第120回 勝兵塾月例会レポート

公開日:2021/06/26


塾長・最高顧問 元谷 外志雄

勝兵塾第120回月例会が6月17日にアパグループ東京本社で開催されました。
冒頭のアパグループ元谷外志雄代表による塾長挨拶では、「今日で勝兵塾は10年になる。10年前に勝兵塾を始めていなかったらどうなっていたかと考えると、日本の保守化に幾ばくかの貢献をしてきたかな、という思いがある。今朝の新聞の記事によると、冷戦後に世界の軍事費が4割増えたが、米中がその世界の軍事費の半分を占めている。冷戦終結後は軍縮に向かうかと思っていたら、軍事費を4割も増やして、しかも軍事大国が軍事費を益々つぎ込んで大変な時代になってきた。日本もそういう中に巻き込まれることのないように、絶えず警戒心を持つと共に、対抗心を持ってバランスオブパワーを維持しなければならない。念ずれば平和になるのではなく、抑止力としての武器を持つ必要がある。どこの国でも自分の国は自分で守るのが当然であり、日米安保条約があるからといってアメリカに期待していてはいけない。」と、軍事大国による軍事費の増強に警鐘を鳴らしました。続いて、6月2日にアパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉で行われたアパグループ50周年記念パーティの模様を動画で視聴しました。


自由民主党副幹事長・衆議院議員 上野宏史様

自由民主党副幹事長・衆議院議員の上野宏史様は、「アパグループ創業50周年、勝兵塾10周年という素晴らしいタイミングでお招きいただいたことに感謝している。昨日、通常国会が閉会したが、この国会でミャンマーに対する非難決議案は決議されたが、中国の人権侵害に対する非難決議案は残念ながら合意に至らなかった。昨年来、力を入れて取り組んできたのが南モンゴル、すなわち内モンゴル自治区の問題である。昨年9月に南モンゴルで母語教育が中国政府によって制限されることになった。これを受けて、昨年11月にモンゴル母語保護運動という国際会議を議員会館で開催した。また今年の3月に南モンゴル問題に関する勉強会を立ち上げ、4月には南モンゴルを支援する国会議員連盟を立ち上げた。議連の会長を高市早苗先生に、幹事長を山田宏先生にお願いした。引き続き活動を続けていくので、ここにいる皆様にもご支援を頂きたい。私がモンゴル問題に取り組んできた理由が2つある。一つは、2001年から3年にかけてハーバードのケネディスクールに留学していた時のモンゴル国から来ていた同級生が、後に大統領になったエルベルドルジ君で、このエルベルドルジ前大統領と留学時代に友人だったという縁があったことである。もう一つは、モンゴル国が日本にとってとても大事な国であるということである。エルベルドルジ前大統領が来日して日本の参議院の議場で演説をした際に、日本とモンゴル国は補完的に成長していける関係にあるという話をされた。モンゴル国は日本に比べて人口は非常に少ないが若い国で、非常に広い国土を持ち、資源大国でもある。中国の中でも内モンゴル自治区は最も資源が豊富な地域である。こうしたところに日本がしっかり関わっていくことが、日本の国益に大きく資するだろう。エルベルドルジ前大統領も内モンゴル自治区で母語教育が制限されることに大変な危機感を持ち、『これは中国政府による文化的なジェノサイドだ』と発言された。中国では憲法によって母語教育を受ける権利が認められているはずだが、学校において国語や歴史、道徳の授業を母語で受けることができなくなった。当然南モンゴルでは反対の活動も起こったが、日本に正確な情報が伝わって来ず、外務省も把握ができていない。報道によれば、数百人、数千人、情報によっては数万人という話もあるが、多くの方々が中国政府によって拘束をされたという情報がある。我々はモンゴル国および南モンゴルとは歴史的にも深い関係がある。拉致問題についてもモンゴル国において様々な交渉が行われてきた。エルベルドルジ前大統領が来日して国会で演説をした際に、『日本人とモンゴル人は同じ天からの印を持つ共通の民族である』という発言をされた。モンゴルは言語も非常に近い親日的な国である。今年の4月に南モンゴルを支援する議員連盟を立ち上げ、日本に住む多くのモンゴル人にも支援を頂いている。日本が先頭に立って世界で初めて南モンゴルを支援する議員連盟を作ったことは意味のあることであり、国際的にも様々な発信をこれからも続けていきたい。」と、南モンゴル問題への取り組みについて語られました。


