■ 米国の洗脳政策~自虐史観の原点
終戦後、米国は日本人を洗脳して大東亜戦争についての罪の意識を植
え付けるマインド・コントロール政策を行った。趣旨は「日本の軍国主
義者が嘘ばかり並べて国民をだまして侵略戦争を始めたので、その罰として連合国から大空襲にあい、かつ原爆まで投下されてしまった」という観念を刷りこむことであった。
これは極東軍事裁判が、国際法的にも倫理的にも正当であるとのプロパガンダでもあった。かくして、日本国民には重大な責任があるという虚構が築きあげられてしまった。
その中で生まれた贖罪意識は、潔い反省の心を持つ日本人の中で自虐史観となって現れた。そして自律的に増幅と再生産を重ねて現在に至っている。日本人は謝罪をするにあたり、ただただ自分は正義を実行しており、それは極めて高尚な行為と思い込んだ。それは、悲壮感と共に一種の甘い快感さえも伴うものであった。
■日本人の長所を取り込んだWGIP
そうした洗脳政策は、
WGIP(War
GuiltInformation
Program=戦争罪悪感・情報計画1)と名付けられた
。
Guiltとは“(自らが)有罪であることを意識する”ことを意味する。
米国がこれほど熱心に「自分達は悪くない、悪いのは日本だ」と連呼せんばかりに躍起になったのは、この大戦に至った経緯と大空襲、及びそれに続く原爆の投下について、かなりの後ろめたさを感じていたからに違いない。また日本の戦力と抵抗の激しさにかなりの恐怖感を持っていたに違いない。
WGIPを策定するにあたって、米国は日本研究の論文を収集し、かつ新たに何人もの学者に委嘱して、日本人の心情及び文化全般について研究プロジェクトを発足せしめた。協力者は『菊と刀』の著者ルース・ベネディクト、日本の神道の研究者D・C・ホルトム、英国の社会人類学者ジェフリー・ゴーラー達である。彼らの日本論は、それなりに突っ1WGIPの日本名「戦争罪悪感・情報計画」は筆者訳込んだ力作揃いだったが、今となっては若干見当違いで理解しがたい部分もある。
GHQは、こうした日本研究の成果を十分に活用してWGIPを策定
した。日本人の遵法精神、潔い謝罪傾向、謙虚な反省、贖罪精神、共同体の関係性重視(友好と穏便の重視)、等々の長所を極めて巧妙に取りこんだ。それが良心的な日本人の心にうまく食い込んで、自発的な自虐史観として出現した。但し、愛国心につながる可能性のある“仇討”や“お家再”などの伝統的心情は徹底的に排除した。日本が再び世界に強国として登場してくることを阻止するためだ。
■ WGIPの実施
WGIPは、GHQの民間情報教育局から昭和二三年(一九四八)二月六日付で日本に対す“極秘命”として発せられた。日本人は戦争に負けたことのショックと生活苦に打ちひしがれてはいたが、その時点までは「鬼畜米英」や「撃ちてしやまむ」等の記憶が残っていたから戦争への贖罪意識は必ずしも持っていなかった。また日本人としての誇りも気概も失ってはいなかった。
江藤淳・慶応義塾大学教授(当時)は、その著書『閉された言語空間』
(平成元年)の中で、「大東亜戦争は実際には日本国と米国が主導した連合国の間の戦争であったにもかかわらず、これを日本の“軍国主義者”対“国”の対立の中で生まれた侵略戦争であった」という虚構を植え付けようとするものであったと指摘した。
WGIPは、日本の敗戦も、無差別爆撃による非戦闘員の大量殺戮も、更には原爆投下も、すべて日本の軍国主義者の責任であって、米国はこれを懲らしめたのであるから何の責任もない、という図式を日本人に植えこもうとしたのだ。
しかし、開戦の事情については、ハーバート・フーバー第三十一代大統領(共和党2の回顧録『裏切られた自由(Freedo
m Betrayed)』(約2フーバー大統領:米国の第三十一代の民主党大統領。フランクリン・ルーズベルトは次の第三十二代大統領。フーバーは大恐慌への対策に失敗したとして批判千ページ)が極めて貴重な事実を教えてくれる。大統領にまでなって最高の機密にまで触れてきた人物の証言であるから、信憑性は高い。
ルーズベルトは極端な人種差別主義者であった。黄色人種の日本人が、米国が遅れを取った中国大陸に先に進出して、満州国を建国し、更に大東亜共栄圏構想などという妄言を唱えて白色人種がせっかく築きあげた植民地を解放してアジア諸国を独立せしめよう、などと生意気なことを考えているのが我慢ならなかったのだ。それに、当時ドイツとの戦争に悩んでいたソ連から、強く対日参戦の要請があったこともある。
米国の歴史学者アラン・アームストロングは、真珠湾攻撃よりも実に五カ月も前に、ルーズベルトがコードネーム「JB―355」という対日作戦計画を承認していたと指摘している。その作戦は、「米国が中国に三百五十機の戦闘機と百五十機の爆撃機を提供して、蒋介石に米人パイロットを傭兵せしめて、中国大陸から日本各地に大空襲をかける」と
いう計画だった。しかし、欧州戦線が緊迫したので飛行機をそちらに回してしまって計画が遅延して、日本の真珠湾攻撃の方が先になってしまったものだ。この作戦の存在はフーバーも前掲の著書の中で認めている。戦争を仕掛けて「平和の罪」を犯した真の級戦犯はルーズベルトだったのだ。
■ コミュニケーション・コントロールによる洗脳
WGIPのコミュニケーション・コントロール策は極秘裏に推進されたので、日本人は自分たちが洗脳されつつあることに全く気付かなかった。GHQは、先ず全国の新聞に日本軍の残虐行為を強調した『太平洋戦争史』を連載せしめた。協力する新聞社には、新聞紙用パルプの特配が割り当てられた。また『真相はかうだ』(後に『真相箱』)というラジオ放送も始まった。そして、日本人の伝統的価値観である“忠義”や“復讐”をテーマとした映画は全て上映禁止になった。
こうして日本国民は、驚きと怒りの内にすっかりこれらを事実と思いがあったが、功績が見直されつつある。Aこんでしまい、「一億総懺悔」をするに至った。
■「言論・表現の自由」を禁止
WGIP訓3は、「日本出版法」として法制化され、先ずプレスコードとして実施された。同様にラジオコード、映画コードも実施された。
「日本出版法」の冒頭には、「連合軍最高司令官ハ“日本ニ言論ノ自由ヲ確立センガ為ニ”茲ニ日本出版法ヲ発布ス。本出版法ハ言論ヲ拘束スルモノニ非ズ。寧ロ日本ノ諸刊行物ニ対シ言論ノ自由ニ関シ其ソ責任ト意義トヲ育成セントスルヲ目的トス。」という文言がある。まるでブラックジョークだ。
検閲指針は三十項4に及ぶがWGIPの意図が読み取れる示唆に富む項目ばかりだ。こうした制限により、戦後に頻発した占領軍将兵による婦女暴行事件などは全く報道されなかった。また、戦前・戦中の欧米の植民地支配についての研究書など、実に33七千七百六十九冊もの書物が官公庁、図書館、書店などから没収されて廃棄された。現代“焚”以外の何物でもない。もちろん、これも報道されることはなかった。
これらの制限は、公式には昭和二七年(一九五二)のサンフランシスコ講和条約の発効によって失効したのであるが、日本人自身の間で拡大再生産されて現在に至っている。3連合軍最高司令官の訓令第三十三号(SCAPIN.)
