医療支援活動に取り組んでいる。ところがこの国は全く良くならない。大雨がふり、地震が起こり、コロナが発生した。子どもを見ていて、安心して暮らしていける国なのかと思う。もう一度この国を強くしていかなければならないと心の底から強く思う。国民の命を守るのが政治家の使命である。異常気象が起きているときに国土を今の技術で守っていけるのか。時代の変化に付いて行けない制度は変えていかなければならない。その覚悟を持って国会に臨まなければならない。田母神先生が問題回避症候群と言われていたが、そういう人を選んではいけないし、選ばれたらそういう人になってはいけない。」とコメントをされました。
最後に塾長は「本日の月例会も大変素晴らしい話だった。」と述べて会を締め括りました。