元文部科学大臣・衆議院議員 馳浩様

元文部科学大臣・衆議院議員の馳浩様は、「自民党の中でも衆参を経験した議員は意外と少ないが、衆参を経験した上野さんは次の自分の使命は何で、どう動こうとされているか?」と質問され、上野様は、「私は2010年に経済産業省を退官して参院選に出馬し、その後衆議院に鞍替えし、落選を経験して現在に至っている。落選期間中はバッジが無くてもできる活動を行ってきたが、国会に復帰することができて、バッジがあるからできることがたくさんあることを実感している。先程お話しした中国の人権侵害に対する非難決議案は可決されなかったが、原案に南モンゴルを入れることができたのは、私が国会議員だったからである。今後も良い仕事をしていくためにも、次の選挙でも当選して戻ってきたい。小選挙区制であり、地元の為にも様々なことに取り組んでいかなければならないが、その中の軸として、強い日本を取り戻すために取り組んでいきたい。」と答えられました。


東京国際大学学長・慶應義塾大学名誉教授 塩澤修平様

東京国際大学学長・慶應義塾大学名誉教授の塩澤修平様は、「内モンゴルに対する経済協力をどこから進めていけばよいか。」と質問され、上野様は「日本にとってモンゴルとの関係で最も大きな意味を持っているのが資源である。日本は中国に資源を握られているだけでなく、モンゴル国としっかり連携し、さらには南モンゴルと連携することで、中国に対する牽制ができるし、資源採掘に関する技術協力もやっていけると思っている。さらに、モンゴルは食の安全に関して、日本の農業技術や商品化の技術にも期待している。」と答えられました。


公益法人公共政策調査会理事 吉田信行様

公益法人公共政策調査会理事の吉田信行様は、「50年前、私は政治記者をやっていた。当時は三角大福時代で、政治も経済も活気があった。経済は大蔵省主導の護送船団方式で金融界を引っ張り、通産省主導で日本のメーカーが伸びていた時代である。半導体も80年代は日本が世界の50%のシェアを持っていた。日本が非常に強かったため、アメリカから睨まれていた。1979年にはエズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバー1』という本を出して話題になった。こうした活気も、1990年代になるとシステムが全て壊されて失われた。アメリカは迫りくる日本を、半導体協定やプラザ合意などで叩き、日本側もIT化に遅れた。政治は、90年代に中選挙区制から小選挙区制に変わって混乱した。中選挙区制時代は政治に活気があったが、それは同じ選挙区の中に自民党のライバルがいて、派閥本位の選挙をやっていたからである。小選挙区制になって、幹事長、総裁に力が集中して党営選挙になり、自民党の中で総裁や幹事長に対する批判が出にくくなった。中選挙区制時代は派閥の長が力を持ち、自民党内で質の高い論争が行われた。今の自民党の中には党内野党が存在せず、野党には力がないので、論争はかなりレベルの低いものになっている。活気があった時代は、アジアで日本に追随する国がなかったが、今はどんどん追い抜かれ、アジアの中でも日本の存在感が無くなっている。しかし、日本人には危機感がなく、コロナ禍でも依然として活気が生まれてこない。明治時代には『因循』という言葉がよく使われていた。これは状況に浸って何もしないでいることを意味している。明治時代には、江戸時代が因循の時代だったということでこの言葉がよく使われた。現在はまさにこの因循の時代ではないか。ここにストップをかけようという声が出て来ないことを危惧している。また、幕末によく使われていた言葉に『回天』がある。英語で言うと『パラダイム・シフト』である。私は、自民党は思い切って救国内閣を提言すべきだと思う。野党に呼び掛けて野党にも内閣に入ってもらう。これは野党に動揺をもたらすだろう。日本維新の会や国民民主党は内閣に入り、立憲民主党は分裂するかもしれない。このまま何もせず因循に浸っているよりも、この際思い切った手を打つべきだ。日本を背骨の入ったしっかりした国家にするためには、日本を骨抜きにした憲法を変えなければならないが、今のままでは百年河清を俟つに等しい。55年体制から自民党が社共的な野党と妥協してきたために、政策が左に傾いてきた。こういうことを許してはならない。救国内閣にすれば、これまで無視されてきた中間の穏健野党ができて、活性化されるだろう。救国内閣の発想に至ったのは、昨年の安倍総理退任後の組閣で、二階氏が菅氏を推して決まるという旧態依然としたことをしていたからである。これを見て田中派の政治と同じ風景だと感じた。コロナ禍はその被害の大きさより期間の長さが問題である。これは大戦や世界恐慌に匹敵するものであり、思い切ったことをするためにも救国内閣が必要である。また、日本は行き詰まっており、このまま今までのやり方を続けてよいのか反省すべきである。」と、現在の政治の問題点を指摘し、新たな政権の在り方を提言されました。