4検閲対象の三十項目:一切の批判が禁止された対象は、連合国最高司令官又は総司令部、極東軍事裁判、GHQが日本国憲法を起草したこと、ソ連/英国/朝鮮人/中国/その他の連合国及び連合国一般/アメリカ合衆国、満州における日本人取り扱い、連合国の戦前の政策、占領軍軍隊についてだ。言及することさえもが禁止された対象は、この検閲制度、第三次世界大戦、冷戦、GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及だ。次に宣伝行為が禁止された対象は、戦争擁護、神国日本、軍国主義、ナショナリズム、大東亜共栄圏、その他についてだ。更に論評することが禁止された項目は、戦争犯罪人の正当化および擁護、占領軍兵士と日本女性との交渉、闇市の状況、飢餓の誇張、暴力と不穏の行動の煽動、虚偽の報道、解禁されていない報道の公表だ。
■ 極東軍事裁判
昭和二一~二三年に行われた極東軍事裁判(以下、単に東京裁判と称す)は、“裁判”と言う名がついているが根拠法などはなく、従って「罪刑法定主義」も「法の不遡及原理」も無視した戦勝国によるリンチに過ぎなかった。強いて言えばマッカーサーの発した「極東軍事裁判所条例」が根拠法であった。しかし、当のマッカーサーが朝鮮戦争の後に米上院・
軍事委員会において
5、連合国が行った対日経済封鎖と石油禁輸は日本を深刻な窮地に追い詰めたと指摘し、「日本が戦ったのは自衛戦争であった」のだから東京裁判は間違いであったという趣旨の証言を行っている。
東京裁判では、七名が平和に対する罪(A級戦犯)を問われて絞首刑
となり、遺骨は東京湾に棄てられた。文明国の人間がすることだろうか。この他に約二千名が戦争犯罪(級戦犯)と人道に対する罪(級戦犯)として処刑された。戦争だったのだから、敗戦国の将兵だけが断罪されるのは不当であると、後に多くの世界の国際法学者から指摘された。
日本は終戦直前には既にレイムダック状態で、ソ連に講和の仲介を依頼しようとしていた(もちろん米国は知っていた)位であるから、戦争を早期に集結するために原爆を投下する必要は全くなかった。トルーマン大統領が原爆実験のためとソ連への示威のために、敢えて投下を決意して三十万人を殺戮したのである。彼こそが、真のB・C級戦犯だ。
インドのパール判事は、「欧米こそがアジア侵略の張本人だ。それなのに、あなたがたは自分等の子弟に、『日本は罪を犯したのだ』とか、『日本は侵略の暴挙を敢えてした』などと教えている。(中略)日本の若者が歪んだ罪悪感を背負って卑屈になり、心が荒廃して行くのを、私は見5マッカーサーの証言:昭和二六年(一九五一)五月三日の米国議会上院の軍事外交合同委員会における証言。「日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もない。(中略)それらすべてのものは、アジア海域に存在していた。これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感があった。したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだった。」と証言したBC過ごすわけにはゆかない。」と述べている6。
GHQの参謀第二部長という要職を占めて、自ら諜報・検閲という日本人の洗脳作業に従事していたチャールズ・ウィロビー少将でさえも、東京裁判はやり過ぎだと考え、「この裁判は史上最悪の偽善だった。(中略)もしアメリカが、日本がおかれていた状況と同じ状況に置かれたら、日本と同様に戦争に出たに違いないと思う。」と語った。
ところが、次々項に述べるように当時の日本の歴史学者はこぞって東京裁判史観を支持したのであるから、全く何をかいわんや(!)である。
■ 教育による自虐史観の刷りこみ ~亡国の教科書検定制度
GHQは、「教育の民主化」の名の下に共産主義者や社会主義者を取り込んで教育の左傾化を計った。民間情報教育局(CIE)はマルクス主義者の羽仁五郎らと協議を重ね、日本教職員組合7(以下、単に日教組と称す)の結成を促した。
昭和五七年(一九八二)に、教科書の記述で「侵略」が「進出」に書き換えられたという誤報が発端となって、宮沢喜一・官房長官が「今後は、近隣諸国との友好・親善に配慮する」との談話を発表した。それに基づいて文部省(当時)が教科書検定基準に、いわゆる「近隣諸国条項8」を制定した。それ以来、日本の教育は自虐的教科書を使用して、自虐的日本人をせっせと育ててしまった。
河野談話が発表された平成五年(一九九三)以降は、教科書に慰安婦が“軍によって強制連行され”という誤った記述が出現した。平成八6パール判事は、昭和二十七年(一九五二)に来日して広島高等裁判所で講演して日本人の自虐史観を戒めた。
7日本教職員組合GHQは一九四五年に教育の民主化の一環として教職員に労働組合の結成を指示した。かつては社会党・総評ブロックの有力単産であったが、現在では民主党の主な支持団体の一つ。組織率は、かつては九十%近かったが、二○一三年○月一日現在の組織率は二十五・三%だった。左翼・反日・自虐史観をイデオロギーの柱とし、ゆとり教育推進、異常な性教育などによって日本の教育を崩壊せしめたとの批判が強い。
8近隣諸国条項:教科書検定基準に“国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること”いう趣旨のガイドラインを制定した。年(一九九六)に起こった検定教科書問題は、海外から抗議がなされたものではなく、韓国の日本に対する非難がそのまま教科書に記載されたのである。七種の教科書の“全てに”慰安婦問題が記載された。日教組は、「子供でも “真実”を直視するのが重要だ」と説く。では、韓国軍がベトナムで、米軍が占領下の日本で、また多くの国の軍隊が世界中で、女性に対する暴行問題を頻発せしめたという “真実”は直視しなくてもよいのか。
子供に教えるべき歴史上の出来事は無数にある。それぞれの歴史的な
価値は千差万別だから、取捨選択をしなければならないが、その基準は子供の教育目的からの総合的価値判断であるべきだ。
いくら真実を見つめることが大切だと言っても、まだ十分な判断力も備わっていない子供に対して真偽のほども判然としない残虐事件を教え込むのは、もし祖国に誇りを持てない自虐的な国民を意図的に育てようとするのでない限り、全く間違った方策である。日本における米軍の婦女暴行事件が、独立後八ヵ月間に千八百七十八件も発生したことは、勿論教科書には記載されていない。しかし、それで良いのだ。
■ 何故日本人はやすやすとWGIPの餌食になってしまったのか
第一に、WGIPが巧妙に隠蔽されて極秘裏に実行されたので、日本人は洗脳計画の存在すら知らなかった。米国は大々的に民主主義の理念を紹介したので、それが戦後の日本のイデオロギーや教育理念の中心的地位を占めた。そのご本尊のGHQが「言論の自由」を否定して洗脳を推進していたとは、日本国民は夢にも思わなかった。
第二に、GHQが宣伝した事柄の多くは戦時中の機密であったし、戦史の類はすべて破棄されてしまったために、日本人は真偽のほどを確かめる術がなかった。そのため日本人は、軍国主義者達が嘘ばかりついて国民を騙したという構図を、何の疑いもなく信じ込んでしまった。第三に、日本人が信頼するアカデミズムの殆ど全てが、東京裁判史観を無批判に唯々諾々と受け容れてしまい、しかも積極的にこれを後押しする論文や著書を出して混乱を増幅させたことである。
10特に主だった歴史学者はこぞって東京裁判史観を支持して、日本の過
去の歴史を全て否定的に見る研究成果を続々と発表した。そうした学者20達に教わった学生たちの多くが教師になって、子供たちに自虐史観を教え込んだ。かくして東京裁判史観が歴史教育を通じて若い世代に次から次へと刷りこまれていったのだ。
歴史学研究会・委員長の永原慶二・一橋大学名誉教授のごときはその著9の中で、「日本の歴史学は東京裁判によって正しい歴史の見方を教えられた」とまで述べている。一部の例外を除いて歴史学アカデミズムは、いまだに東京裁判史観支持に凝り固まっているのが実情だ。
まともな歴史認識を主張しているのは、歴史学界とは縁がない学者ばかりだ。評論家・英語学の渡部昇一氏、西洋経済史の黄文雄氏、ドイツ文学の西尾幹二氏、哲学者の長谷川三千子氏、英文学の中村粲氏、ジャーナリストの櫻井よしこ氏、元航空自衛官の潮匡人氏、ドイツ文学・比較文学の小堀桂一郎氏、ヨーロッパ外交史と国際政治学の中西輝政氏、数学者でエッセイストの藤原正彦氏、等々、枚挙にいとまがない。いずれも肩書きをはみ出した広範囲の優れた知的活動を行っている。
法律学界も同様だ。東京裁判の実体は戦勝国による不法なリンチであったので、連合国でさえその妥当性について自信を持っていなかった。ところが、東京帝国大学法学部の国際法の世界的権威と目されていた横田喜三郎・教授は、驚くことに東京裁判が正統なものであったと論じたのだ。
彼は『戦争犯罪論』を書いて、東京裁判史観を無批判に受け入れ、かつ「ほとんどすべての国家の間で、侵略戦争を国際犯罪と見ようとする強い意向のあることは、疑いを入れない」
と述べた。当時、他の多くの法律学者も雪崩の如くこれに追随してしまったのだから、げにWGIPの威力はすさまじいものであった。
■ 政府は慰安婦問題も南京虐殺問題も「なかった」と断言せよ
日本を非難する論調には、「日本は慰安婦の強制連行はなかったと言うが、そんな証拠はないのだから強制連行はあったに違いない」という類の議論が多い。“なかったという証拠はないから、あったに違いない”というのは、論理学でいう「未知論証(AdIgnorntiam)」といって、
全くの誤りである。
たしかに論理的には「あることが無かった」ことを完全に証明するのは「悪魔の証明」(Probatio
Diabolica)と言って著しく困難である。無かったことを証明するためには、世の中の森羅万象の全てを調べ尽くさなければならないが、そんなことは不可能だからだ。
しかし、「背理法」(Reductio
Absurdum帰謬法ともいう)では
、AとBの双方が同時に存在することは絶対にあり得ないという前提が証明できれば、“Aが存在する”ことを証明することにより、“Bが存在しない”ことを証明することが出来る。それでは間接的だから証明にならないという意見があるが、これは正統な論理による立派な証明だ。
日本政府も「慰安婦の強制連行があったという事実は“確認できなかった”」などと自信なさそうに言うのではなくて、はっきりと「事実無根である」と断言すべきである。
■ 南京虐殺問題
南京虐殺問題については膨大な量の研究が行われているが、その全てをここで考察する余裕はない。ただ指摘したいのは、中国には(ひ「避諱」き=隠す、避ける)という考え方があり、この南京虐殺問題にも大きな影を落としているということだ。
中国では、真実であることよりも、“面子”のほうを大事にする。
背理法:ある命題を証明するにあたり、その命題の否定を仮定して話をすすめると、矛盾が生じることを示し、そのことによってもとの命題が成り立つと結論する論法。逆も成立する。例えば、ある命題の否定(慰安婦問題はなかった)を証
明するにあたり、その命題の肯定(慰安婦問題があった)を仮定して話をすすめると、矛盾が生じる(大騒ぎになった筈)ことを示し、そのことによってもとの命題(慰安婦問題はなかった)が成り立つと結論する論法。
したがって国家や家族のために不利なことは、たとえ事実を曲げてでも徹底的に隠さねばならない。そのために嘘をつくことは、倫理的に正しい行為どころか、義務でさえある。
この問題は、日中戦争初期の昭和一二年(一九三七)に、日本軍が南京市を攻撃・占領した際に中国軍の便衣兵、捕虜、および一般市民を大量に虐殺したという事件だ。蒋介石は一二月七日に早々に退却してしまったので、中国軍の指揮命令系統は崩壊しており、組織だった降伏は不可能だったようだ。南京城の内外に残された大量の中国軍の兵士は軍服を脱いで便衣兵となり逃走をはかった。なお国際法では便衣兵は軍人としての交戦権を有しておらず、投降しても捕虜の待遇を受ける資格はなかった。