元国務大臣・衆議院議員 櫻田義孝様

元国務大臣・衆議院議員の櫻田義孝様は、「自民党に対して激励の言葉を頂きありがたいと思う。いろんな方々から政治家はもっとしっかりしろと言われるが、国民のレベル以上の政治家は出て来ないと思う。良い政治家が出てくるためには国民のレベルアップが必要だと考えるが、どう思われるか?」と質問され、吉田様は、「国民のレベルが上がらないとだめだというのはその通りだと思う。マックスウェーバーの『職業としての政治家』には、政治家に求められる資質として、確固たる意志、弁舌力、情熱、責任感、見識を挙げている。こうした資質を持つ人物が現れることが望ましいが、こうした人物を見抜く国民の知的レベルが必要である。」と答えられました。


一般社団法人樋口季一郎中将顕彰会会長 樋口隆一様

一般社団法人樋口季一郎中将顕彰会会長の樋口隆一様は、「私は樋口季一郎という軍人の孫で、加瀬英明先生のご提案で樋口中将の銅像を建てようということになった。先程日本人のレベルを上げなければならないという話があったが、日本人が最も劣っているのが国土の防衛に対する意識である。安保条約でアメリカが助けてくれるだろうと皆思っているようであるが、これがいつまで続くかはわからない。日本の教育もメディアの報道も水準が低く、ぬるま湯に浸かっている。今コロナ禍でも、人の顔色ばかり見て責任逃れする政治家や医者ばかりである。樋口季一郎がやったことは二つある。一つはナチスドイツに迫害されて満州に逃げてきたユダヤ人を救ったことである。日本人は人種差別反対で、1919年のパリ講和会議で日本はいち早く人種差別撤廃を提案したくらいである。それはいくら何でも早過ぎたが、ユダヤ人の救済のため、樋口中将は東條英機と喧嘩してまでユダヤ人を救った。最近イスラエルから出た本に、日章旗の下でユダヤ人がいかに生き延びたかということが書かれており、この本によれば、東アジアで2万人のユダヤ人が日本人に助けられ、ユダヤ人を救った大元が樋口であると書かれている。こうしたことが日本で知られていない。もう一つは北海道の防衛である。銅像建立事業は、今後の日本のためにも国土防衛という国家の根幹を次世代に伝えるために行っている。8月15日の玉音放送の後、8月18日未明にソ連の大艦隊がカムチャッカ半島から占守島にやってきたが、当時樋口は第五方面司令官として、千島、樺太、北海道の防衛を司っていたので、断固反撃を指令してスターリンの北海道侵攻計画を粉砕し、日本の国土分割を阻止した。祖父がたくさん書いた原稿が我が家に残っていたので、昨年550頁の本にして出版したが、この本を編纂していて、祖父がどれだけ苦労したかがわかった。昨年9月には北海道に樋口季一郎記念館ができた。加瀬先生のご提案で一般社団法人を設立して銅像建立事業を始め、加瀬先生に代表理事になって頂き、私が孫として会長をさせて頂いているが、発起人には日本人だけでなく、ユダヤ協会の方やアメリカの戦略家のルトワック氏らも名を連ねて頂いている。法人の銀行口座はまだできていないが、寄附をして頂ける方は加瀬先生の事務所にご連絡いただきたい。」と、樋口季一郎中将の功績を紹介して国防意識の大切さを訴えられました。

一般塾生から吉田様と樋口様へ、「日本の政治家が中国共産党に何も言えない状況で、私はこのままでは日本が無くなると思っているが、現状についてどのようにお考えか伺いたい。」と質問され、吉田様は「強い危機感を持たれていて、その危機感は共有したいと思うが、歴史的に観ると、中国はすぐに攻め込むような恰好をしながら、なかなか攻め込まず、尖閣もすぐに取らずに日本を疲弊させる作戦を取り続けるだろうと思う。日本人は緊張に耐える時間が短い民族だと言われているが、緊張に耐えられずに擦り寄っていくことを心配している。粘り強く対峙し、諦めたら負けである。また、日本の戦略家は、中国は右肩上がりでずっと強くなるような幻想を抱いているが、中国は一人っ子政策をずっと続けてきたため、これから少子高齢化が進み、国力が落ちていく。そこまで日本が頑張ればよい。」と答えられ、樋口様は、「大手のメディアが大きく報じないため、正しいことが国民に知らされていないという問題がある。教育も悪く、官僚には試験のための学力ではなく、現実の問題に対処するための学力がない。ただ、世の中が変わってきて、若者は新聞を読まず、テレビも見なくなったが、ネットを見れば、中にはフェイクニュースもあるが、ちゃんとしたことが書かれている。教育も変えていかなければならない。」と答えられました。