前項の「背理法」の個所で述べた、双方が存在することはあり得ないことの例として、以下に「☆」を付して、いくつかの例を挙げておく。
☆ 南京陥落時に約百五十人ものジャーナリストやカメラマンが日本軍に同行していた。しかし誰一人としてこのような大虐殺を見た者はいない。日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されている位だ。
☆ 日本軍の南京攻略から二年後に成立した汪兆銘(=汪精衛)政権も南京虐殺には言及していない。もし大量虐殺が実在していたのであれば政権側もこれを世界に明らかにしただろうが、そのようなことは全くなかった。
☆ 当時、南京の米国領事館のジェームス・エスピー副領事がネルソン・ジョンソン米国大使に送った報告には、そのような虐殺の話は出てこない。なお当時から米国は反日傾向だったから、事実を隠蔽するような脚色はなかったろう。
☆ 中国・国民党の『中央宣伝部国際宣伝工作概況』(一九四一年)においても、日本軍の市民虐殺と捕虜虐殺への言及はない。
☆ 毎日のように開かれていた中国・国民党中央宣伝部の記者会見でも、南京大虐殺は話題にすら上っていない。
☆ 蒋介石は外国人記者と数百回もの会見を行ったが、南京事件への言及は全くない。
被害者三十万人と言うのは東京裁判で登場した数字であるが、明らかに根拠のない誇大数字だ。終戦後にGHQが新聞社に掲載させた“太平洋戦争史”でさえも二万人としていた。三十万人という数は、広島・長崎の原爆による死亡者数に匹敵する数だ。死体処理作業、及びその事務処理だけでも、記録にあらわれずに処理できる数字ではない。
この事件については日本側からの自虐史観に満ちた数多くの書籍や手記が刊行されており、いずれも中国側の日本攻撃のための資料となっている。それらを提供したのは、洞富雄・早稲田大学教授、朝日新聞の本田勝一記者、家永三郎・東京教育大学教授、田所耕三元兵士、『日本は中国にどう向きあうか』渡部昇一 WAC 二○一三年 二六五ページ前掲書 二六六ページ洞富雄:早稲田大学教授。一九六六年に中国に招待されて南京虐殺資料と称するものの提供を受けた。洞はこの資料を基にして著書『南京大虐殺』、『日中戦争史資料』、『日中戦争 南京大残虐事件資料集』等を次々に刊行して、南京虐殺が史実であったと主張した。本田勝一:朝日新聞記者。一九七一年に約四十日間をかけて中国各地を取材旅行随行ジャーナリスト:日本人記者、ロイター、APなど、欧米の記者たちを含む。
米国パラマウント・ニュースの南京占領の記録映画クルーも、「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」という英国系の英字新聞の記者も、いた。しかし誰一人としてこのような大虐殺を報じてはいない。むしろ日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されている位だ。東京日日新聞の金沢喜雄カメラマンも「南京を歩き回ったが、虐殺を見たことがない」と証言している。朝日新聞も「平和蘇る南京」のタイトルで城内の写真を掲載している。
家永三郎:東京教育大学教授。教科書に南京大虐殺が史実であるかのごとき記述をすると共に、教科書検定制度自体が違憲であるとして提訴し、一九六五年から長期にわたる家永教科書裁判が開始された。田所耕三:南京陥落後の約十日間にわたって自ら殺人と強姦を行ったと告白したが、筑波大学の竹本忠雄・教授と国学院大学の大原康男・教授の研究によれば、彼が所属していた部隊は陥落二日後には南京から転進しているので、この人物が十日間も南京に残留した筈はないと指摘した。後に、彼自身が「ある記者から、何か面白いことはないかと聞かれたので、あることないことを喋っただけだ」と告白している。なお彼の言辞はアイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』曽根一元兵士、松岡環らであった。
■ 慰安婦問題
慰安婦問題は全くの虚構だ。韓国の教科書でさえ一九九六年以前のものには記載はない。全て朝日新聞の誤報と捏造から始まったといっても過言ではない。その朝日新聞も、ついに平成二六年(二○一四)八月五日付の紙面で誤りを認めて、記事を取り消した。同紙が十六回も取り上げた吉田清治氏の「慰安婦を強制連行した」との証言も、虚偽だったことを認めた。しかし謝罪は一切なしで、言い訳に終始した。過去三十五年間も訂正もせずに継続して自虐史観を発揮し続けたのは許し難い。
吉見義明・中央大学教授は、軍の関与を示す文書を発見したと称し、朝日新聞はこれを「大発見資料」と大々的に報じた。しかし、実際には、①現地女性を保護する、②兵士の性の問題を解決する、および③性病の蔓延を防ぐ、という社会的責任を果たすために軍が関与したものだった。断じて強制連行を示す文書ではない。
河野談話が発表された当時の調査では、軍の強制連行を示すものは何にも引用されて一人歩きをしている。曽根一夫:南京虐殺についての連続三部の手記『私記 南京虐殺 ―戦史にのらない戦争の話―』(彩流社 一九八四年)を出版したが、全くの創作だった。その中で自分は歩兵の分隊長として戦闘に参加したこと、南京陥落後に自ら虐殺を行ったこと、及びその目撃をしたこと、等を書いた。しかし彼は本当は砲兵の初年兵であり、南京入城式には彼の部隊の一部が参加しただけで、彼は城内にも入っていなかったことが明らかになった。
松岡環:元、大阪府松原市の小学校女教師。南京虐殺事件の研究者として数々の著作を発表している。中でも『南京戦~閉ざされた記憶を尋ねて』 では、百二名の元・日本兵が中国で犯した数々の非道な行いを書き注目された。朝日新聞と毎日新聞は之を絶賛し、日本国民に深く反省をするように促した位だ。ところが、亜細亜大学の東中野修道教授に、兵士は全部仮名で検証不可能であり、内容は間違いだらけであることを指摘された。吉見・中央大学教授の資料発見:吉見教授は平成四年(一九九二)に防衛庁防衛研究所図書館で閲覧した慰安婦に関する資料をコピーして、朝日新聞の記者に渡し、「軍の関与は明白であり、謝罪と補償を」とコメントした。朝日新聞はこれを「大発見資料」と報じて、同日の社説で「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」、「その数は八万とも二十万ともいわれる」とした。も出なかった。しかし韓国外務省から「これは元慰安婦の名誉にかかわる問題なので、強制を示唆する言葉をどうしても入れて欲しい、そうすれば今後は賠償その他の問題は一切起こさない」との強い申し入れがあった。そのために日本政府は、原稿を事前に韓国側に見せて文面の調整を行い、あたかも軍が強制的に慰安婦を拉致したとしか読めないような談話を作ってしまった。
「穏便な大人の対応」をして一挙に政治的決着をつけるつもりだったのだが、全く裏目に出てしまった。後日、米国下院で謝罪要求決議を提案したマイク・ホンダ議員は、日本のテレビで強制連行の根拠について質問されたが「河野談話という形でコメントが出ているじゃありませんか。どうして日本の首相は心よりお詫びしたのですか。」と答えた。このままでは、河野談話は永久に日本を侮辱し続けるだろう。
■ 靖国神社参拝問題
昭和六○年(一九八五)の中曽根首相まで、日本の首相は約六十回も参拝しているが、それまで中国と韓国は一度も抗議をしてきたことはない。
現在、中国は「首相が靖国神社参拝を止めれば日中関係は大幅に好転する」などというが、絶対にそんなことはない。靖国神社参拝問題は日本人の“心の問題”なのだ。もし外国に脅かされて参拝を止めるような民族ならば、仮に日本が占領されてしまってもパルチザン的な抵抗運動は決して起こらないだろう。中国・韓国のみならず、日本人でさえも“いわゆる級戦犯”が合祀されていることから、首相の参拝は控えるべきであるとか、別の施設を作るべきだなどと言う意見の者がいるが、嘆かわしい。次に述べるような経緯によって、国内法的にも国際法的にも日本には“いわゆる級戦犯”は存在しないのだ。講和条約発効後、間もなく「戦犯受刑者の助命、減刑、内池送還」を韓国外務省からの依頼:石原信雄・内閣官房副長官(当時)の証言。産経新聞 平成二六年(二○一四)一・一八 「一筆多論:先人が決着つけた『戦犯』問題」中静敬一郎「戦傷病者戦没者遺族等援護法の改正:昭和二十七年四月三十日法律第百二十七号。
講和条約第十一条:日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の諸判決を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。(外務省訳。ただしjudge
entsは「諸判決」とした。)加藤千洋:朝日新聞記者、中国総局長、編集委員、論説委員。二○○四~○八年にテレビ朝日の『報道ステーション』にコメンテーターとして古舘伊知郎と並んで出演した。二○一○年からは同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。靖国神社問題を国際問題に仕立て上げて日本を辱めた元凶である。求める国民運動が起って、日本人の約半分にあたる約四千万人の署名が集った。衆参両議院とも、保革の区別なしにほぼ全会一致で赦免決議を採択した。
これにより日本政府は昭和二八年(一九五三)八月六日付で「戦傷病者戦没者遺族等援護法を改した。これはABC各級の戦犯者の犯罪者扱いを取り消して、戦争中に公務で傷病死・戦死した公務死扱いとして、遺族年金や弔慰金を支払うこととしたものだ。
この決議と法律改正は、同講和条約第十一条の戦犯者の赦免を阻止しようという本来の趣旨に反する。それにもかかわらず、連合国各国が等しくこれを承認したのは、連合国でさえも、後日そのような条項は国際法に反すると反省したからだ。
かくして、昭和五三年(一九七八)の秋からは、靖国神社に旧“いわゆ級戦”が合祀された。翌年には大平首相が二回参拝している。その大平首相が中国を訪問した際には大歓迎を受けている。
ところが昭和○年(一九八五)八月、朝日新聞の加藤千洋・特派員が「“靖国”問題・アジア諸国の目」、「戦前回帰」、「軍国主義の復活」などのヒステリックな反日記事の連載を始めた。八月一五日には中国外務省に対するインタビューを基にした記事「アジア人傷つける・中国が批判」を掲載し、この問題を決定的にエスカレートさせた。同年八月二六日には、日本社会党の田辺誠書記長を団長とする訪中団が、「中曽根首相は軍事大国を目指す危険がある。あなた達は平気なのか!」と煽動した。これを受けて翌二七日には桃依林(ヨウイリン)副首相が中曽根首相を批判する声明を発表した。
これが、中国が靖国参拝を公式に批判した最初である。中曽根首相は、昭和六○年(一九八五)四月二二日までに計九回の参拝をしたのだが、この批判声明を受けて参拝を止めた。
平成八年(一九九六)四月、クリントン大統領が来日した際、靖国神社参拝を希望した。ところが日本外務省はこれを拒否してしまった。更に平成一四年(二○○二)二月にブッシュ大統領が訪日する際にも、小泉首相と共に靖国神社へ参拝したいとの意向を事前に伝えてきた。小泉首相は承知したのだが、外務省が再び握りつぶしてしまった。
外務省の事なかれ主義には、あきれ果ててものも言えない。もし両大統領の靖国神社参拝が実現していたら、その後の中国・韓国からの執拗な抗議はなかったかもしれない。
■ 国連が日本人の自虐史観発揮の舞台
問題の発端は、平成四年(一九九二)に日本弁護士連合会(以下、日弁連と称す)が戸塚悦郎・弁護士を国連に派遣して、「慰安婦」問題を国連人権委員会(現在の人権理事会)に働きかけて対応を求めたことまで遡る。戸塚弁護士はせっせとロビー活動を行い、国連人権委員会に「慰安婦は日本帝国軍の性奴隷(セックス・スレイブ)だった」と訴えた。 中曽根首相が参拝をやめた理由:それまで日中友好関係を築こうとしてきた(と思われた)胡耀邦・総書記の足を引っ張らないためだったという。しかし、胡耀邦は失脚し結局、中曽根首相の配慮は何の役にも立たなかった。ブッシュ大統領は、靖国神社の代わりに明治神宮に参拝し、小泉首相は同行せずに車で待機した。国連人権委員会:現在の人権理事会。国連の経済社会理事会の一機能委員会であり、国際連合人権理事会の発足と同時に廃止。国連が“セックス・スレイブ”という言葉を使い始めたもとになった。翌年、国連人権委員会の「人権委員会差別防止・少数者保護小委員会」において、スリランカの弁護士、ラディカ・クーマラスワミー女史が特別報告官に任命された。彼女は事実問題の究明を十分に行わずに、一九九六年に報告書を提出した。内容は、虚飾に満ちた吉田清治証言を採用したり、いわゆる「性奴隷」の人数を二十万人としたりして、全く偏見に満ちたものであった。