Amadeus Inc.代表取締役の西浦みどり様

Amadeus Inc.代表取締役の西浦みどり様は、「加瀬英明先生にご推薦頂き、本日この場に立たせて頂いている。日中関係は専門という訳ではないが、何度もビジネスや文化事業でも訪問しているので、日中関係について触れてみたい。私の専門は、ひとことで言うと『グローバル・コミュニケーション・エキスパート』である。世界では当たり前のことであるが、丁度良い日本語の訳語がない。私は人や団体、商品、国など、あらゆるものの発信、アピールを長年に亘ってやってきた。国立大学でも教鞭を執ってきたが、自活するためにコンサルティング会社を25年強前に設立した。皆様のご支持のお陰で企業、団体、機構等のクライアント様も順調に増えてきたことに感謝している。私は企業だけでなく、理化学研究所やJAXAなどの団体のグローバル・コミュニケーションズのアドバイザーもしてきた。そうした経験の中で、日中関係については、宇宙政策の中で、中国が日本を非常に意識していることを実感してきた。1970年頃に日本が初めて人工衛星の打ち上げに成功し、その数カ月後に中国も成功したが、日本に先を越されたことが中国にとってはショックだったようである。中国の宇宙政策は50年代の中頃から後半が最も活発で、それもソ連の全面協力を受けての成功であった。私は日本人の宇宙飛行士を送り出すためにカザフスタンに行ったことがあるが、そこで使われていたのがソユーズというロケットだった。中国で最初に導入されたロケットはネジの1本に至るまでソ連製のソユーズと全く同じだったので、ある時、駐日ロシア大使にそのことを話して、中国にソユーズの設計図をプレゼントしたのか、それともスパイに盗られたのかと質問したところ、大使は大爆笑して明確には答えなかったので、そのどちらもあるようだった。50年代にソ連の協力で中国の宇宙開発が始まったが、60年にはソ連の協力が途絶え、それから中国は独自に努力をして人工衛星の打ち上げや、近年は有人飛行も成功させた。これは世界で三番目である。JAXA時代には、私は国際部・広報部を統括・指導する役員待遇者として様々な宇宙関連の国際会議に出席したが、2011年頃、ある国際会議で各国の宇宙代表者が公用語の英語でスピーチをした際、中国の宇宙局代表は、英語を一言も使わず、全て中国語で話した。中国が世界の中心であり、世界が中国語を学ぶべきだという強いプライドとアピールがあったが、広報的には逆効果だったと思う。アメリカが慌てたのが、2016年に中国が量子通信衛星の打ち上げに成功したときである。量子通信衛星は金融や軍事などの秘密のコードを操るものであり、世界に先駆けて中国が成功したことに、アメリカはショックを受けた。中国の宇宙政策は止まらず、2020年には独自の宇宙ステーションを立ち上げることが目標だったが、それは少し遅れて2022年に完成すると言われている。宇宙については法律も非常に大切で、中国は宇宙法の研究者を10年間で100倍にするという遠大な目標を立てている。これは自国の国益に合うように宇宙法を作ってしまえば有利になるという考えである。そのときに西側諸国がどのように対峙していくかが問われている。ノーベル賞受賞者の山中伸弥先生がNHKのインタビューで、日本の若者にこれから大切なものを聞かれて、『コミュニケーション能力を養うことに尽きる。』『どんなに素晴らしい研究をしていても、自分のやっていることを相手が聞く耳を持つように発信できなければ、何の意味もない。』と答えられた。私が学生には、コミュニケーション能力とは単に語学ができることではないと言っている。コミュニケーション能力はこれからの日本の課題である。世界中の沢山のメディア、シンクタンク、リーダー達と縁があり、海外からだけでも1日に100通くらいのメールが届くが、返信する際に私が徹底しているのは、日本の政治、あり方などに対して不満を感じることがあっても、いざ海外から日本に対する質問や批判が来た時は、日本が麗しく美しく思われるように説得力を持って説明することに努めることである。そういう点では、ビジネスではなくボランティアとして、ジャパン・パブリック・ディプロマシーを日本のために何十年もやってきたと言える。パリ政治学院にも11年間通って講義をしてきたが、そこには多国籍の学生がいて、日本の素晴らしいところを手弁当で伝えてきた。これもジャパン・パブリック・ディプロマシーである。皆様が思う以上に海外には日本を好きな人が多い。特に自家用ジェットを乗り付けるようなビリオネアに多く、早くコロナが終わって日本に行きたいと言っている。」と、中国における宇宙開発の歴史とグローバル・コミュニケーションズの重要性について語られました。

最後に塾長は、「本日は10周年にふさわしく大変盛り上がった。次回も多くの方に参加頂きたい。本当のことを知れば、皆保守になる。」と挨拶をして、会を締め括りました。