さすがに日本の外務省も四十ページに及ぶ反論書を作成した。反論書は、一旦は委員会の席上で配布されたが、日本政府はそれまでの政府の公式見解との齟齬があるとの理由で回収してしまったので、幻の反論書になってしまった。そして「もう日本は謝っており、アジア女性基金まで作っている」という趣旨のものに差し替えてしまった。
当然、国連人権理事会は、日本は悪事を行ったので罪を認めて謝罪したと解釈し、日本に対して強烈な勧告を行ってきた。その概要は、①日本政府は慰安婦を性的奴隷としたことを認めること、②性的奴隷に謝罪と補償を行うこと、③加害者を処罰すること、及び④性的奴隷問題を教科書に記載して国民に周知せしめること、という居丈高のものだ。
更には、「もし日本政府が十分な対応をしなければ、これを国連全体の問題とする」旨の脅迫まがいの文言も挿入されている。これで怒らなかったら日本は世界からバカにされるばかりだ。
これとは別に、国連総会の補助機関であるの自由権規約人権委員会政府反論書:『正論』○一四年六月号に前篇が、同七月号に後編が全文掲載されている。一定の評価はあるものの、指摘されている事柄はほとんどが虚偽であること、かつ軍による強制はなかったこと、などが明確に記述されていないなどの問題がある。政府見解を踏襲しているためと思われる。
国連・自由権規約人権委員会:United Nations Human
Rights
Committee。国連総会で採択された「市民的及び政治的権利に関する国際条約」(自由権規約)二十八条に基づき、同規約の実施を監督するために設置され、一九七六年から活動を開始した総会の補助機関。十八名の委員で構成され、総会の補助機関として位置付けられる。日本からは岩澤雄司東京大学法学部教授が委員に選出され、二○○七年より二期、委員長を務めた。同委員会は、経済社会理事会に属する国連人権委員会(United Nations
Commission
on
Human
Rights、現在の人権理事会)が二○一四年七月一五日にジュネーヴで開催された。委員会は、日本の十六団体から特定秘密保護法、慰安婦問題などについて事情を聴取した。
日本からは約七十名(!)が参加して、この時とばかりに自国を非難した。産経新聞の報道によれば、慰安婦問題に批判的な「なでしこアクション」の山本優美子代表も参加を試みたが、予め登録をしたメンバーに限られるとして入場を阻まれてしまった由。
この反日NGOの日本人たちは、正義感にかられて国連に自虐史観を訴えているのだろうが、彼らが国際社会でいかに軽蔑されているかを知るべきである。国旗を敬い国歌を歌う事の出来ないような愛国心を持たない人間は、国際社会では決して尊敬されない。
同委員会は続けて同月一五~一六日に日本政府代表団からもヒアリングを行った。日本側の説明は外務省の山中修・人権人道課長が行ったが、委員会は河野談話や歴代首相の謝罪と整合性がないとして、聞く耳を持たなかったとのことだ。
今や日本と日本人の品格や道徳性が問題になっている、極めて深刻な情況になっていることを認識すべきである。いわれのない非難を浴びたら憤然と席を立って抗議をすべきである。後述するように国連側にも問題が多いが、これは主として日本人の自虐史観と日弁連が「良心と誠実さ」を発揮した結果である。
■ 為政者の謝罪
日本を侵略国として決めつけ謝罪外交を始めたのは宮沢喜一(元)首相であったが、次に平成五年(一九九三)に登場した細川護熙(元)首相は、記者会見で「私自身は、大東亜戦争は間違った侵略戦争であったと認識している」と言ってのけた。
早速、その翌月に来日したメージャー英首相は、「それならば捕虜になった英国人に対して日本政府は補償をして欲しい」と申し入れてきた。続いて中国、韓国を筆頭にオランダ、米国の地方議会、オーストラリアとは異なる。
筆者はこれらの国々を批判しているのではない。国際関係においては、どの国もこのくらいの鉄面皮で行うものだとの例証である。日本は、これらの国々に対して要求されるままに見舞金を支払った。もちろん税金からである。
次に首相に就任した村山富一は、土井たか子衆議院議長を団長とする謝罪使節団をアジア諸国に派遣した。しかし、マレーシアのマハティール首相やフィリピンのラモス大統領は、「五十年前の戦争を何故わびるのか、アメリカ、英国、オ それにも懲りずに村山首相は韓国大統領へ謝罪の書簡を送り、土下座外交を完成させた。WGIPで洗脳された結果、そうすることが崇高な行為であると信じ込んでいたのだ。ランダ等は侵略をしても詫びたことはない」と、かえってたしなめられてしまった。
■ 日本人の謝罪と美意識
日本人の謝罪は、必ずしも罪を認めることを意味しない。たとえ落ち度は自分よりは相手にあると考える場合でも、先に謝罪をするのが大人の態度であり、それが相手の反省を引き出す働きがあると考える。実際にそうした日本人の傾向はトラブルを穏便かつ平和裡に治める機能を発揮した。しかし国際社会では通じないので、完全に裏目に出てしまった。社会学者の浜口恵は、「日本人は近代的自我をもたない集団主義者と見做す見解があって、それが日本異質論の基となっているが、それは誤りである」と主張する。そして、「日本型組織の特徴は、むしろ成員相互の密接な連関性にある。その基盤となるのは『間人(かんじん)主義』という関係性重視の価値観である」と指摘し、かつそれは「自分自身だけの意思に基づいて行動するのではなく、相互の機能的連関に十分配慮した上で行動するものである。」と述べている。そして、そ
のような行動原理を「方法論的関係体主義」と名付けた。
■ 日本帰化手続に見る国家意識の欠如
WGIPの最大の目標は、日本人の国家意識や国家への忠誠心を失くさせて、再び日本が強国として復活してくることを絶対に阻止することであったが、その成功例を日本人への帰化手続に見ることが出来る。
石平・拓殖大学客員教授は天安門事件を契機に中国に決別して、平成一九年(二○○七)に日本国籍を取得した。自らの帰化手続きへの経験を『国家意識の欠如こそ日本の最大の病巣』
という手記の中で概略次のように語っている。(要約:筆者)
「法務局での帰化手続きでは、私は一度も日本国民の一員となることの意味や覚悟を問われることはなかった。聞かれたのは、在日年数、安定収入、及び犯罪歴の有無の三つだけだ。日本に対して何の敬意も愛情も持たず、何の義務も負うつもりもない人間でも、楽々と日本人となれるのだ。まるでクレジット・カードの加入手続きのようだ。日本国の官僚組織と法律体系には、“国益を守る国家意識”が完全に欠けている。」ご本人が言われる通りの“日本国民としては一新参者の石平・教授”に教えられる思いである。
■ 自虐史観運動は、本質的に国家への忠実義務違反
全体主義国家であれば、自虐史観の日本人を国家反逆罪で罰することができるだろうが、現在の日本には、これを法律によって禁止する手段はない。「自由と民主主義」の社会的コストと考えるしかないだろう。浜口 恵俊(はまぐち えしゅん、一九三一~二○○八年。本文化研究センター名誉教授、滋賀県立大学名誉教授。『日本型信頼社会の復権』浜口恵俊 東洋経済新報社
しかし、日本が蒙る不利益があまりにも大きい。『国家意識の欠如こそ日本の最大の病巣』石平号「月刊日本」二○○八年二月後旧・刑法第二編の第三章には国家の対外的安全を護るための外患罪が規定されていた。ただし現在では第八十三条から第八十六条の「通謀利敵」行為に関する部分は削除されている。現・刑法では「外国から“武力の行使”があったとき」の利敵行為が対象であるから、平和な時代には言論での利敵行為は、実質的に国家に対する忠実義務違反であるとしても、処罰の対象にはならない。
日本人の自虐史観を是正するには、あらゆるマスコミ、書籍、テレビ、などのコミュニケーション・ツールを総動員した大国民運動を起こすとともに、後述するように「国家百年の計」をもって教育改革を行って、国民に自発的に考え直してもらうしかないだろう。
■ 今や自虐史観問題は安全保障問
日本人の自虐史観のおかげで、今や日本は世界中でその道徳性を疑われるに至り、蔑視の的となっている。国際社会は決して道徳性を欠いた国を助けることはないから、今や日本人の自虐史観の問題は日本の重大な安全保障問題となっている。
たとえ尖閣諸島有事の場合でも、オバマ大統領はシリア問題の時と同様に、先ず米国民と議会の意向を打診するだろう。そうなると「不道徳な日本のために米兵士が血を流すことはない」、「日本の戦争に巻き込まれるな」、との声が米国中に巻き起こることは必定である。結局、米国は遺憾の意を表明するくらいだろう。日米安全保障条約第五条で定められているのは「共同して対処する」こと以上のものではないから、これは条約違反でも何でもない。日本が品格のある国家として見られるかどうかは、今や安全保障にかかわる重大な問題なのだ。
日米安全保障条約第五条:「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危機に対処するように行動することを宣言する。
■ 情報戦争対策 ~もっと毅然として積極的に
そろそろ自虐史観が如何に国家に対する忠誠義務に反し、国際的に軽蔑されているかに気付くべきである。そのためには:ー、
(一)政府は歴代政権の見解を踏襲するのを止めよ。従前からの政府の公式な立場は「反省と謝罪」であり、政府はこれを継承する立場を取ってきた。しかし既に限界である。海外で問題が生じた場合、在外公館は本国から「既に謝罪していると説明をして、穏便に解決するように」との訓令を受けるのが常である。これでは民間が是正運動を進めても、足を引っ張るだけだ。
今後は、むしろ“厳重に抗議をして、大々的に騒ぎ立てること”、との指示を出すべきだ。少なくとも当該案件が疑義に満ちた紛争中であることを国際的に知らしめなければならない。
(二)いわれなき非難を浴びた時は、機会がある毎に堂々と反論をするべきだ。そして積極的に衝突や混乱を作り出す。周囲も発言者を決して非難してはならない。国際的な理解を得るのは、そうした衝突や混乱の向こう側にあるので、それを飛び越えることも迂回することもできない。一番、害があるのは「穏便な大人の態度」だ。
(三)河野談話は、本人が取り消して、世界に対して「談話は、韓国の要望を受け入れて早期に政治的決着をつけるための虚言だった」と言明してもらいたい。交渉当時の韓国側の担当官の氏名や、非公式に申し入れてきた内容も明らかにする。グレンデールの慰安婦像問題やパリの漫画際、更には国連の人権関連の委員会で、政府代表や民間団体が真実の説明を行っても、相手は河野談話や歴代の首相の謝罪と矛盾するではないか、といって受け付けてくれない。このままでは河野談話は永久に日本と日本人を侮辱し続ける。
(四)正しい情報発信を国外むけには、できるだけ多くの言語で根気よく発信を続けることが重要だ。筆者も会員の末席をけがしている「史実を世界に発信する会」は、現在では日本で唯一の外国語による情報提供運動である。そのデータベースには十分に活用可能な資料が揃っている。国内向けには、第一章の「WGIPの実施」の箇所で触れたフーバー米大統領の『裏切られた自由(Freedom
Betrayed)』の邦訳を何らかの方法で早期に刊行すべきだ。日本人の自虐史観の治癒に有効だ。
■ 教育対策 ~英国の「一九八八年教育改革法」を見倣え
ここは国家百年の計を以って、長期的に教育改革から手を付けてゆくしかないだろう。「近現代史」を学校で教えることが文科省で検討されているが誠に結構なことだ。まず教科書問題だ。執筆者の反日姿勢、および検定の姿勢に問題があることは論を俟たないが、妥当な教科書ができつつあるにもかかわらず、殆ど採用されていない。最も重要なのは採択権の問題だが、地方自治体の首長でも口を出せないのが現状だ。サッチャーを見倣って英国式に是正すべきである。
英国は、歴史的に古くから世界各地に植民地を持って搾取を行っていたので、その反省から学童に対する自虐史観の刷り込みを徹底的に行った。当時の英国教職員組合と労働党が主導して作った「一九四四年教育法」は、いわば自虐史観・推進法であった。そうした自虐史観教育は、いわゆる英国病を深刻化させつつあった。
これは二十世紀になってからサッチャー首相の決断によって是正された。サッチャーは「歴史には光と影がある、事実をバランスよく子供の発達段階に応じて教えるべきだ」と述べ、「自国が犯罪国家だとの罪の自意識が精神の基盤に組み入れられると、その国は衰弱しやがては滅亡する」と主張した。だが、英国教職員労働者連盟の激しい抵抗にあった。教師は半年間もストをしたり、国会へ向けたデモを行ったりするなど、徹底的に抗戦をしたしか“鉄の”サッチャーはこれに屈せずに、ついに「一九八八年教育改革法」を成立せしめた。この改革法において、英国は教育内容の決定とその実施の最終的責任を、地方や教育現場から取り上げて国が持教科書の採択権限問題:雑誌「正論」平成九年(一九九七)『教科書採択の内幕』長谷川潤つことを明確にし、教育水準の向上と自虐的偏向教育の是正の二つの政策を断行したのである。
■ 国連対策 ~国連の侮辱的勧告に対して日本は撤回と謝罪を要求せよ
現在、国連の人権関連の諸機関は、日本人が自虐史観を発揮する舞台となっている。国連の主要機関のうちの「経済社会理事会」およびその傘下の各種委員会は、国連憲章第七十一条によって、資格を有するNGOと直接協議をすることができる。特に人権理事会は、慰安婦に関するクーマラスワミー報告書に関して前述の通り屈辱的かつ脅迫じみた勧告を突き付けてきている。
また、これとは別に二○一四年七月に行われた自由権規約委員会(総会の補助機関)によるNGOヒアリングには反日左翼団体などが多数参加していた。朝鮮学校の高校無償化除外問題を人権侵害であると訴えるチマチョゴリを着た日本の朝鮮大学校の女子学生や、特定秘密保護法案、慰安婦問題について日本が人権を侵していると訴える団体だ。
もし国連がこれを取り上げたら明らかな内政干渉になる。人権問題は民主主義国家の重要課題であり、それを決めるのは主権者たる国民を代表する国会と政府だ。国連ではない。
一方、国連安全保障理事会(以下、単に安保理と称す)はアジアの安全保障問題には何の役割も果たせないままだ。日本は安保理の常任理事国にもしてもらえない。さらに、国連憲章第五十三条、及び第百七条により、日本はいまだに“敵国”という位置づけだ。中国からは、国連の主要機関:総会、安全保障理事会、経済社会理事会、信託統治理事会、国際司法裁判所、及び事務局がある。国連憲章第七十一条〔民間団体〕:経済社会理事会は、その権限内にある事項に関係のある民間団体と協議するために、適当な取極を行うことができる。この取極めは、国際団体との間に、また、適当な場合には、関係のある国際連合加盟国と協議した後に国内団体との間に行うことができる。国連の敵国条項:日本とドイツは平成七年(一九九五)の国連総会で敵国条項の削除を提案して賛成多数を得たが、加盟国の批准(三分の二・百二十八ヵ国)を得ていないためにまだ実現していないし、その目途も立っていない。憲章で「敵国だった国が、戦争により確定した事項に反したり、侵略政策を再現する行動等を起こした場合、国連加盟国は安保理の許可が無くとも、当該国に対して軍事的制裁を課すことが容認される」と脅迫されている始末だ。残念だが、これが国連の正式のポジションなのだ。
日本は、こうした問題点にもかかわらず多額の分担金(米国に次いで第二位)を負している。律義な日本は唯々諾々として毎年負担金全額を遅滞もなしに支払っている。こんなことでは国際社会では尊敬されるわけではなく、軽くみられるだけだ。
人権問題では既に日本は侮辱的な勧告を受けている。クーマラスワミー報告書、及び同様趣旨のマクドゥーガル報告
書が言及する慰安婦問題は、全くの事実誤認だらけだ。仮に百歩譲って真実であったにしても、既に七十年以上も昔の話で現在では何の問題も起こっていない。国連は、そんな暇があったら現在進行中の中国新疆ウィグル自治区におけるウィグル族への弾圧、中国のチベット侵略問題、シリア内乱における国民の虐殺、中東のイスラム過激派のテロ行為、米軍基地における韓国人慰安婦の韓国政府への集団訴訟、その他中東やウクライナにおける人権侵害問題、等々をしっかり取り上げるべきだろう。
日本は国連に対して両報告書の撤回と謝罪を断固として要求すべきだ。もし受け容れられなければ、分担金の支払いや国連メンバーとして日本の国連通常予算の分担金:日本が支払っている分担金は、GDPの減少によ
って少なくなっているが、それでも約十一%の約二億七千七百万ドルで米国に次いで第二位だ。第一位の米国の約半分で,第六位の中国の約三倍(二○一四年度)に相当する。なお、安保理・常任理事国は五か国でそれぞれの分担金は次のとおりである。米国(二十二%)、英国(五・六%)、仏(五%)、露(一・七%)、中国(三%)。
マクドゥーガル報告書:一九九八年八月、国連人権委員会(現在の人権理事会)差別防止・少数者保護小委員会で採択された戦時性奴隷制に関する報告書。報告
者はゲイ・マクドゥーガルで、「武力紛争下の組織的強姦・性奴隷制および奴隷制類似慣行に関する最終報告書」のこと。主な対象は、旧ユーゴスラビアでの戦争とルワンダ虐殺であるが、附属文書として日本の慰安婦問題についても取り上
げている。クーマラスワミー報告書に続くもので、慰安所は性奴隷制度の産物、「強姦所」であり女性の人権への著しい侵害の戦争犯罪であるので、日本政府は責任者の処罰と被害者への補償を行うべきであるという。存続すべきかどうかを再検討する位の強固な姿勢を示すべきだ。日本の国連至上主義は、国連内部では軽く見られているだけなのだ。 (完)